国文学の大学の先生が、主に中高生に向けて古典の面白さを説いたもの。
注意すべきは著者自身が「正直いって、私も『古文』の授業はだいっきらいでした。」(p.3)、「『古文』のおちこぼれだった」(p.13)と述べているように、決して学校で古文の授業を学ぶ意義だとか、古文で点数を取る方法とか、そういったものを教えてくれるものではないということ。むしろ学校の古文教育批判が中心で、ただ本当の古典というのは学校の古文とは違うんだよ、古典に触れることは昔の人の生活や考え方、感じ方を知ることができて楽しいんだよ、ということを紹介する本。「いまだに『源氏』コンプレックスがあって、国文学者でありながらちゃんと読んでいないことを人に隠してきました。」(p.51)といった感じで、終始親しみが持てる。
まず「古文恐怖症を直すためには、あまり長い文章をはじめから読む、などということはしてはいけません。なるべく短い文章を、いろいろたくさん声に出して読んでみることが大切です。(略)古文のリズムがすっかり体になじんだ気がするはずです。内容に踏み込むのは、その後でいいのです。」(p.36)ということで、これは英語の勉強法と比較してみるとちょっと面白いなと思った。英語では「意味が分かった英文を何度も音読する」がセオリーだけど、ちょっと違うなあと思う。でも洋楽なんかはリズムが大事だから意味よりも歌えるようにしよう、なんていう場合もあるので、それと似ているのかなとも思った。あとは「受験用の『重要古語』といった参考書を丸暗記するより、古語は文脈にそくして読めば自然にわかってくる」(p.185)というのも、英語の勉強の場合と比べてみると面白い。ところで、p.35で紹介されている橋本治という人の本は面白そうだ。ぜひ読んでみたい。
あと、「古典」とかまして「古文」としって知っている世界がいかに限られた、作られたものであるかということを知った。古典は「何らかの権威によって保証される必要がある」(p.23)、「時代の思想や社会の要請によって作られるもの」(p.24)というのは、今までにない視点だった。「英語では『古典』をクラシックスと言いますが、それにトラディショナルといった意味を加えると、ここでいう『古典』に近くなるかも知れません。」(p.23)というのは考えさせられる。だいたい「説経」というジャンルさえ知らなかった。
最後に「わわしい女」の話のところで、「それをおもしろおかしく描く狂言には、冷ややかな『男の視線』が感じられるのです。ですから、中世の女が狂言のように本当に強かったのか、という問題を考えるとき、『男の視線』というフィルターがかかっているということを忘れてはならないのです。」(p.177)という部分は、著者が女性だからこそ考えられる部分なのか、それとも国文学の常識なのかは分からないが、重要な視点だと思った。(16/10)
- 感想投稿日 : 2016年11月1日
- 読了日 : 2016年11月1日
- 本棚登録日 : 2016年11月1日
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