学校でできること 家庭でできること 本当の学力をつける本 (文春文庫 か 35-2)

著者 :
  • 文藝春秋 (2009年4月10日発売)
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感想 : 9
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 新学力観とか生きる力とか、はたまた学習指導要領における授業時間の削減とか、教育現場に押し寄せる改革の波には教員の九割がとまどっているというデータが日本教育社会学会で発表されたという(「朝日新聞」二〇〇二・九・二二)。総合学習(総合的な学習の時間)についても半分以上の教師に不信感があるようだ。
 その根幹にあるのはこんなことで子どもたちに学力は保障できるのかってことだよな。口先だけの観念的な学力をどうこう言ったって、子どもたちが生きていくのに必要な知識や能力が身についていなければそれは教師だけの授業改革ごっこに終わってしまうからだ。
 言うまでもなく、授業(改革)の目的は子どもたちにどれだけ学力をつけたかということで、その学力っていうのは何だろうか。私たちは学力保障という形で子どもたちに学力をつけてきたけれど、「同和」教育の中では解放の学力とか何とかわけのわからない抽象的な学力観を語り、基礎・基本だとか、新学力観とか、生きる力とかいう文部(科学)省のもっともらしい学力観も鵜呑みにして、お茶を濁してきたのではなかろうか。
 本書の著者は兵庫県朝来町立山口小学校という田舎の小さな小学校の教師だ。この田舎教師の実践がなんでわざわざ本になったりしているのか、というと彼が四年間教えた五〇人の卒業生のうち二割くらい(十人ばっかり)の子どもたちが難関大学に合格していたという自慢話によるのだ。実際、この数字は都市部の有力進学校の数字を凌ぐものかもしれない。学力が進学実績だけではかれるものではないと多くの偽善的な教師は言うかもしれない。しかし、この教師は小学校の教師であって、受験指導をしたわけじゃない。受験勉強をしたのは子どもたち自身であり、子どもたちに何らかの学ぶ力がついてたってことだと考えることもできる。
 で、その秘密を本書に求めてみるとそれは基礎学力だというのだ。さて、それじゃ基礎学力とはなんじゃい、ということになる。本書によれば「山口小学校の一〇年余にわたるプログラムの基本は『読み、書き、計算』という基礎学力を反復練習によって徹底させるということ」だったそうな。「なんだ、それだけかい!」とムッとくるかもしれないけれど、けっこう大切なことをこの陰山センセは言っている。基礎学力というのは後々自分で学ぶときのまさしくモトになる力だ。その意味ではきちんと読み書きができなければ何も学習できないし、理系ならばきちんと計算するという力がなければ前へは進めない。ただそれだけのことなのだけれど、それを愚かな高校教師のように詰め込んだって基礎学力にはならない。たとえば陰山センセは音読を薦める。音読といえば『声に出して読みたい日本語』(斎藤孝著)なんてのがベストセラーになってましたなあ。僕は買ってないけど…。とにかく体感的に言葉を学ぶ、これはだいじやね。
 そして基礎学力の上に総合的な学習をするのだという。その過程ではたとえば「歴史上の重要人物は漢字で覚える」ことを提唱している。その漢字を習ってないからといって一部を平仮名で教えるなんて総合的な学習の基礎にもとるってことだ。そういうと基礎学力とは何かが少しは想像つくのではないかと思う。
 学力論争はさかんだけれど、学力論に関しては良心的な人ほど観念的であったり、一方で受験偏重の注入的な指導がまかり通っていたり、楽しくない反復練習が押しつけられたりしているのが現状みたいだ。基礎学力とは何かの基本に立ち返って基礎学力について考えてみようや。


★★★★ 「百ます計算」にはじまり、具体的に基礎学力を与えていくノウハウが載せられているのでハウツーものとしても使える。この陰山センセ、今やあちこちで引っ張りだこらしいけど、学力保障の理論が枯渇してきたり、実績が上がっていないと思ったら読んで見るべし。ふと振り返るとわれわれ教師自身の中にもこの基礎学力が不足している人間がいるみたいだということに気がついてしまった。だって後から付け焼き刃の受験技術で間に合わせてきたお友だちが多いんだもの(苦笑)。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 教育
感想投稿日 : 2010年4月5日
読了日 : 2010年4月5日
本棚登録日 : 2010年4月5日

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