象の旅

  • 書肆侃侃房
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784863854819

作品紹介・あらすじ

象は、大勢に拍手され、見物され、あっという間に忘れられるんです。
それが人生というものです。

ノーベル賞作家サラマーゴが最晩年に遺した、史実に基づく愛と皮肉なユーモアに満ちた作品。

1551年、ポルトガル国王はオーストリア大公の婚儀への祝いとして象を贈ることを決める。象遣いのスブッロは、重大な任務を受け象のソロモンの肩に乗ってリスボンを出発する。

嵐の地中海を渡り、冬のアルプスを越え、行く先々で出会う人々に驚きを与えながら、彼らはウィーンまでひたすら歩く。

時おり作家自身も顔をのぞかせて語られる、波乱万丈で壮大な旅。



「ささやかで不条理な奇跡の連続、諦念と温かさに満ちた深い知慮が引き起こす小さな笑い」
(アーシュラ・K・ル=グウィン)



「サラマーゴが、その人生の終わりに近くで書いた、愛嬌たっぷりの作品。『象の旅』は皮肉たっぷりで共感を豊かに誘う語りの中に、人間の本質についてのウィットに富んだ思索と、人間の尊厳を侮辱する権力者への揶揄を定期的に挟み込んでくる」(ロサンゼルス・タイムズ)



「サラマーゴは(……)この奇妙ながらも読み進めずにはいられない物語を紡いだ。サラマーゴがシュールで魅力的な散文の巨匠としてこれからも人々の記憶にのこるのはなぜか、この物語が完ぺきな例である」(GQ)

感想・レビュー・書評

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  • 1998年にノーベル文学賞を受賞したジョゼ・サラマーゴ(ポルトガル*1922~2010)。彼のことはほとんど知らなかったのだが、2020年に文庫化された代表作『白の闇』は、その不思議な表題にくわえて、新型コロナウィルスの世界的流行と相まり、再び脚光を浴びたよう。たしかに『白の闇』はおもしろい作品だと思うけれど、全体のバランスにすこし違和感を感じた。正直なところ、この『像の旅』の安定感にはかなわない。ということで、すこしネタバレありそなのでご注意を。

    ***
    1551年、ソロモンとよばれたインド象が、ポルトガル国王からオーストリア大公に婚儀の祝いとして贈られた。華の都ウィーンをめざしてリスボンから旅立った象のソロモン、そして象遣いのスブッロの壮大な冒険。

    拍子抜けするほどシンプルなあらすじだが、史実をベースにしたこの冒険譚がすごくいい。なんと作者が83歳のころの作品らしいが、重苦しさはまるでなく、軽妙で鮮やかで、目に浮かぶようだ。

    小賢しい人間の思惑を知ってか知らぬか、象のソロモンはしきりに大きな耳をぱたぱたさせ、水浴びはもちろん泥浴びも大好き、道すがら何トンもの餌をもぐもぐ食べながら、山ほど糞を落として一歩一歩前進する。ポルトガルからスペイン、イタリア、アルプスを越え、ひたすら歩き続ける。

    その長旅の間、うまうま顔を出してちゃちゃを入れる作者のサラマーゴ。『ドン・キホーテ』のセルバンテスまがいのMCぶりで、実況中継やら箴言やらご託宣と……しかも現代の視点からの合の手なのに、なぜか違和感なく、あっさり時空を超えている、すごい! 
    痛烈な風刺にユーモアや諦念はいかにも滑稽で、いい意味でやりたい放題。このおかしみが合う人なら、きっとくすくす笑えて、一気に読ませる巧さに舌を巻くだろうな~。徹頭徹尾おかしなセルバンテスや、強者を揶ゆして遊びたおす『スローターハウス5』のカート・ヴォネガットを思い起こさせる。彼らはみな文学で遊び、それ以上にシリアスで真剣だ。


    「象は大勢に拍手され、見物され、あっという間に忘れられるんです。それが人生というものです、喝采と忘却です」


    この作品は時代背景を背負ってとんでもないカオスなのに、まるで混乱はない、さすがだなぁ~。インド人の象遣いの名前に舌は絡まり、ひどく舌打ちするポルトガル国王、無理やりフリッツという名に変えてしまったオーストリア大公……人を人とも思わない傲慢さ、白人以外は見下し、インドという辺境・弱小を蔑み、野蛮な搾取で肥える彼ら列強や専制国の史実を背景にしながら、暗に現代を見据えてシニカルに描く。

