過去を克服するためには未来が必要なのではないか。アンドレイは愛する妻や子を失い、自身も捕虜としてドイツ軍に従事することで、人間として尊厳を徐々に失っていく。「p50しばらくの間、習慣で頭をすくめたものだ。殴られはしないか、とでも思うようにね。つまりドイツの収容所が、そんなくせをつけたわけさ…」過去に捉われた彼が出会った戦争孤児の少年。この少年がアンドレイにくっついて離れようとしないのもまた、彼もまた心に傷を負っているが故だろう。アンドレイも少年も、お互いがお互いに未来を見ていたのかもしれない。
アンドレイは妻に対して辛くあたることもある。けれども心の奥底では妻を愛しく思う、この二面性。他の作品、『子持ちの男』(止むに止まれず息子を殺す父親)や『るり色のステップ』(孫が目の前で犠牲になった過去を語る老人)でも、描かれるのは妻や息子など肉親に対する激しい暴力性と、それとは真逆の優しさだ。戦争という非常事態でこそ、この二面性が強く現れるのだろうか。それともこの二面性こそが、ロシア人の本質を表しているのだろうか。
ところで所々に出てくる「仕えただから」とか「飲むといいだ」とかは、方言を表しているのだろうか?(というか、田舎といったら何故東北っぽい言葉を使う?)原文は分からないが、仮に田舎であることが分かるような書かれ方だとしても、こんな言い回しは却って不自然でなんだかイマイチ。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
古典名作
- 感想投稿日 : 2013年4月4日
- 読了日 : 2013年4月4日
- 本棚登録日 : 2013年1月27日
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