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p17〜19 デカルトの我〜我=第一と第二の私、キルケゴールの自己=第三の私
p21 フロイトの自我とエス=第二と第一の私
#第一の私は非言語であり、第二と第三の私は言語内存在である
p22 岸田秀「自我=欲望」その欲望は自我を安定させようとする。それが欲望の本質。
#欲望の源泉は存在不安の解消である
欲望=物語の形をとる、物語は他人の借り物
#物語=言語である以上、創作に際限はない。そこで形成される自己も様々な物語の影響を容易に受けて安定しない。
p31 青年期のアイデンティティの希求は、社会にむき出しになり始めた自己が、拡大していく不安に対してとる態度。
p38 人間の他人に対する愛は、「私」への愛をテコとしてのみ育て上げられる。〜この「私」という欲望こそが人間の関係的な愛の源泉でもある〜。
p81 #「欲望存在」は「消費者」に近い違和感。欲望の根源には不安がある。「不安」が関係や物語による自己の対象化を欲望する。
p89 人間は自分の欲望が何であるかを、最後の最後までは分析できない存在〜
#人間の欲望の根源は不安の解消。
第4章不読
p154 世界とはある客観的な秩序を持った大きな容器〜哲学的な考え方からは〜もはや時代遅れ
#対象は変わらずそこにあって我々の認識(期待)が変化する。
p161 古典的な「真理」や「客観」〜に対しては、すでにニーチェが徹底的な批判〜。〜ある共同体にとって都合のいいルールが「真理」と見なされていたにすぎない、〜「真理」や「客観」を“発見“することではなくて、どうやって〜新しいルールを合意として導くことができるか〜。
p177 〜「よい」ものか「悪い」ものかを決定するのは、〜面白いか、面白くないか、ということだけ〜
#エロス原理にはもう一つ同意できないが、これには同意。活動を動機づけるものをエロスと呼ぶか不安/期待と呼ぶかは大差ないのかもしれない。
p185 私の考えでは〜
p191 人間の生のエロス性の源泉は〜ルールによって成り立っているゲームであることからきています。
#ルールが先??
p203 〜「外圧」がものをいいます。
#外圧は存在を不安に導くから?
p229 〜まずは自分の社会のルールが、少しでも開かれる方向にあるかどうかをよく注意することのほうが、より重要なことです。
p234 その理由は人間が時間を生きる存在〜。
#記憶機能が時間を措定する。時間はそれ自体で存在しない。
p235 死のルールがバラバラだと、共同体は成立しません。
p236 死が何であるかまったく分からないと、生というゲームの意味がなくなってしまう〜。
#自我の消滅として仮定された「死」は「生」という壮大な物語(意味)を打ち立てるが、死が生に意味を与えるのではなく、両者は不可分であり、死ぬからこそ生きられる。
p237 〜エピクロス〜
#中観に近い発想か。
p242 〜この社会的存在ということも、今では大した意味を人間に与えなくなって〜。〜エロスゲームの世界になりつつある。
#不安の解消は他者からの承認が重要。「私」が言語内存在である以上、利己的なエロスの追求では解消されないのでは?
p251 〜じつは人間は自我というものに縛りつけられ、こだわっていることが一種の大きな緊張になっている。
p270 〜
二人の思想家は〜むしろ大きな問題をわたしたちの課題として〜。〜救済の物語を失って〜、人間はその自己中心性を超えられるかどうか〜
#自己中心であっても人間は他者の承認を自らの根拠とするため、期待の交換が成立しない領域で自己中心的に振る舞い続けることはできない。従って、自他相互の期待の交換が循環できる社会、世界こそが目指すべき社会像であり、自己像である。またその期待の循環のための物語(フィクション)を生み出し続けることが人間の営みの全て...

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2018年5月19日

読書状況 読み終わった [2018年5月19日]
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p28 「読む」ことはまた「創る」ことであり〜アルキメデスが〜比重の原理を発見したのではなく創った〜ロゴスにもとづく理論は〜壮大な虚構の想像なのである。
p72 〜語の反復可能性故に対象や意味の自己同一性が錯視されるのである。〜自存的・超越的<意味>の否定〜<意味>とは〜辞項間の<差異>からしか析出されない、〜テクストのなかにおいてのみ生ずる〜
p74 〜ラング化される前のランガージュは象徴作用が生ずる現場の〜そこで絶えずゆれ動く差異は〜既成の観念や事物の代行・再現物ではない。
p135 私はもう一人の他者である〜<我思う>と言うのは誤っている。<非人称の誰かが私において考える>〜
p140 「ノーマルな人間は主語の〜、古論理的思考を行う精神分裂病者は、述語の同一性にもとづいて同一性を受け入れる」〜イエスと葉巻の箱とセックスの同一視〜
p231 いかなる現象にも<意味>を探そうとする表層のロゴスは、人びとを真面目にさせ息詰まらせる。まじめな人間は事物の背後にありもしない宝探しに血道をあげて、文化という美しい虚構を楽しむことを知らない。

