アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)

  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (455ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794913364

感想・レビュー・書評

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  • ただ好きだと言うだけで、
    誇らしい気持ちになれる、作家!

    デンマークの作家、カレン・ブリクセンは
    ほとんどの作品を英語とデンマーク語で書き、

    英語版は、イサク・ディーネセン(アイザック・ダイネセン)と言う男性名で
    デンマーク語版は、カレン・ブリクセンの名で発表している。

    それだけでも少々ややこしいのに、
    ちくま文庫の「バベットの晩餐会」の翻訳者後書きでは、
    ディネーセンとなっている表記があるけれど、
    断固「ディーネセン!」と鼻息荒く立腹しておられるご様子。
    そしてこの晶文社のシリーズはディネーセン…ハハハ

    こちらの本は、『ライ麦畑で捕まえて』で、
    ホールデン・コールフィールド君が、
    「読んだ後に電話をかけたくなる」と言うシーンで有名でもある。

    内容は、作者が北欧の貴族社会を捨て、
    アフリカでコーヒー農園を経営し、
    またその地を去るまでの十八年間の自伝小説。

    アフリカの地に馴染み、現地の人々にも受け入れられ、
    愛されている主人公。

    ある日出会ったカマンテ君、
    そののち、主人公の家で働くようになり、一流のシェフ並みの腕前になるのだが、
    白人社会でもてはやされる一連の事について冷笑的ですらある
    彼の言動がある意味衝撃。
    また、そんな彼も王族には弱く、訪れて彼の料理を褒めた王子のエピソードを
    なんとなく水を向けて話させるところが面白い。

    この料理についてのところをよむと
    「あ、もしかして…」と
    『バベットの晩餐会』に思いを馳せたりと楽しい。

    側近として活躍しているファラと言う男性と、
    主人公の仲の良い男性の側近が、憎しみあっている種族で
    いつ殺し合いになってもおかしくない状況ではあるが、
    お互い主人の忠誠心から、それを抑えていると言うのが
    実は大変な事なんだけれど、なんだか可笑しい。

    現地の人から白人は、象徴として、記号として、
    お守りとして、マスコットとして
    扱われる。

    また、あだ名をつけられるのが面白い。
    (ケチで人を呼んでご馳走したりしない人を「一人分の食器」など)

    大自然の中、沢山の野生動物との出会い、
    美しく我儘な鹿のエピソードも印象深い。

    また、飼っている犬が本当にふざけて、
    そのあとも笑い転げていると言う
    話が、犬好きの私としてはたまらなかった。

    現地では、結婚と死がお金になると言うのが、
    結婚はわかるけれど、死の方はどうしても馴染めなかったが、
    現地の人にとっては、服役などで「罪を償わせる」と言う事のほうが
    まったく理解できないそうだ。

    本当に色々なことが起こる、
    嬉しいことも、怒り狂いたくなるようなことも、悲しいことも。

    それを、この冷静な筆致で、
    しかも臨場感を併せ持って表現できているのが、
    他に類をみないと思う。

    ある人との別れのシーン、
    やっぱりこの世を離れるときは
    運命と言う、抗えない、どうしようもない大きな力が働くのかな、と感じた。

    作者は、この本に写真を載せることを拒み続けたとのこと。

    素晴らしい作品になると、その作品自体が作者から離れて
    個性を持ち出すと言うか、
    また、商業的なものにも巻き込まれやすくなるという気がするが、

    でもそんな中、最高の形でその作品がこの世に送られるように
    守れるのはやはり作者なのだなあ、と思った。

    ひたすら、ただ心静かに、
    自分の感情に寄り添うことだけを楽しめる、
    素晴らしい読書体験。
    私はやっぱり本当に
    本を読むことが好きだなあ、と実感できて嬉しい。

  • 「アフリカは一瞬にして果てしなくひろがり、その大地に足をふみしめるデニスと私は無限に小さくなった。」

    20世紀前半、アフリカで農園を経営したデンマーク女性の回顧エッセイ。
    時代もあるにしても現地の人々はもう同じ生き物と思っていないくらいで、その一種無邪気なくらいの偏見に前半は読むのがしんどかったが、文章がめちゃくちゃに良いので、読むのをやめられなかった。
    手帳につらつら書いたこと、という体裁で、短い話が並べられている4部は、寓話や神話のような色合いを帯びている。
    そして、農園を手放さざるを得なくなり、大切な人も失う5部は胸が詰まる。
    圧巻の文章力だった。
    筆者の小説も是非読みたい。

  • すべてが言葉だけで語られたというのが信じられないくらい、ケニアの風景や生き物たち、人々の暮らしぶりが鮮やかな映像として記憶に残っています。うっとりしながら読みました。すばらしい時間だった。

  • ディネーセンの1914年から1931年まで18年間にわたるアフリカでの農園経営をもとにした小説.小説と呼ぶにはちょっと躊躇するところがあって,それはこの本に書かれていることの多くが,著者の経験に根ざしていることを感じさせるから.
    ともあれ,これほど読み応えのある本を読んだのは久しぶりだ.速く読むと味わいが薄くなり,ゆっくり読むしかない本.

