巨大な魚に仲間を食べられてしまった小さな黒い魚のスイミーが、
海をおよぎまわりめずらしいものに出会ううちに元気をとりもどし、
仲間と協力して大きな魚を追い出す...という『スイミー』が
国語の教科書にとりあげられてもう長いことたちます。
絵本をもとにした低学年の定番教材です。
2年生を6回も担任したので、
そのたびに『スイミー』とつきあってきました。
子どもたちとこのおはなしを読みすすみ、
絵に描いたり劇化したりしてたどりつくのは、
小さなものでもみんなで協力すれば大きな力になる。
といったところでしょうか。
絵本や物語から教訓をひきだす授業は好きではないのですが、
『スイミー』のような超メジャーな教材をとりあげると、
たいていこのあたりに着地することになります。
ところが、です。
『松居直のすすめる〜』に書かれた『スイミー』のコラムを読んで
衝撃をうけました。
文章だけで物語を読みますと、小さな者でも力をあわせると、
巨大な者を打ち負かすことができるという、いささか教訓めいた
話に読めるのですが、「絵本」という特異な造形表現の力を
かりますと、そんなに単純な底の浅い思想を伝えようとして、
画家であり哲学者でもある作者レオ=レオニが創作したのでは
ないことが読みとれます。
授業であたりまえのようにあつかってきた内容を
「単純な底の浅い思想」といわれてしまいました。
では、『スイミー』の眼目はどこにあるのか。
『スイミー』で特に注目したいのは、作者が物語展開の
どの場面に、もっとも多くのページをついやしているかです。
ページ数という視点で絵本を見ると、全体の半分以上を
あてて描いている場面がたしかにうきあがってきます。
すなわち、作者が『スイミー』で語りたかったのは、
・
・
・
たねあかしは本書にゆずることにしましょう。
『松居直のすすめる50の絵本』は、
『スイミー』のこの解釈に出会っただけでも
じゅうぶんおつりがくる内容の本でした。
- 感想投稿日 : 2009年9月13日
- 読了日 : 2011年2月12日
- 本棚登録日 : 2009年9月13日
みんなの感想をみる