ジーコの通訳として、住友金属の初期からドイツW杯までを共に過ごした著者の15年についての本。
内容は、著者のブラジル留学からサラリーマンとしての生活から始まり、ジーコとの出会い、ジーコが何を思い、傍らで通訳としての何を感じていたのかをまとめていると思う。
ジーコの自由とは日本語の自由とは異なるものだったのか、またはジーコが監督として選手をリスペクトして、選手が話し合って決めていく形が良い形でまとまることもあれば、W杯初戦のオーストラリア戦の悲劇のように、とんでもない形で運命として受け入れることも必要なのかと感じた。
ジーコは82年のW杯のように、常に受け入れるような人生を歩んでいたとともに、中田がW杯当時言っていたもう1点を取るような状態にはチームがなかったこと、ジーコは決して無策なわけではなく、結果として日本代表の成長のリズムと噛み合わなかったように感じた。
ドーハの悲劇のように、時には厳しい状態を受け入れることが成長するうえでは不可欠なのかと思った。筆者が訳しているが、ジーコの視点での回想は「ジーコ備忘録」が出ている。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
スポーツ
- 感想投稿日 : 2013年3月16日
- 読了日 : 2013年3月16日
- 本棚登録日 : 2013年3月11日
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