2作品しか読んでないので星3つですが、2作品のみで判定するなら4つ星。

教室ははときに、過ぎ去っていった先生方のおすすめ本が捨て置かれ、地層のような、貝塚の遺跡のような、なんとも表現し難い空間が存在していたりするのですが……

一掃すべく回収作業に取り掛かり、ふと手にしたこの本に「山田宗樹」の文字が。
しかもタイトルは「代体」。あれ?代体って短編だったっけ?しっかりめの単行本読んだような……

と本を開いたところまでは覚えているのですが、ハッと気づくと読み終わってしまっていました。
恐るべし!山田宗樹!そして短編!
結果、単行本の代体と世界設定は同じで、別のストーリー。たまにあるパターンですね。
しかしこんなに短いのにしっかり読ませる!きっちり落とす!大好き山田宗樹。

5分シリーズなんかのショートショートが流行り始めて久しい今日この頃。
クオリティが低いのは短いんだし仕方ない…とぼやきながら、ショートショートしか読めない子たちが群がる様を諦観の念で眺める日々でしたが……いや!やっぱ短くともクオリティ高いものを読もうやっ!!と思わされた短編「代体」。
今年のオリエンテーションは星新一の読み語りと一緒に、この短編「代体」紹介してみました。設定がキャッチーなので軽い奪い合いになる嬉しい光景も見られてなにより。
教室の貝塚ならぬ本塚に、そっと手を合わせましたとさ。

他の方がレビューで評価されていた、中島たい子「いらない人間」も読んでみましたが、確かに面白かったです。
読めそうで読みきれなかったオチと、そっと添えられし、お漬物のような下ネタ。良き。

2024年4月16日

カテゴリ 選書

「えほん」のことばどおり、ボリュームとしてはかなりひかえめ。よくある「ことわざずかん」的なものと比べると、取り上げられていることわざの数も少ないです。
が、とにかく感じがイイ。薄さ・サイズ感・本のしなり・イラストの脱力感・各ことわざの解説構成など。
語彙学習のためのものですが、本全体の雰囲気がおもしろくて、読む気を起させる1冊だと思います。
同シリーズの四字熟語もイイ。

2024年3月6日

読書状況 読み終わった [2024年3月6日]
カテゴリ 選書

表紙が「雨をあらわす日本語」なので、語彙辞典感がありますが、しっかりめの教養・雑学本。そして事典ではなく「図鑑」。語句と意味の羅列ではなく、各テーマが特定のモチーフ(デザイン)と掛け合わされて1ページ、もしくは見開きで紹介されています。表紙なら「雨をあらわす日本語」×「飴」。他にも・・・

○「錯視(の名称)」×「ネオン管」
錯覚例をネオン管で模っている

○「情報量の単位(b.B.KB.MB.GB.TB....)」×「動物」
bee.Bat.Koala.Monkey.Golilla.Tiger....同じイニシャルでサイズも大きくなっていく

○「徳川15代将軍」×「自動販売機」
見覚えのあるパッケージに将軍名が入り、価格ボタンが年号、『つめた~い』の部分が『生類憐みのれ~い』や『大政奉か~ん』、POPシール的な部分に『今なら老中水野忠邦がついてくる!』など芸が細かい

○「小説の書き出し」×「試験管」
試験管たてに試験管がずらっと並び、ラベルに文豪名、その下の試験管に書き出し、というデザイン。好き。

○「角のある動物」×「兜」
説明せずとも目に浮かびそう。そう。それ。

○「野菜の切り方」×「靴下」
靴下の柄が切り方に準じている。靴下である必要はまったく感じないものの、おしゃれ。

モチーフと掛け合わされていないモノも、とにかくポップなデザインとカラーリングで表現されています。知識のインプットという観点からみると、激しめなデザインが邪魔なようですが、このカワイさがあるから勉強感なく眺めていられる。するとついでに知識も定着している。という不思議な世界観。

十干十二支・組織名の略称・点字・モールス信号・七十二候・洗濯表示・数字の桁・音楽記号・月の名前・雪の名前・惑星・元素などなど、小中学生にもってこいのページ(やっぱり語彙・語句系はとても充実している)もあれば、麻雀牌(今ハマってる子多いね)・ヒールの名称・パーソナルカラー・リップメイク・衿の種類・九字護身法・カクテルの種類など、ちょっと大人の世界もしっかりと。

小学校でも奪い合いになっていますが、個人的にも欲しい1冊。

2024年3月12日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年3月12日]
カテゴリ 選書

「誰が」「いつ」「何してた」を登場人物分覚えられない記憶領域狭小脳を誇る私は、ミステリーがあまり得意ではありません。にもかかわらず、しっかり楽しく読めたので、やっぱり東野圭吾ってすごい。←東野圭吾本を読んでレビュー書くと大体この結びに行き着く。

