物理学とは何だろうか〈下〉 (岩波新書 黄版 86)

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著者 :
いけださん 本・雑誌   読み終わった 

「○○とは何だろうか」というのは、根源的な問いだと思う。

○○には何が入っても構わない。
○○、という存在そのものについて問うという行為は、たぶん、人という存在にとって、避けては通れない問題なのではないかと思う。
その問いを発せずに成長した人の数は、かなり少ないものになる事は間違いないだろう。
しかし、その問いに対して、満足な答えを出すことが出来た人の数も、かなり少ない。
その数は、問いそのものを発しなかった人の数と同数か、もしくはより少ない数に留まっている可能性が高いと思う。
なぜ答えを導き出すことが出来ないのか。その理由は、大きく分けて二つ。
「考え続ける事が出来ない」こと。そして「考えるための下地が足りない」こと。

考え続ける事は難しい。「○○」について考え続けるためには、常にその「○○」に接し続けていかなければならないのではないかと思う。
だからこそ、物理学に接し続け、「物理学とは何か」を考え続けてきた朝永博士が残して下さった本書は、とても貴重な文献となる。

物理学とは何か。
そして、科学とは何か。

科学とは、道具である。
それは、良いものでも、悪いものでもない。
それは、それだけでは何の色も付いていない、単なる道具に過ぎない。
道具は、使うものによって価値を決定され、その使われ方によって性向が決められる。
これは、過去の長きに渡って言われ続けてきたことでもある。
<blockquote>科学というものは二つの面を持っている</blockquote>と「科学と文明」に記されている。
「自然を痛めつけて」見つける科学と、「自然を痛めつけずに」見つける科学。
後者のために、前者から生まれた様々な技術が必要となる、と。

そしてこの構図は、そのまま「科学と文明」という構図に繋がっていく。
科学は文明によって発展し、文明は科学によって推し進められる。
この二つは、相補う関係にある。

<blockquote>こんにちわれわれの生活のいたるところに物理学はしみこんでいます。</blockquote>という文章から本書は始まる。
現在の生活において、その動作の仕組みを正確に把握できているものは、どれくらいあるだろう。
誰かが作った便利な道具を、ただ便利だからといって使う。
それは、高度に洗練された社会活動そのものだと言っても過言ではないと思う。
しかし、それは極めて危険なことなのでは無いかと思う。
洗練とは、完成されている、という事でもあるのだから。

「なぜ」という問いを忘れてはいけないと思う。
「○○とは何だろうか」という思索を止めてはいけないと思う。



以上が本書を読んだ感想なのだけど、ずいぶん離れちゃったな、と。
まあ、そんな感じで。

レビュー投稿日
2018年11月13日
読了日
2009年1月4日
本棚登録日
2018年11月13日
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