六ヶ所村の記録 (下)

  • 岩波書店 (1991年1月1日発売)
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上巻は星3つとしたが、最後まで読んだ結果、星4つ。後半部分は俄然、面白くなってくる。鎌田慧さんは人間の暗部をこれでもかというようにえぐっている。まるで、上巻で抑えていた気持ちをすべて吐き出すかのようで、下巻は驚くべき事実のオンパレードである。

原発は「トイレのないマンション」との比喩をされている。これは見かけは立派だが、最後の処分ができない、との皮肉である。原発には使い終わった後に放射性廃棄物が出る。しかし、この始末を考えずに、乱立した。

そこで、持ち上がったのが再処理工場の計画。その候補地として上がったのが青森県六ヶ所村であった。上巻では最初に工業化計画が持ち上がった経緯が書かれているが、実は当初から六ヶ所村に核再処理工場を作る計画があったというのが明かされる。発展に遅れをとった青森県は、この「開発」に乗った。地元の有力県紙はそのアドバルーンをあげた。また、村もそれを容認した。

当時の古川村長はこんなことを言っている。

「人間が作るのは、人間は取り扱うものは、戦争に使う原子爆弾でも、使わなければ危険でないでしょう。原子力の平和利用は当然だと思うナ」

村人も「来たいというものを受け入れなければ、六ヶ所村はダメになる。心配だといってはたらきにいかなければ、飢え死にしてしまう」という。

この流れの中で、反対派は徹底的に弾圧された。泊漁業組合の組合長はあすは喉の手術という日に、組合長の解雇と長男の逮捕の知らせを聞いた。

核燃建設に反対していた三沢市のローカル紙の社主は令状なしに逮捕した。警察は帰り道を待ち構えて、逮捕し、6日間以上、勾留した。翌日の県紙は「原燃事務所玄関壊す 野辺地署 逃げた男 三沢で逮捕」と伝えた。

鎌田さんによれば、原燃への抗議運動があったのは事実だが、そのヒビが入った原因を作ったのが誰かを特定できるような状態ではなく、逃げたという事実もなく、帰路に向かっていただけという。

鎌田さんは「記者逮捕の重要性の認識をまったく欠如した『県紙』の姿勢は問われるべき」と書く。ほかにも、暴挙の事例に暇はない。「電事連、県政、警察、新聞が一体化しているといっても過言ではない」とある。

村は崩壊してしまった。ある人は「畑も部落も人間の心もこわされてしまった」と嘆いた。原子力の平和利用という考え方には一定の理解ができるとしても、原子力の施設を作るために、不幸が生まれている、という事実はどう受け止めたらいいのだろうか。

あとがきでは東北地方の大地震と大津波の危険性も指摘している。いくつかの印象的な文章を引用する。

「もっとも危険な放射性物質を保存し、加工しようとするのは、安全性の信頼をその押し付けによっているが、自然の猛威を完全に制御し、事故を完封できると信じたがったにしても、それは利益に目のくらんだ、電力会社や電機会社の経営者の迷信でしかない」

「すべての危険性を六ヶ所村に押しつけて解決したと思っている無関心は、将来、事故発生によって報復される危険性が高い」

1991年の鎌田氏の警笛はいま、現実のものになっている。同書は現在、絶版。復刊が待たれる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション
感想投稿日 : 2011年4月30日
読了日 : 2011年4月29日
本棚登録日 : 2011年4月29日

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