    しかも、ルネサンス当時のキリスト教といえば、ローマ・カトリック派とルター派(プロテスタント派)の熾烈な対立。ひたすら奇跡と権威に汲きゅうとして、教会権威をまもるためなら神をも愚弄してやまない神父らをみていると、まるで『カラマーゾフの兄弟』の小説内小説「大審問官」のように痛烈で、笑える哀しい喜劇だ。
    ほかにもインドのヒンズー教や、象の頭をもつガネーシャも出てきてわくわくする。西洋だけが世界じゃあ~ない、そんな作者の言葉が聞こえてきそうな視野の広さに脱帽する。

    さて表紙の絵の愛らしさ♪
    17世紀のムガル帝国で描かれたそう。
    戦に臨んでいるのかな? 凱旋かな? 祭りに向かっている? 生きいきとした雰囲気がとてもいい。象のソロモンと象遣いのスブッロを彷彿させて、ちょっぴりあはれだ。きっと歴史に埋もれていくであろう砂粒のような彼らの、命をかけた闘い、つかの間の祝祭のようで(2022.9.2)。

  • フランシスコ・ザビエルが日本を訪れた頃の話。彼を派遣したポルトガル王ジョアン三世は、舅であるスペイン国王を訪ねてバリャドリードに滞在中の従弟のオーストリア大公マクシミリアン二世の婚儀を祝う品は何がいいかと頭を悩ませていた。妻のカタリナ・デ・アウストリアが、象がいいと言い出したのが事の始まり。二年前にインドから来て以来、毎日、樽一杯の水を飲んで、大量の飼葉を食べ、寝ているばかりで何の役にも立たない。いっそのこと、他国にやってしまえば厄介払いができる、と王妃は思いついたのだ。

    その象の旅についていかにも見てきたように語るのは、ポルトガル語世界初のノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴその人だ。象がリスボンからウィーンまで旅をしたのは実話である。資料がないかといろいろあたらせたものの、細部については分からないことが多いので、そこは文学的想像力を縦横無尽に駆使し、小説に仕立て上げたのが、作家の最後を飾る作品となった。ジョゼ・サラマーゴは、一章を構成する文章がほぼ改行なし、会話と地の文を区切る引用符もなし、という独特の文体で知られている。 

    それだけ聞くと、何やら牛の涎のような文章が続くような気がするだろうが、心配は無用。機略縦横の語り手が八面六臂、登場人物になりかわり、身分の上下に応じた科白を使いわける。そればかりではない。何についても一家言ある語り手は、歴史ものであることは重々承知の上、現代人である読者にも話がよくわかるように、ヒンドゥー教の神々とキリスト教の神の相違から、狼の習性、当時の距離の単位まで、逸脱を恐れず説明の労を惜しまない。その語りの持つ無類の面白さは、あのA・K・ル=グウィンの保証つきだ。

    象の名前はソロモン。一緒にインドからやってきた象遣いの名はスブッロ。珍しさもあって初めは騒がれたもののすぐに忘れ去られ、着ていたきらびやかな衣装は今ではぼろぼろ、象の体も垢まみれ。久しぶりに象を見た王は、この有様ではポルトガルの威信にかかわると思い、象を洗わせ、象遣いに衣装二着の新調を命じ、象遣いの助手二名、水と飼葉を運ぶ要員数名、水桶をのせた荷車を引く牛二頭、それに護衛役の騎兵隊をつけ、オーストリア大公の待つバリャドリードへと象を送り出す。

    自動車のない時代、陸上移動の手段としては歩くしかない。象はともかく、重い荷をのせた車を引く牛が一緒では一日の行程はしれたものだ。おまけに象は餌を食べると眠くなる動物で、寝ているところを起こすと機嫌が悪くなる。象遣いは、象の性質をよく知っていて、牛の数を増やし、人の手を借りて押すなど工夫をしながら、一隊を率いる騎兵隊の隊長とも心を通じ合わせ、旅を無事進めてゆく。主人公は象だ、と語り手は言うが、象は口をきかない。そのぶん象遣いの出番が多くなる。

