
貴志祐介さんの講演を拝聴した。
テーマは「エンタテイメントに残虐な表現は必要か」
というもの。結論から言うなら「イエス」が、氏の意見である。
フィクションであっても想像力や恐怖心をかりたてるような残虐な表現は良くない、という風潮がある。
これらの作品が少年少女の心に悪影響を及ぼし、凶行へと駆り立てるのではないかという意見だ。
これに対し氏は、呪術的な感覚でしかない、根拠のないものだと仰った。
小さい頃によくやる「~~菌がうつるから触らないで」的な。
また、理解しがたい動機で起きる犯罪に対し、分かりやすい
原因として
本やアニメをやり玉にあげることで安心したい心理なのだと。
むしろフィクションによる刺激が軽度のストレスの発散になっている人もいる。
娯楽が溢れている今の時代、刺激の少ないマイルドなものは
あまり人々を惹きつけないそうだ。
「僕らは途中でページを閉じられてそれで終わり、では困るのです」と。読み手を動揺させないと本を閉じられてしまうのだと。
もちろん幼子を持つ親として、いかに「被害者」にも「加害者」にもさせないように、
どう接していくか表現者としてどうあるか、とも思案しておられる。
氏が自らに課しているルールに「完全犯罪が成立するようなトリックや技法は発表しない」というものがある。
完全犯罪として描いてもそれはあくまで架空のもの、
実現不可能なものにするということ。
作品を模倣した犯罪者を誕生させたくないという、強い信念が
あり、現に『青の炎』にも「この装置で実際に人は殺せません」と書かれている。
(私はその箇所を見落としていたような…)
作家になるにあたり、もっとも響いた言葉(本の一節だったはず)「思いやりは身近な人のためにとっておきましょう」を胸に、主人公を極限まで追い詰める氏である。
決してサディストではないが「生」を描きたいがためにその対極の「死」に迫る。
また「悪」を登場させることで、現実にある「悪」に免疫をつけるワクチン的役割も、フィクションにはあるのではないか。
そう仰っておられた。
(とは言え、映像で入ってくるものに関しては何でもOKとは言えないとも…)
なるほど、無菌で育てられ、社会に出て初めて「悪」に出会ってしまったら…それはそれで恐ろしい気もする。
かと言って、あまりに暴力的・猟奇的な方面に偏った本棚の持ち主であればちょっと警戒したくもなるのだけれど。
会場で流されていた「悪の教典」予告編。
気付けば上下巻買ってしまっていましたので(サブリミナル!?)
感想は下巻に書きます。
- レビュー投稿日
- 2012年10月9日
- 読了日
- 2012年10月9日
- 本棚登録日
- 2012年10月9日
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