師範学校制度史研究―15年戦争下の教師教育

著者 :
  • 北海道大学図書刊行会
5.00
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 1
感想 : 1
5

 相次いで師範教育史に関する二冊の大部のそれも独自の課題意識を持った著作が公刊されたことは喜ばしいことである。そのひとつは逸見勝亮著『師範学校制度史研究 15年戦争下の教師教育』であり、いまひとつは三好信浩著『日本師範教育史の構造 地域実態史からの解析』である。従来の師範教育史が不毛であったとはいわないが、研究の視角や課題意識において必ずしも満足のいくものでなかったことは両氏それぞれに想いがあったようである。

 逸見氏はこれまで一貫して一九三〇年代以降戦時体制下の教育史に関心を持ちつづけてきている。なかでも師範教育に関する氏の研究はかねてより学会等で注目されてきたものである。本書はそうした氏の師範教育史研究の蓄積の集大成といえるものであろう。逸見氏の基本的姿勢は旧来の師範教育史研究が単なる概説の域を出ず、その視点も師範学校の教育がいわゆる「師範型」の教員養成を行っていたことの批判にのみ終始していたことに不満を抱き、師範教育のあり方を構造的にとらえようとしている。逸見氏はまず現代の教育状況における歴史認識の欠落を指摘し、国民の思想形成に直接的に関与してきた教師教育史の再構成が切実な課題となっていることをうったえている。それはとりもなおさず、従来の教育史研究がややもすれば陥りがちであった没価値的な研究姿勢に対する警鐘でもあろうと考える。そうした逸見氏の師範教育史研究に対する取り組みの姿勢は「師範学校と軍隊教育を共通項で把握しよう」(序章)という視点に立っている。この視点は至極当然の視点であるように思えるが、従来の研究者がとりあげてこなかったという意味で新鮮な刺激を受ける。
 また、本書では近代日本の教育体系を小学校↓中学校↓高等学校↓帝国大学というように初等教育から高等教育へ連なる体系と小学校から実業補習学校、実業学校、高等小学校など初等ないしは中等段階で閉じた系である「国民教育体系」を想定し、師範学校をこの頂点に位置づけるという視点を示している。そういう視点から近代日本の教育制度史をとらえなおすという作業を逸見氏は構想しているのである。
 ところで、本書では一九三〇年代以降の師範教育史を以下の四つの問題を取り扱うことで再検討することを試みている。。
一、一九三一年「師範学校規定」の改正と本科第二部修業年限の延長
二、「満支方面日本人小学校教員養成師範学校特別学級」(大陸科)の設  置
三、傷痍軍人小学校教員養成所の設置
四、師範学校制度の勤労動員
 右の四つの問題はそれぞれ本書の各章を構成しているが、それらの大部分は一九七七年から一九八二年にかけて独自にまとめられたものである。
 第一章では一九三一年における「師範学校規定」の改正過程を丹念に追うなかからこの時期の師範教育に課せられた矛盾をうきぼりにし、第二章では「大陸科」と別称された「満支方面・・・特別学級」という従来あまり注目されなかった師範学校の特別の課程に焦点をあてている。この「特別学級」は「国内に設けられた歴史上唯一の植民地派遣小学校教員養成機関」であり、その性格上、これは「天皇制軍国主義的・ファッショ的教育政策の師範学校におけるひとつの頂点をなすもの」と位置づけた上で、その成立の背景、制度、教育内容などについて検証し、その矛盾の解明に論をすすめている。第三章では「傷痍軍人小学校教員養成所」という存在を検討の対象としている。政府は戦死者、戦傷者の増加にともない、その職業補導事業のひとつとしていくつかの戦傷者を対象とした教員養成施設を設置した。就中、高等小学校卒業者を対象とした傷痍軍人尋常小学校准教員講習科、傷痍軍人尋常小学校准教員養成所、傷痍軍人尋常小学校正教員養成所、傷痍軍人尋常小学校正教員養成科の四種を一括して逸見氏は「傷痍軍人小学校教員養成所」と総称してこの章で取り扱っている。なぜならば、これらの養成所に学んだ人たちは「国民教育体系」の閉ざされた枠のなかでしか教育を受けられなかった労働者層であり、彼らがその教育故に負った戦傷によって受けることができるようになった中等教育の場がこの養成所であったという認識に基づいている。逸見氏はこれもまた「特別学級」同様に天皇制下の師範学校のひとつの頂点とみなして検証に及んでいる。第四章では師範学校生徒の勤労動員を扱っている。逸見氏は勤労動員という事実が、教育の場における鮮烈な戦争体験であったにもかかわらず、従来の教育史研究が概説以上のなにものも提示してこなかったことを第一の問題と考え、さらに勤労動員を「教育の否定」と評価してきたことをもうひとつの問題とみなしている。逸見氏によれば勤労動員こそ天皇制公教育の最大限の発露であり、最高度の達成であると位置づけることでこの章を展開している。
