読んで30年以上経つのに、未だに折に触れて思い出す。(本筋とは全く絡みません…)
主人公である宮永直樹の隣人・弥平次には、居候がいる。妹を騙して死なせた男の瞼に、弥平次は「くろす」を刺青したのだ。キリシタン禁制のご時世、外へ出られなくなった男。閉じ込められている訳でもないのに、自害する心意気もなく、1日2つ与えられる握り飯で命尽きる日を待つだけ。
お屋敷暮らしで端の一室に置いてる…とかってんじゃない。職人暮らしの狭い空間で、四六時中憎悪の対象の気配、どうかするとその体温を感じるように接している生活。
妹が喜ぶ訳でもましてや帰って来る訳でもないのに。そこまでエネルギーを、自分の人生を注力するか。憎悪というよりは、もはや情熱に近い。ストックホルム症候群が生じるでもなく、弥平次の一生を蝕む、なんて暗い情熱。逃亡も折檻もなく、無為に時が流れていくだけ。どんなメンタルが二人を支えてるんだ、一体?
こういう隣家を看過するってエピソードも、宮永の横顔に厚みを持たせていたんだって今更ながら気づく、今日この頃。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
古い本
- 感想投稿日 : 2019年4月10日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2019年4月10日
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