世のお父さんたち、その手の斧を振り上げたまえ。妻を、子を、守るために。はかない抵抗であろうと、強大な敵にもひとすじの瑕を残せる時は来る。

殺し屋シリーズ最新作。今回は殺し屋をやめたい兜が主人公。
殺し屋業界でも凄腕で知られる彼は、恐妻家としても比類ない。家内安全、安全第一。普通の人生を送りたい。
これまでシリーズに登場した殺し屋たちの例外に漏れず、兜もまた謎が多い人である。
どういう境遇で、殺し屋になったのか。
その孤独な殺し屋が、奥さんと結婚して、かくも立派な恐妻家へと成長する過程とか。
いつか明らかにされるときがくるのだろうか。

愛する人には笑顔でいてほしい。大切な息子には、幸せになってほしい。
夫として、父として当然のように抱く願いには、兜の殺し屋としての人生が影を差す。
仲介業者は裏切りを許さない。差し向けられる同業者との殺し合いは、私怨を超えた命がけの緊迫感と悲壮感に満ちている。
一方で、自己都合で仕事を辞める難しさを嘆く中年男たちの姿には、悲哀と笑いが同居する。

家族もなく家庭もなく、孤独に育ち、殺し屋として虫のように生きてきた男が、家庭を持ち家族を得て、愛する者を守るために戦う人間になる。
虫から人間へ。
まっとうな人として生きるための戦い。兜が振り上げる斧の行方は――。

ぜひ読者の方には魚肉ソーセージなぞ齧りつつ堪能していただきたい短篇5篇。ページをめくるにつれ、だんだん塩味が増してくると思うから。

KADOKAWAさんの文芸情報サイト『カドブン(https://kadobun.jp/)』にて、書評を書かせていただきました。

https://kadobun.jp/reviews/83

この新幹線、降車できない――。

東京発盛岡行きの東北新幹線〈はやて〉。それぞれの目的を持ち乗り込む(元殺し屋)木村、二人組みの殺し屋、檸檬と蜜柑の果物コンビ。そして背中に七つの星……ではなく七つ以上の不運や悪運を背負っているような、気弱な殺し屋天道虫。さらにほかの業者までもが入り込み、天使的容姿を持つ悪魔的少年、王子が首を突っ込み、中学生ながら大の大人であるはずの業者たちを向こうにまわして事態をひっかきまわす。
しかもこの中学生、殺し屋相手に「どうして人を殺してはいけないの?」と問いかける。その問いは、決して正義感や善悪からくるものではないところが憎たらしい。

最高時速300キロで北へと疾走する密室のなか、一般の乗客の気づかぬ間合いで、業者同士お互いの思惑と隙とを探り合う思惑と殺気がぶつかり合う。

乗客のなかには、なんと『グラスホッパー』の主人公であった鈴木もいた。前作からはや数年、妻を喪った痛手から立ち直りつつある様子。しかし巻き込まれ体質は相変わらずで、周辺には殺し屋業の面々が集ってしまう。

禍福は糾える縄の如し、とはよく言ったもの。幸運も不運も、人生でのトータルは±0。不運が続いても嘆くことなかれ。幸運が続いても、驕ることなかれ。
駆け引き、取り引き、殺し合い、騙し合い、運を味方に、運に見放され――盛岡に到着するまで、息をつかせぬ怒涛の展開、そこにどこかほのぼのとした幕間をはさみつつ疾走する、『グラスホッパー』に続く殺し屋シリーズ第2弾。
この小説、一気に読んだほうがいい。

妻を殺された元教師・鈴木。彼は犯人である寺原長男への復讐を目論み、寺原の父親が興した企業・〈フロイライン〉で契約社員として働いていた。
しかし長男は彼の目の前で、何者かに車道に押し出され事故で死ぬ。
“押した”男を追う鈴木は、そのまま郊外の一軒家に辿り着く。そこには男の家族と思しき妻と、二人の幼い男の子。
鈴木はその家庭に、家庭教師の営業として売り込み、上がり込み、男――槿(あさがお)の正体を探っていく。亡き妻の数々の言葉に背を押されながら。
また、長男の事故現場に居合わせた殺し屋たち――ターゲットを自殺に追い込む鯨。ナイフ使いの蝉。彼らもまたそれぞれの理由を胸に“押し屋”とその行方を知るはずの鈴木を追い始める。
迷走する鈴木の復讐劇と交差する殺し屋たちは、いったいどこへ向かうのか。


「動物にね、『どうして生き残ったんですか』って訊ねてみてよ。絶対にこう答えるから。『たまたまこうなった』って」

人間でありながら虫のように、純粋な生き物そのもののように、当たり前に殺し、殺される『殺し屋』たち。一線を越えたその先で生きる彼らにも、しかしルールはある。
女性であろうと子どもであろうと、標的であれば、そして同業であれば。言い訳無用、手加減無用。
人としての道を踏み外しながら、言ってることは不思議と至極真っ当で生真面目ですらある彼らは非情で、しかし魅力的。
変わらない信号と、いつまでも途切れない回送電車の幻覚。たった一日分の悪夢のような物語。

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