加賀恭一郎シリーズはドラマや映画のみで原作は初めましてでしたが、しっかり阿部寛で脳内再生されるのがなんだか可笑しくて。
マウンテンパーカーとか着ちゃうんだーwみたいな。

ドラマや映画だと、基本的には視点が俯瞰。そうなると大体の人は無意識に「正義」側に立つもので、加賀さんの洞察力・観察力・推理力・デカさ・低い声・濃い顔は安心感とか心強さの根拠になると思うんですが(後半関係ないかも)、文字の世界になると、やはり視点がもう少し限定的になります。
そうすると「鋭い」「嘘は通用しない」「逃げられない」「諦念」といったニュアンスが入ってくる。
読後はオチが確定しているから、よりその視点が後味強く残りますが、序盤を思い起こしてみると、ちゃんと彼の存在は安心感の根拠となっていたように思う。でも中盤は「焦り」のような匂いも感じるし、その辺のグラデーションが見事だなと。

うん。阿部寛が好き。

2024年1月31日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年1月31日]

この手の本にレビューを書いたことはないですが、感動したので書いちゃいます。
感動したのは「完全ルビ付き」ってところ!!
内容ちゃうんかいって話ですけど、この内容、このレベルで総ルビってなかなかないですよね。
4類、特に虫とか動物が大好きな小学生男子は多いと思うんですが、中には低中学年でも大人顔負けの知識量と好奇心に満ち満ちている子がちらほらいるんですよね。
そういう子たちにとって、総ルビの「生き物図鑑」系ってレベルが低すぎて物足りない。知っていることしか書いてない。発見がない。
かといって中高生向け、大人向けの専門書は読めない漢字に埋め尽くされているという。
虫は好きだが漢字は好かん!という子もまた多いものでして。

このシリーズは全部ルビ付きなんでしょうか。

小さな動物博士たちがこれ見つけたら興奮して鼻血出すかもしれないので、新着コーナーに箱ティッシュ用意しときます。

2024年1月18日

読書状況 読み終わった [2024年1月18日]
カテゴリ 選書(中学)

このじっとりとした、粘度すら感じる湿度に既視感がありすぎて苦々しくも楽しく読めました。

「れいちゃん……8割方あの子だな……」って小中高時代を思い起こしながら読了したんですが、レビューを見ていると、みんな「れいちゃん」と共に過ごした時代があるみたいでなんだか安心しました。

でもこの物語の苦味の核心は、自分の中にもうっすら存在していた「れいちゃん」じゃないかと。
そこを自認させられて、そこにスポットを当てられて、ジリジリ焦げる味と匂いを感じている気もするっていう。
 
今も昔も、大体の女の子の中に寿美子とれいちゃんは同居してますよね。濃度と比率の問題で。
たまに「れいちゃん100%」みたいな人と遭遇すると、なぜか自分の中の寿美子濃度が上がっちゃったりもして。

自分の中の栞成分が未だにファンタの果汁くらいなので、目指せDoleでいきたいと思います。
ただ、栞濃度上げるには必然的にビジュの問題も出てくると思うんですよね……。

2024年2月17日

読書状況 読み終わった [2024年2月17日]
カテゴリ 選書(中学)

令和5年度読書感想画指定図書 小学校低学年の部

感想画は低・高の2択ですが、低でも1年寄りの1・2年対象という印象。

赤いベニーと青いルリーはふたごの兄弟でピカピカの小学1年生。
とらのパンツを身に着けて、彩り豊かな友だち100人できるかな。

ツノはけずってピカピカに。
キャリア教育目指すは地獄。
週11時間の金棒授業。
給食は文字通り体に馴染んだ豆料理。

サイレン鳴ったらヤツが襲来した合図。そう、彼らの天敵「桃太郎」。非常時は登校控えて「オニライン授業」。

和解交渉、うまくいったら戻った日常。
襲い来る人間を模した「人間ごっこ」。じゃんけん負けたら「人間」として友達追い回す休み時間。

年に1度の運動会は地獄で開催「オニンピック」
金棒リフティングに血の池バタフライ。地獄の岩山クライミング。表彰式、来年見据えた閻魔様の挨拶に一同腹から大爆笑。

帰宅後は久しぶりの一家団欒。両親の職場の繁忙期は人間たちの所業次第。落ちてくる人間が減ることを願う、鬼の子ベニーとルリーなのでした。



端々に丁寧に散りばめられた「鬼あるある」がちゃんと笑えておもしろい。
金棒とかトラパンツがちゃんとウケる子と、スンってなっている子とに分かれるのは、鬼アイコンの認識に差があるのだろうなと。

