怖いという感情は、「幽霊」の場合は「特定の個人的心意の反映」であり、当事者のみ真の恐怖を味わうのに対し、「妖怪」は「共同感覚」のうえに置いて怖いと思うことである。
しかし、ウブメの例にあるように妖怪と幽霊の違いの区別をつけることができない例もある。
結局、幽霊や妖怪とはなんだと言われれば、おもに宮田氏は「自然環境破壊」の結果と、妖怪や幽霊や神を結びつけて、それをベースに論じているのだ。つまり、人間が自然を開拓してきた結果に潜む、とあるエアスポットに妖怪や幽霊や神が出現する。
一理はあるが、そこまで全部に結びつくことであるかどうかは、議論が必要だろう。
柳田国男と井上円了の学問の方法スタイルを比較しているのも面白い。柳田は「神が零落した姿」を妖怪としているが、一方井上円了は不思議な現象を分類整理し、最終的には科学的に原因を究明し、原子や電子などの自然現象こそが不思議で、化物は不思議ではないという方向に進んでいく。
宮田氏はまた、妖怪などの怪異には、子どもや男ではなく、必ず若い女性、下女の存在が怪現象においては重要であることを論じている。つまり、自然を我が物としてコントロールして、都会や農村で暮らしている人間が、何かその自然のなかでコントロールしきれないものを感じる。それが妖怪であり、その現象を感じ取るのは主に若い女性であることを述べている。そして、それはどんな場所で起こるかといえば、どこかの境界、辻、橋など、どこかからどこかへ向かう途中の、あちらとこちらの間に象徴されるところで、怪異の現象が起こるという。
基本的なことをまとめると、自然破壊、若い女の感受性もしくは暴走、辻や橋などの境界ポイントの三つが揃うと怪異役満ということである。
本著の中身は、怪現象の事例も多く、楽しんで読めるが、現在、この三つに当てはまらない怪異もスマホなどの情報機器の発達によってもたらされるものなので、ここで宮田氏が示した枠組みが今現在どのように更新されているか、それも読んでみたいと思う所である。つまり、ホラーゲームなどの怪現象のゲーム化はどう論じるのかというところだろう。また、モキュメンタリー風のホラー小説の流行などは、宮田氏の示した枠組みでどう考えれば良いのか。自然破壊・開拓の結果というよりは、自然復活とその超克を願うところもあるのではないか。
- 感想投稿日 : 2024年1月4日
- 読了日 : 2024年1月4日
- 本棚登録日 : 2024年1月4日
みんなの感想をみる