 本書で扱われた素材はいずれもこれまで十分な研究蓄積のなかった部分であり、その意味で逸見氏の本書における試みは「一九三〇年代以降敗戦にいたる時期の師範学校史研究の空白を埋め、近代日本教育史の新しい歴史像を形成することに少なからず貢献できる」(「はしがき」)と著者自身が自負する性格をもつものである。しかし、本書が単に師範学校史の空白を埋めるという好事家的趣味で書かれているのではないということははっきりさせておかなくてはならない。本書の視点が「師範学校と軍隊教育を共通項でくくる」というところに立脚しており、そのことが従来教育史研究者において等閑視されていた問題に日を当てしめたということである。その意味で本書の功績は大きいといえよう。
  *
 一方、三好氏はこれまで日本教育史の業績として『日本工業教育成立史の研究』『日本農業教育成立史の研究』『日本商業教育成立史の研究』といった体系的な領域別の通史を著してきた碩学であるからこのたび師範教育史をまとめたことは逸見氏とは別の意味で関心を寄せられる。
先にあげた三好氏の実業教育史三部作とは趣を異にして本書は「地域実態史からの解析」と銘打っているように地域実態史と氏の主張する方法論に則って書かれている。三好氏のいう地域実態史とは「教育問題史の視座から、ある問題の解明に都合のよい地域を選び、その地域における教育の思想や実践を余すところなく実証的に考察し、そこから照り返して当該する日本教育史の問題点の解明に迫る」(プロローグ)方法だということである。そのため、本書は広島を事例として師範教育史を検証するという試みを行っているのである。
また、三好氏も逸見氏と同様に戦前の師範教育を「師範型」の教員養成を行っていたとだけ評価することに不満を抱いたところから出発している。三好氏は森有礼が日本の教育制度を「学問」の体系と「教育」の体系に区分した点を踏まえ、帝国大学を学問の体系の頂点とするのに対し師範学校を教育の体系の頂点であり、普通教育の淵源であると位置づけることから師範学校の性格を見きわめようとしている。そして三好氏はそのことによって師範教育を国家主義教育に奉仕し「師範型」教員を養成してきたとして切り捨てる単なる断罪論から解放し、再考を求めるという姿勢がうかがえる。このあたりが逸見氏とは課題意識の違いがあるようである。
ところで三好氏が本書で広島を素材とした意義は以下の四点である。
一、広島には師範教育の多様な実践があったこと。すなわち、日本の師範教育の縮図といえる地域だということである。
二、広島には師範教育の多様な思想があったこと。このことは師範教育断罪論の指摘するような一枚岩の思想が師範教育を包み込んでいた訳ではないことを意味する。
三、広島の師範教育は国家主義にのみ奉仕したのではなく、地域社会や地域文化に貢献していること。
四、戦後の広島の師範教育の再編成は新しい統合化のモデルを提示したこと。
 右の広島の地域的特性を前提に地域実態史の解析を行うというのが本書のもっともねらいとするところである。そのことによる本書の最大の功績は広島師範及び広島高師における師範文化、高師文化の実態を解明したことであろう。師範学校の教育を政策理念やそれに込められた師範教育観からいわば一方的に断罪するのではなく、師範学校の実態からその教育の姿を見直すことに挑戦しているといえよう。そうすることでステレオタイプの師範教育に批判的であった人々の存在や広島の師範教育の持つ「美風」などがあらためて評価されているのである。
 紙数の関係で書き尽くせないが、三好氏はすでにアメリカの教師教育史を素材に『教師教育の成立と発展-アメリカ教師教育制度史論』という著作を世に問うている(一九七二年)。そして本書に続いて刊行を予定している『産業教育教員養成史』とあわせて三部作とする意向だというので新刊の刊行もまた楽しみである。
(逸見勝亮著『師範学校制度史 15年戦争下の教師教育』A5版、四八六頁、六,一八〇円、北海道大学図書刊行会一九九一・三刊)
(三好信浩著『日本師範教育史の構造-地域実態史からの解析-』A5版、四九二頁、一二,〇〇〇円、東洋館出版社、一九九一・三刊)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 教育学
感想投稿日 : 2010年4月2日
読了日 : 2010年4月2日
本棚登録日 : 2010年4月2日

みんなの感想をみる

ツイートする