1996年の逝去から24年、四半世紀が過ぎようとしているが、日本人作曲家として未だに武満徹を凌ぐ名声を獲得した者はいないように思える。残念ながら、クラシック音楽の社会的地位が当時よりも低下していることを考えれば、これはつまり、彼を超える日本人作曲家が今後登場する可能性も低い、ということを示している。
本書は、立花隆が武満徹自身への膨大なインタビューと、関連するドキュメントの徹底的な読み込み、さらには武満徹の関係者へのインタビューも重ね合わせ、「文學界」での6年近い連載をベースに、武満徹の偉業を振り返るという一冊である。徹底的な取材量で知られる立花隆だけに、アウトプットとしての本書は781ページ。参考文献などはないから、この全てが本文であり(写真等のページはあるが10ページ程度に過ぎない)、武満徹という作曲家を知るのに、これより優れた本はないだろう。
本書を読んで最も印象的だったのは、後期の武満徹の作品における”フォーム”の重要性である。
西洋のクラシック音楽で最も利用される”フォーム”の一つはソナタ形式である。これは以下の3つの構造から成り立っている。
・提示部:2つの主題(片方が男性的であればもう片方は女性的、というように対立的な性格付けをされるケースが多い)が提示される
・展開部:主題の変奏、フーガ、転調などの作曲技法を元に、主題が発展していく
・再現部:再度、2つの主題が戻ってくる。そして、対立的な性格を持つ2つの主題は、弁証法的に解決され、クライマックスを迎える
武満徹はソナタ形式に代表される典型的な”フォーム”からの逸脱を志向した。しかし、弁証法という強いカタルシスをもたらす西洋音楽の”フォーム”に抵抗できる音楽世界を作るには、新たな”フォーム”を自ら作り出すしかない。それが後期武満徹の世界観となる。
この初期と後期の間には、もちろん、彼の名声を一気に広げた「ノヴェンヴァー・ステップス」の存在がある。ここでは琵琶と尺八という邦楽器の力を借りることで、新たな音楽世界を作り出すことに成功したわけだが、このような特定の楽器及び奏者を触媒とする手法には限界もある。その思索が様々な”フォーム”に基づき作曲される後期作品へとつながっていく。
例えば後期作品では、「海(SEA)」を題材として、E♭・E・Aの3音を”フォーム”として採用した「遠い呼び声の彼方へ!」などが挙げられる。そして、このような”フォーム”の存在は、リスナーにとってはどうでも良いことであり、ただ美しく強固な音楽世界を作りだすためのツールに過ぎない、という目線も重要であろう。
初期から後期までの作風の変遷を追いながら、武満徹が成し遂げた偉業を理解することができる。お勧めできる人は極めて限られるであろうが、武満徹を知らなかったとしても、音楽の創作に関わる人にはぜひ読んでほしいと切に思う。
- 感想投稿日 : 2020年4月19日
- 読了日 : 2020年4月19日
- 本棚登録日 : 2020年4月17日
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