真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

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レビュー : 81
著者 :
Midnight Ramblerさん  未設定  読み終わった 

表題作「真夏の死」のように、ある大きな悲劇が偶然に起こったとき、私たちはそれに意味付けをしようとする。例えばどうして私の兄弟は戦争で死ななければならなかったのかという問いに対して、それはたまたまその時代に生まれたからという解答をすることを私たちは拒むだろう。この作品で言えば朝子が「あのような大きな怖ろしい事件に出会うだけの資格が自分たち夫婦に在ったかどうか」を疑い、「一度たりと人間的な事件の相貌を帯びなかったのではないか」と思うようなことを私たちはするのである。
悲劇が天命であると思い、仕方がなかったと諦めることはとても残酷なことである。なぜならそれは「自分の涙と悲嘆のすべてが徒労にすぎないという別の恐怖」を味わうことであり「通念のために、二人の子と一人の老嬢を犠牲に供した」ということを暗に認めることになるからだ。
こんな恐ろしいことが他にあるだろうか?
そしてそれだけではなく「あれほどの不幸に遭いながら、気違いにならない」ことや「思い出の習慣もいつのまにか失われ、命日の読経や墓参の時に涙の流れないのがふしぎとも思われなく」なることも同じように残酷なことである。
しかし人は忘れていく。朝子が恐怖に慄きながら次第に忘れていったように私たちは悲劇を忘れていってしまう。そしてどれだけの不幸に陥っても自己の存在に対してその不幸が襲いかからない限り不幸の当事者であったことすら疑わしくなってしまう。もしかすると自己の存在に対して起こった不幸であっても当事者であることを忘れてしまうのかもしれない。

『真夏の死 -自選短編集』が世に出たのは発行年を見てもわかるように三島由紀夫が自決する数ヶ月前のことである。となるとこの自選短編集に選ばれた作品には三島にとって何らかの意味があると考えるのは不思議なことではない。では三島は「真夏の死」をどんな思いがあって選んだのだろうか?僕はそれは日本にとっての大きな悲劇を日本人が忘れていってしまっていたことへの恐怖感だったのではないかと思う。25年という月日は短いようで長い。悲劇を忘れるには十分過ぎる時間だ。変わりゆく街並みと忙しい日々、そして異常なほどに素早い復興と成長とともに歩んだ25年ならなおさらだろう。そしてその恐怖感が朝子が次の宿命の到来を期待するように三島に宿命を期待させていたのではないか。

悲劇を忘れていってしまう人間の心理と悲劇の無意味という残酷な事実を描いた名作。

レビュー投稿日
2015年5月5日
読了日
2015年5月5日
本棚登録日
2015年5月2日
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