    まず,あらゆる感覚を研ぎ澄ませたアフリカ高地の描写がすばらしい.夜空の星,植物の香り,動物の鳴き声,澄んだ空気の感覚など,ダイレクトに伝わってくる.自然ばかりではなくて,飛行機に乗って自分の農園の周りを飛ぶ時の感情の解放感の表現など,たかぶるのではなくて,ぐっと抑えた感じがなかなかまたいい.
    私は自分とあまりに縁遠いアフリカのことを何も知らなかったし,知ろうともしなかったことに気づいた.ディネーセンの筆致は冷静だが愛情に満ちているて,いろいろなことを教えてくれる.

    この本の表紙はパリにある一角獣のタピストリ.なぜこれが選ばれているのは訳者による解説でわかる.つい最近,この作品が文庫になったと知った.多くの人に読まれるようになるといいと思う.それでもこの30年以上前にでた版は,表紙の一角獣を含めて活字本のよさを感じさせる.

  • ディーネセンは『バベットの晩餐会』が有名だけれどもこの本はその前に書かれている、男爵と結婚してアフリカ(ケニア)にわたり農場の経営者となるのだが、そこで現地の人々とのかかわり合いが丁寧に描かれている。
    おそらく医者の免許は持っていないのだが、現地の人々の怪我や病気の人の面倒をみたり、火傷には蜂蜜を塗ってあげたりしているうちに、手先の起用な子供が料理が得意だということがわかり調理の使用人になる。筆名はアイザック・ディーネセン(男性の名前)、本名はカレン・ブリクセンであり、ブリクセン男爵夫人とも呼ばれたが、もちろんそんなことはアフリカの人々には関係ない。自宅には時々ヨーロッパの要人が来客してくる。この物語の語り手はどうも女性であるらしいというのはだんだん分かってくるのだが、あくまで著者は男性名なのである。
    現地人の独特の言い方、考え方には日々発見がある。丘の火事を知らせるのに「神がやってくる」と伝える言い方にはっとさせられる。しかし神もいろいろなのだ。アフリカで信者を獲得しようとするキリスト教にも複数の宗派が存在し、回教徒(イスラム教徒)もいたりする。はたして神に違いはあるのか。
    あるときは美しいガゼルの子を見つけて自宅で飼いならす。可愛さのあまり犬より手厚くもてなすが、成長したある日ふいに屋敷から出て行ってしまう。その後、パートナーの鹿と子供を連れて庭に帰ってくるシーンには心動かされる。

    今の時代に日本語で読むことになる読者は、著者が「カレン」という名の女性であることを知っているわけで、男爵夫人のはずなのに、本の中に旦那がどうして出てこないのかと思えば、出版は「アイザック」という男名なわけで、性が分かるようには確かに書いていないのであった。(後で分かる箇所がある)
    ヨーロッパの白人女性がアフリカでこんなふうに暮すのかと知ることができるということは純粋に面白く読める。映画『愛と哀しみの果て』の原作。

    長い本だった。長い旅をしているような読書だった。あとがきにまた別の物語がある。男爵夫人となったディーネセンは気の毒にも夫に性病をうつされて治療のためにヨーロッパに戻ったこともあったとか、ハンナ・アーレントはそれを知っていたらしいということまで今となって分かっているのだが、さすがに梅毒云々というところまでは本には書かれていない。
    おそらく多くの人が読んだであろう、歴史がある手垢のついた本を、図書館から借りて読んだ。その共有すら、愛おしい。

    **

    ちなみに村上春樹の『1Q84』BOOK3単行本p105に天吾が看護婦に『アフリカの日々』を読み聞かせるシーンがあるが、サリンジャーの『ライ麦』にも『アフリカの日々』が登場するシーンがあり、春樹はそれを意識しているのかもしれないが、どう繋がるのかはいまいち不明。

  • 名著というものの条件を問われたら、すかさず「再読に耐える著作であること」と答えたい。世の中には、一度読めば十分といった書物が少なからずある。いや、一度読むのさえ無駄と思えるものの方が多いと書くと、語弊があるのかもしれないが。