2018年4月17日

読書状況 読み終わった [2018年4月17日]
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p26 〜すなわち「〜として」〜規定されることで私たちが日々経験する世界は成り立っているのである。
p36 「生命」とは何かを明らかにするという大問題が横たわっている〜井筒が正面から取り上げた形跡もない。
#それは生命もまた無限に分節が可能であるから。
p51 〜意識と存在のゼロ・ポイント〜この地点が単に何もないのではなく、存在への動向で充満しつつもいまだ何のものの姿も見えない(空)という事態〜
p57 「無分節は、すなわち、分節可能性」〜「理」的観点から捉えられた「空」は、〜一種の「力」「エネルギー」の塊の如きもの〜
p58 アラビーの〜「存在」を存在エネルギーの働きという流動性において直覚すること
p60 分節と無分節とは同時現成。〜哲学者は「複眼の士」〜「空」と「色」とを一緒に見る。
〜このようにして「理」と「事」は何の障礙もなく重なり合っている
p78 言語によって、世界の知覚的解像度がぐっと高くなるのだ。
p81 ところがその知覚は、ひとたびそれに「支え」られて〜最初から言語によって規定される〜
#言語は共有される事で保たれるのであり、それ自体で自立しない。「西洋」哲学の残滓では。
p99 そのつど、世界は一から全てを一挙に創り出して止まないのだ。〜それらを連続的に結び付ける何ものも見出されない。〜<いま・ここで〜>の内にそれ以外の全ての時と場所がそのつど包摂される〜
p107 〜アラビーは、「有=存在」の前に、〜「無」が位置すると考える。
#無は有の後にのみ現れる。有以前は空。これが著者を混乱させている?
p115 #筆者の葛藤は何か?点が打たれたと同時に地が現れる。その地は点が打たれる前には存在しないが、それを便宜的に空などと呼んでるに過ぎない。
p117 井筒における「無」と<「無分節」の「存在エネルギー」>の同一視ぶりは徹底している。〜「無分節」と「未分化」は決して同じ事態ではないが〜
#無の捉え方が違っているのでは。筆者は無を何もない空虚=0と考えている?井筒の無は言わばnull。
p123 本書が、言葉の厳密な意味での「無」が〜
#恐らく著者は出発点が違っている。「無」もまた言葉であって不動ではない。ある事象、対象を例える時にできるのは、様々な言葉を用いてそれに迫ろうとする事だけである。
p123 〜分節線が引かれるとは、〜「存在」が何らかの仕方で「無」に触れることによって〜生じうる。
#空→分節は観察者の認識(心、呼びかけ)によって生じるもので客観的な無と有の対比はいらない。客観的な無もまた有であって、空と無が並ぶことはない。
p144 〜「空」と「無」の決定的差異が看て取られているかもしれない〜
#差異はない。そもそも対象を何と呼ぶかは局面に寄って変わる(ずれる)。その曖昧さであり自在さが「西洋」的哲学と根本的異なるのではないか。
p158 〜「空」ということそのことの根拠が脱落していること、〜本書の言う「無」にほかならないはず〜
#それが「無」ではなくて「空」である。「有」を遡って「無」を設定すると筆者の捉え方になり、空→(有→無)→空が井筒の捉え方か。
p172 アヴィセンナ〜存在は〜白さとか赤さとかいうような普通の偶有とが根本的に違う〜
#偶有とは「仮有」に近い?どちらも観察者による認知・呼びかけによって生起する。それ自身で「なる」ことはないのでは。問題はこの観察者は「存在させる」が、それ自身で「存在しない」ということ。
p182 〜普遍的「本質」が個的実在性に「転換・転成」したのではなく、両者が「重なり合う」或る新たな次元が開かれた〜
#筆者の言うように個的実在性に普遍的本質が「重なる」のであり、転換するのではない。ただ普遍的でも個体的でもない究極の実在という設定は不要ではないだろうか。個的実在の「振る舞い」...

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ネタバレ
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p8 問題を共有する人間が、かつて確かに存在していたということこそが、救いだったのだ。
p43 「自己」という様式で実存する
p46 「自己」という実存様式は、〜自意識として現象化する。〜自意識的実存であり、言語内存在なのだ。
p47 これとまったく同じ理屈が、「私がいる」という認識〜にも作用している

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p145 季語が動くは創作全般に当てはまる

2018年1月24日

読書状況 読み終わった [2018年1月24日]
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p63 (ヨブ記の)作者は、神が善であることを信じ、ヨブが善であることも〜。〜神は全能であるという信念を放棄しようとしている〜。
p79 神が第一に重きをおいて考えていたのは、混沌とした宇宙に秩序と規則をつくり出すことでしたp81 行き当たりばったりとは混沌の別名〜神の創造の光が届いていない〜混沌は悪〜
p126 神にできることは〜人間のことを、憐れみと同情の念で見つめることだけ〜
p175 古い中国の物語に〜「悲しみをまったく味わったことのない家庭へ行って、からし種を一つもらってきなさい。→ブッダのキサーゴータミーのエピソードか。
p187 ジャックリーマーの詩→神はすでにすべてを与えてくれている。我々の使い方が悪いのだといった意味か。神の信じ方として無理が少ない。p189 祈りが私たちにしてくれる第一のことは〜祈りによって繋がることができる〜
p204 苦しみを乗り越えるための力と勇気を与えてくれるのが神なのです。
p205 神は実在しており、〜絶えず私に確信させてくれる事実は、祈る前にはもちあわせていなかったそれらのもの(力や希望や勇気)を、ほとんど例外なく得ている〜→祈り=言語化による作用を発生させるシステム?
p215 私は神の限界を認識しています。
p218 〜出来事は、その発生時においてなんの意味も持っていないのだと考えたら〜。〜私たちのほうで意味を与えることはできます。私たちのほうで、それら無意味な悲劇に意味を持たせれば良いのです。
p219 自分の悲しみの責任者を告発することは、孤独な人間をより孤独にすることでしかない

2018年3月15日

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