    この象遣い、年は若いが物知りで、王侯貴族を相手にしても怖めず臆せず言い分を主張する交渉術にたけた男に設定されている。その上、広い世界を見てきたせいか物の見方がやけに哲学的。ジョゼ・サラマーゴは寒村の農家の息子として生まれ、様々な職を転々としながらジャーナリストになるが、政治的な理由で職を追われ、作家となった。筋金入りの共産主義者で無神論者の作家が、自在な語り口で、象遣いはおろか、象の頭のなかにまで入り込み、長年にわたって考え抜いてきたことを忌憚なく吐き出す。たとえば次のように。

    一頭の象の中には二頭の象がいると以前に話しました。一頭は教わったことを習得し、もう一頭は何もかもを無視しつづけます。なぜそれがわかった。自分も象にそっくりだと気づいたのです。自分のある部分は学んで覚え、別の部分では学んだことを無視する。そして、長く生きていくほど、無視することが増えるんです。そういう言葉遊びにはついていけんな。わたしが言葉で遊ぶのではなく、言葉がわたしと遊ぶんですよ。

    ミゲル・ゴンサルヴェス・メンデス監督がジョゼ・サラマーゴを撮った『ジョゼとピラール』というドキュメンタリー映画がある。現在、期間限定で日本語字幕付きのものが、YouTubeで視聴できる。『象の旅』執筆の過程も題材の一つだ。晩年の老作家が歳の離れた妻のピラールと世界中を駆け巡る様子を見ることができる。ブックフェスの会場にはサインを求める数百人ものファンが列を作り、作家は老体に鞭打って最後までサインをし続け、本当は嫌いだとこぼしながら、写真撮影にも応じていた。

    映画を見てわかった。象はサラマーゴなのだ。「象は、大勢に拍手され、見物され、あっという間に忘れられるんです。それが人生というものです。喝采と忘却です」とスブッロは言う。ノーベル賞作家などというものは、そう易々とお目にかかれるものではない。見物できるとなったら客は大騒ぎで駆けつける。どこへ行ってもそれは同じで、本人は辟易しているのだろう。一度だけ移動中の車内で、故郷で開かれる記念式典に出るのを愚図るところがある。人々のためよ、とピラールに説得され、結局出ることにするのだが。

    象は象遣いに意のままにされているのではない。象あっての象遣いだ。しかし、象遣いがいなくては象は立往生する。象遣いが苦境に立たされた時、象は機転を利かせて彼を助けるように動く。象と象遣いは二人で一人なのだ。しかし、傍目から見れば、はるばるインドからポルトガルまでやって来て、二年の間放置され、今度は今度で冬のアルプスを越え、はるばるウィーンまでの長旅を強いられる象が哀れでならない。象はウィーンに到着してたった二年で死ぬ。皮を剥がれた後、切られた前脚は傘立てにされた、という説明が最後にある。

    もし、象に自分を重ねているとしたら、なんと皮肉な幕切れであることか。政治的に、あるいは宗教的に象を利用しようとする者たちにとって、象は単なる飾り物でしかない。一方、共に旅するなかで、異なる世界に属する者の間に共感が生まれ、心の触れ合いが生じる。思惑はどうあれ、旅の日々が充実していればいいと達観しているのだろうか。「想像、哀れみ、アイロニーを盛り込んだ寓話によって我々がとらえにくい現実を描いた」というのがノーベル賞の授賞理由だが、『象の旅』は、まさにその評にぴったりの小説だ。

  • ◆喝采と忘却 悲哀漂う道中記
    [評]横木徳久(文芸評論家)
    象の旅 ジョゼ・サラマーゴ著:東京新聞 TOKYO Web
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/149648?rct=shohyo

    アーシュラ・K・ル=グウィンによる『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ)評|書肆侃侃房 web侃づめ|note
    https://note.com/kankanbou_e/n/n98f987cdc85d

    『象の旅』ジョゼ・サラマーゴ|海外文学|書籍|書肆侃侃房
    http://www.kankanbou.com/books/kaigai/0481

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      【オンラインイベント情報】2022/04/29 (金) 20:00 - 21:30 木下 眞穂 × 豊崎 由美「祝!生誕100年 サラマーゴ...
      【オンラインイベント情報】2022/04/29 (金) 20:00 - 21:30 木下 眞穂 × 豊崎 由美「祝!生誕100年 サラマーゴの魅力を語る」 | ニュース | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
      https://allreviews.jp/news/5830
      2022/04/17
  • 会話が括弧で囲まれていなく、地の文と一体化しているが、不思議に読みやすい。

