約1年前、恐山に行きたくなって「恐山―死者のいる場所―」を読みました。
大きな感銘を受けて、読後すぐにこの「老師と少年」を入手したのですが、また、恐山に参詣する前に読もう、と積んでおきました。
そろそろかな、と思って、読み終えたところです。
文字数は少ない、少ないのだけれど意味するところは多い。深さと文字数は比例しないのですね。般若心経しかりです。
小説として読むと、本編のラストシーンで思い浮かんだのは芥川龍之介「羅生門」のラストシーンでした。下人が走り去った黒とうとうたる闇の世界、しかし、そこに生のエネルギーを宿した下人が駆け込んでいく。少年もまた、新しい世界で確かに生きていくのだと感じました。そして「後夜」での少女の語り口は「藪の中」を思わせます。しかし、少女が語るところは「藪の中」ではない。そこには死なないことの意味がはっきりと語られているように思います。
大好きな芥川龍之介に引き寄せすぎているとは思います。
なんとなく雰囲気は「闇中問答」に似ているかな。飽くまでも雰囲気だけです。
「恐山とは容れ物である」というようなことが「恐山」中に書かれています。
本作においても「容れ物」感が重要ではないかと読みました。
容れ物をどう作るか、中に何を入れるのか。
できることなら、恐山の宿坊で読み直したいと思います。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
小説
- 感想投稿日 : 2024年6月11日
- 読了日 : 2024年6月11日
- 本棚登録日 : 2024年6月11日
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