
「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」という言い回しを、近ごろ犯罪報道などで時々耳にする。
これはある程度(警察側の)決まり文句で、被疑者がその通りの単語をしゃべったとも思えないのだが、犯行の動機としてわかるような、わからないような、宙ぶらりんな印象を受ける。
この小説は、その辺の曖昧さをえぐろうとする。
ネットを通じて相方となった見知らぬ同士の2人組が、歯科医夫婦と子供の4人を強殺する。
(最初は犯人像そのものがつかめない、ネット社会の闇を描くのかと思ったら違った)
2人は、犯行およびその後のずさんな行動のゆえほどなく逮捕されることになるが、調べが進んでも動機や殺意が一向に明らかにならないのだ。
小説は、調べの様子や調書をたんねんに描き出して行くが(その特異な文体を思う存分書こうというのが、例によって作者のもう一つの動機かも)、犯人の答えは「わからない」とか「なにも考えていなかった」に終始する。はぐらかしたり嘘を言っているのではなく、そうとしか説明しようがないらしかった。
犯罪(起訴事実)を構成するためには、明確な動機や殺意の有無が必要だという。確かに我々も、なにか事件報道があった時にそういうストーリーがあれば安心する面がある。
しかし、言語がそもそも意志や感情のごくわずかの部分をシミュレートしたものにすぎない以上、それが動機や殺意すべてを表せるはずがない。
ある動機があったとして、それをたとえば「α」とする。
だが言語に引き写した時点で、それは「α」辺縁のもやもやしたものが削り落とされ、結果的に「a」や「A」という、少し違った形しか表していないかも知れない。
「α」を「α」と表しうる、外形的な明確さというものが果たして存在するのか? その辺をあぶり出そうというのが小説の主題のようである。
これは例の合田雄一郎シリーズの最新刊。
犯人に相対する主人公は、例によって「考え過ぎの虫」のキライはあるが(刑事には向いていないのでは、と思われる(笑))、突き詰めて考え過ぎると答えがなくなる、ある意味人間存在の不如意をよく表現していると思う。
後半は地味な問答が続くが、面白かった。
- レビュー投稿日
- 2019年6月19日
- 読了日
- 2013年9月30日
- 本棚登録日
- 2013年9月30日
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