最後の親鸞 (ちくま学芸文庫 ヨ 1-6)

著者 :
  • 筑摩書房 (2002年9月10日発売)
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 吉本隆明氏の訃報を朝のNHKニュースで知る。これからは、繰り返し吉本隆明氏が残した言葉を反芻して聞いていくしかない。私には、吉本隆明氏の言葉を如何に聞くかという課題が残された。親鸞は「弥陀の五劫思唯の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」と語っている(『歎異抄』)。私もまた、吉本隆明氏の言葉を、わたし一人がためのものとして読んできた。唯円が親鸞の言葉を『歎異抄』として書き残したように、私も吉本隆明氏の言葉を書き記すことにする。吉本隆明の思想の極北は、その著作『最後の親鸞』にあると思われる。この中で提出された「往相還相」の概念把握には、親鸞の思想と吉本の思想がシンクロナイズしていて感動を禁じえない。

 観念の上昇過程は、それ自体なんら知的でも思想的でもない。ただ知識が欲望する<自然>過程にしかすぎないから、ほんとうは<他者>の根源にかかわることができない。往相、方便の世界である。(『最後の親鸞』より)
 頂きを極め、そのまま寂かに<非知>に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最も最後の課題である。(『最後の親鸞』より)

 思想的自立という知的上昇過程(=「往相」)から、やがて「大衆の原像」を繰り込む(=「還相」)ことでその思想を深めていった吉本隆明氏の軌跡は、自力雑行(=「往相」)を捨てて、絶対他力(=「還相」)の信へと至った親鸞と見事に重なることに気付かされる。
 吉本隆明氏が、まだ存命中に、私が聞いた最後の言葉も、やはり親鸞について語られたものだった。
『歎異抄』には親鸞の「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という有名な言葉があるが、吉本隆明氏はこの言葉を次のように聞いている。

 人間はだいたい、「善いことをしている」と自分が思っている時には、「悪いことをしている」と思うとちょうどいいのではないでしょうか。それから、「ちょっと悪いことをしてるんじゃないか」と思っている時は、「善いことをしている」と思ったほうがいいと思います。(『吉本隆明が語る親鸞』より)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・思想
感想投稿日 : 2012年3月17日
読了日 : 2012年3月17日
本棚登録日 : 2012年3月17日

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