    加藤周一の「読書術」を読んだのは、僕が大学生の頃のことであった。そこには、何を読むかではなくて何を読まないかを考えて、読書する術が述べられていたと記憶する(何分、彼の著書を読んだのが四半世紀も前のことなので定かな記憶がない)。それ以来、僕は、何を読まないかということを意識しながら、本を選んでいた(と思う)。普通、人は、何を読もうと思い、本を探すわけであるから、僕の行ってきたことは、一般から逆行しているわけである。

    「少年老い易く学成り難し」ということわざからも分かるように、一生の間に読める本の数などたかが知れている。読めて数千冊である。いかに無駄な読書を行わないようにするか、もしも無駄な読書を行うぐらいなら、自分の考えを深めたいのだと生意気なことを考え始めた十代後半の僕は、そんな思いを抱いて、学校の図書館や、書店や古書店をうろついていたし、今もなおうろついている。
    そうなると不思議なもので自ずと読むべき本が限られてくる。流行の書物は敬遠するようになる。実学書も敬遠する。明日にも価値がなくなるものに時間を費やすわけにはいかない。金の亡者ならぬ、時間の亡者となった僕の選ぶものは、古典文学であるとか、思想書といったものばかりとなったことはいうまでもない。
    読書術といったものを意識するようになってからはやいもので四半世紀が過ぎたが、未だに僕は、自分がこれまで選んできた術が間違っていたとは考えていない。もうここまで続けてきたわけだしするから、明日も同じことを考えて書見するのである。

    このように自分にとっての名著の条件をくだくだと述べてきたのも、これから書く「アフリカの日々」を、僕にとっての名著の一冊としたいので御託を述べたまでだ。それほど、感動的な一冊であった。さて、これだけ動かされた心のことをどのように人に伝えたらいいだろうか。

    まず断っておきたいことは、「アフリカの日々」は、記録文学ではないし、ここに物語られている内容は珍聞奇聞といった類いのものでもないということである。アフリカという遠く離れた地域に起こる、珍妙な物事を書くだけでもアフリカを知らない人々の興味や関心を惹くことができるだろうし、それはちょっとした読み物になるだろうから。
    なるほど著者は、西欧からやってきた人間であり、この地を訪れた当初は、見聞きするさまざまなことが新奇であったにちがいない。だが、彼女は旅行者ではなかった。自分の土地を所有し、自分の家を構え、大地からの恵みで生計を立てることにより、アフリカに生きたのであった。彼女は自然の中で生活し、この地に生まれ生活する人たちとともに人生を送った。

    自然は彼女の生活の糧ともなったが、ときに猛威をふるい、襲いかかってくることもあった。雨期が訪れないだけで、農園経営は経済的に大打撃を受けてしまう。「雨のおとずれをむなしく待つ日々をかさねるにつれて、農園の見とおしは暗くなり、希望は消えていった」。降水量が数インチ少ないだけで、コーヒー豆の収穫量が減収してしまう。イナゴが群れが農園を通り過ぎるだけで、「河岸につくっていつも水をきらしたことのない私の菜園はただの土埃と化し、花も野菜も香草類もすべて消えうせていた」。これらはあくまで一例に過ぎない。
    だが、どんな苦難の中にあっても、彼女には、「この高地で朝目がさめてまず心にうかぶこと、それは、この地こそ自分が居るべき場所なのだというよろこびである」と感じられるのであった。

    自然だけではない。彼女のもとを訪れる動物や人間達もまた彼女のアフリカであった。
    屋敷を出入りする無邪気なハウスボーイ達や、彼女の忠実な雇われ人ファラとの平穏な生活。ルルと名付けた幼いアンテロープがやがて成長し自然に帰る様を描くディネーセンの筆は、まるで人間について語っているかのようである。アフリカの大地では、人間さえ動物と同じ大地に暮らす生き物の一種と意識される存在なのである。
    やせこけた体をして、ほかの子供達から離れて生きるカマンテは、彼女の農園で土地を借りている者の息子だ。「ごく幼いころ、彼のなかでなにかがねじまがり、封印されてしまったのだ。そして今、彼にとっては正常なものが異常だとして受け取られるようになっていた。彼はまことの侏儒の魂の傲然たる偉大さをもって、自分のこうした隔絶状態を認めていた。全世界に対して自分が異物であるなら、逆に彼にとっては全世界が異物であるとするのだ」。彼女は後に彼の中に宿る料理人としての才能を開花させる。
    かつての戦闘種族であるマサイ族は周辺の部族から恐れられた存在であった。だが、いまや馴化され戦うことを禁じられてしまった彼らは保護区の中を移住するだけの存在となっている。飼いならされてしまい、牙を抜かれてしまっても彼らの中にはいまだ気高さが息づいている。
    「盲目になって農園にたどりついた」デンマーク人のクネッセン老は、死ぬまでのときを孤独な生き物として「自分のみじめさに打ちひしがれ道を歩きまわった。そのみじめさの重みを荷なうことで力を使いはたし、長いあいだ口をきかなかった。時たま話すことがあっても、その声は狼かハイエナの要に悲しげだった」。
    これらは登場人物のほんの一部に過ぎない。