  • 大航海時代(日本では戦国時代),ポルトガル国王は,持て余していたインド象のソロモンを,従兄弟のオーストリア大公マクシミリアン(マクシミリアン2世)の元に厄介払い,もとい,結婚祝いとして贈る.
    当時のことなので,旅程はほぼ徒歩.まずはマクシミリアンの滞在していたスペインのバリャドリードまで届けられ,そこからは大公の一行とともに海路でベネチアまで,さらにはアルプス越えをしてインスブルックまで,残りはドナウ川を船の旅.なぜか大公が冬の移動を選んだので,象の一行は雪のアルプスを越えるなど,苦難の道をゆく.
    作者は唯一のノーベル賞受賞ポルトガル作家であるジョゼ・サラマーゴ.不勉強で聞いたことがないのだが,彼がザルツブルグのレストランで不思議な象の彫刻を見つけたことが本書の執筆のきっかけとなる.ところがこの象の旅に関しての記録がほとんど見つからず,象使いを狂言回しとして描かれる旅程は,ほぼ作者の創造の産物である.段落が区切られない,文も非常に長い,という不思議な文体だが,意外に読みやすい.象の内面は全く描かれず,象はあくまでも人にとって不可知な存在として描かれ,旅は淡々と進むのだが,理解不能な象が時折見せる思わぬ行動に,人々は驚愕し涙する.

  • ずっと気になっていた本。
    内容としてはほんとタイトル通り「象の旅」なのだが、インドからポルトガルに連れてこられ飼われていた象が、なぜ16世紀のリスボンから冬のアルプスを経由してウィーンへ大移動することになったのか、その経緯から始まり、その旅の道中を面白おかしく、人情味溢れる語り口で綴られた物語だ。
    象のソロモンと、ソロモンと共にインドからやってきた象遣いの男スブッロを中心に過酷な旅路を喜劇的に描いている。
    16世紀の旅路は、やはり今より遥かに大変だなあと思うと同時に、作中で旅の間象を護衛する兵隊長が(昔はこんなところに道はなかったろうし、便利になったものだな、昔は大変だったろうな)的なことを思っている描写があって、昔の人は昔の人で、さらに昔を思って技術の進歩を感じていたのだなあと、なんだかおかしくてクスリと笑ってしまった。

    まるで慣れ親しんだ昔話をきかされているようであり(実際史実として不明な部分に作者が脚色を施して語る昔話に違いないのだが)、卓越した落語家の長い長い小噺をきかされているような心地だった。
    最後にはなんだか、ああ、この象と象遣いの物語はこれで終わっちゃうんだなあと少し寂しくなった。
    それくらいいつのまにか、彼らに親しみを覚えてしまっている。そんな物語。

  • 動物園の動物の中で象が一番好きなので、この本を読んでみようと思いました。でもやっぱり、象の周りにいる人間たちの描写が圧倒的に多くて(当たり前か)、それがまた滑稽でちっぽけで、人間とは…っていう思いに耽りました。終盤、象が雪の中を辛そうに歩くところは可哀想で読むのが辛かった。うぅ…
    なお、象と象使いの名前は前半と後半で変わりますが、私は断然前半のが好きです‼️

  • 初サラマーゴ。
    とかく人間は勝手なもの。
    なんでも思い通りにしたがる時の権力者なら尚更。
    放って置かれ、都合よくあてがわれ、見せ物にされ、飽きられ。
    悲哀。
    そんな中でも、ささやかな喜びを見つけ生きる庶民。

  • おもしろかった!
    サヴァブッククラブはいつも素敵な出会いをくれるわ。しみじみ。

  • 象が鼠色をしているのではなく、鼠が象の色をしているのだ。

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著者プロフィール

1922年、ポルトガルの小村アジニャガに生まれる。様々な職業を経てジャーナリストとなり50代半ばで作家に転身。『修道院回想録』(82)、『リカルド・レイスの死の年』(84)、『白の闇』(95)で高い評価を得て、98年にノーベル文学賞を受賞。ほかに『あらゆる名前』(97)、『複製された男』(2002)など。2010年没。

「2021年 『象の旅』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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