    こうして書いていても、この物語に登場する一人ひとりがあまりに魅力的であり、一人ひとりのことを詳しく紹介したい衝動にかられるほどである。中でも、僕の好きな登場人物は、エマヌエルソンとデニス・フィンチ—ハットンだ。

    何もかもに失敗したエマヌエルソンは、ひとつの賭けに出る。ナイロビを飛び出し、ライオンやマサイ族がうろつく草原をまるっきりの手ぶらで渡り、90マイル先にあるタンガニーカまでの徒歩旅行にでかけるというのだ。それは現地の人たちにとても無謀な、死を意味する行動であった。その旅にでかける前夜、彼はディネーセンの屋敷で夕食と一晩の宿を乞う。
    「このごろひとつ考えついたことがありまして、いくらか突飛にきこえるかもしれませんが、つまり、全人類のなかで、誰かがいちばんつらい立場を荷なわなければならない、ということなのです」。
    このいくぶん滑稽であり、また悲劇的でもある告白に込められたエマヌエルソンを自分の中に認めない人間がいるだろうか。

    デニスの死は、本作のハイライトといえるものだ。が、僕はあまりに語りすぎた感がある。

    アフリカのあまりに厳しく、あまりに雄大な自然を緯糸とするならば、さしずめこの物語に登場する数多の人たちは縦糸に相当するだろう。それらの糸が交叉して織り成されるのが、大地と人間との讃歌である、この「アフリカの日々」である。
    間違いなく名著であり、再読に絶える作品である。

  • 映画『愛と哀しみの果て』が良かったので、原作も読んだ。淡々と手帳に書かれた日記を読む感覚で、美しいアフリカの風景の中でよ波瀾万丈の農園経営に苦労する日々が続く。『ピダハン』よアフリカ版的な側面もある。
    しかし、いつも読んでいるSFと違って美しい文章に酔いしれて、読むのに時間がかかってしまった。

  • 約100年前の物語。デンマークの女性がケニアで農園主として過ごした17年間の生活の記録。

    1つ1つの挿話がスケールが大きいランドスケープ中の出来事であることと、ヨーロッパ人から観察したアフリカの人々の思考様式がとても独特であるため、スピードリーディングに向かなかった。読み始めてから読了まで10年ぐらいかかった。

    良い読書体験だった。

  • 1914年から1931年、著者はアフリカでコーヒー農園を経営し、アフリカで過ごした日々を懐古した本。
    映画「愛と哀しみの果て」の原作でもあります。
    アフリカの自然、土地の人々、とにかく美しい。

    友人が以前アフリカへ旅をしました。この旅は楽しい旅ではなく、つらい旅だったはずなのに、戻ってから私に話してくれた。「アフリカはすばらしい。価値観が全く変わるよ。」
    きっとこの本に書かれていることがそのままだったのでしょう。

  • 男爵夫人となった白人女性が女領主のように過ごしたケニヤでの日々を回想して綴る。執筆の男性はソマリ人で、住民のキクユ族は彼が羊飼いのようにまとめている。マサイの人々は戦いを封じられた戦士であり、、、など、微妙な力関係などが興味深い。
    著者はアフリカの人々、動物、自然それぞれに精神性をみてとり、気高さを見い出す。

    それはある意味、白人女性の美しい誤解や理想化の賜であって、真のアフリカの姿とは言えないだろう。しかし、アフリカを故郷と呼ぶ白人のメンタルに個人的に興味があり、参考になった。

    メリル・ストリープが演じた映画は全編ラブストーリーなのに対し、この原作は恋人のことを語るのはー章分に抑えられている。ただしこのー章に物凄い恋愛を感じた。
    著者は強い女性としての自分を書こうとしたが、周囲では映画の主人公のように周囲には映っていたのではないのかな。
    自然描写が美しく、第一次大戦から戦間期の、白人富裕層にとって楽園のようなアフリカへの募情あふれる作品。

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