でも閻魔様の挨拶で鬼が笑うくだりは9割が「スンっ」。そりゃそう。これが知る機会。由来は諸説あるけれど、低学年相手なのでさらっと説明。

街や地獄の風景も芸が細かくて、しっかり見せてあげてキャイキャイやりたい。
・・・がしかし、感想画目的の場合は挿絵がキャッチーであればあるほど、見せすぎると、どんなにオリジナリティを念押ししても何人か挿絵完コピアートが仕上がるので、あえて焦らして妄想膨らませる作戦。

王道は自分や友達を鬼に変身させるパターンか。鬼姿で日常を切り取りとるも良し。やっぱり地獄を派手に演出する低学年らしさも欲しいかな。

何気にありがたいのが、ベニーとルリーの色分けがちゃんと「紅」と「瑠璃」になってて、脳細胞衰え気味の大人でも覚えられる親切さ。

2023年10月17日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2023年10月17日]
カテゴリ 選書

The Spine of The Book で「本の背骨」。面白いことばですね。
短編集であることは知っていましたが、帯やあらすじから勝手に表題作の「本」が語る物語が短編扱いになっているのだと思っていました。でも基本的には最初と最後以外は全部独立した物語。

「本の背骨が最後に残る」
紙の本が禁じられたとある国のはなし。紙の本は全て燃やされ、本の代わりに人が口伝で物語を語る。それらの人を「本」と呼び、「本」は基本的に1冊(1人)につき、ひとつの物語しか刻まない。しかし、その原則を破ったことで両目を焼かれたある「本」は、その身に十の物語を刻み「十(とお)」と呼ばれていた。
主観である旅人はその十と、赤毛の三つ編みの「本」の『版重ね』に立ち会うことになる。『版重ね』とは、同じ物語を刻んでいる2冊の本が語る内容に相違があった場合に、どちらが正しいかを判別するために行われる決闘のような物。ただし審判役を務める「校正使」に誤植と見做された方は焼かれてしまう。
十と赤毛の「本」が語り合うのは「白往き姫」。互いに己の身に刻む物語を語りながら、相手の矛盾点をついてゆく。一見攻め手に見えず目立たぬ十の布石は、終盤で一気に赤毛の「本」を攻め立て、見事校正使による「正しい物語」であるという判定を勝ち取った。「本」として生きた敗者の赤毛が焼かれていくが、その様は断末魔の叫びを上げながら焼け朽ちてゆくただの人間だった。
しかし、本が本来の意味を持つ他の国から来た旅人は知っていた。赤毛の「本」が語る「白往き姫」が本当の正しい物語であるということを。なぜなら、旅人は本物の「白往き姫」の物語を赤毛の「本」に語り聞かせていたからだ。旅人は、赤毛の「本」がまだ人間だった頃の知り合いであり、語りで身を立てられないその「本」を憐れんでの行為だった。
結果、旅人は赤毛の「本」を悶死に導いた。『版重ね』で求められるのは正しさではない。読者と校正使の心を掌握し、正しさよりも身を委ねたいと思わせる物語を紡ぐ語り手の力。そして、呆然とする旅人に陶然と十が語るのは、本を焼く愉しみ。そして人を焼く悦び。この国はそんな歪んだ愉悦が充満している。

表題作。さすが、設定がおもしろい。
しかも、いきなりのファンタジーではなく、あくまで本としての「本」が存在したという歴史を経ての、本を担う「本としての存在」である人間。
掴みと世界観が強烈すぎて、内容が短編では物足りない気がするけど、目次のラストを見ちゃってるからワクワクしながら寄り道できる素晴らしい構成。
版重ね自体の流れはちょっと安く感じるけれども……。
シリーズものだって作れるくらいの余力を感じるこの世界観の根底を支えているのは、本というものの「尊さ」なんですよね。
ただの、怖い・グロい・妖しい。じゃなくて。
十の歪みの起点は本が尊いからこそ発生している狂気。強烈な背徳感。そこへさらに命をbetしてムズムズ100倍増しっ!
……斜線堂ファンが多いから選書候補だったけどこれは中学生にこれはちょっとどうなんでしょう……。

「死して屍知る者無し」
人間はいずれ必ず任意の動物に転化するこの世界では、12歳がひとつの節目とされる。家族の中に、山羊に転化した祖父を持つくいなは兎に転化する予定で、想いを寄せる近所の少年ミカギは驢馬を希望している。転化後も寄り添って生きていきたいと、一緒に兎に転化する約束をした直後、ミカギは不慮の事故により転化を果たすのだが、その姿は驢馬だった。その出来事から、くいなの心には小さな不信感が芽生えはじめ……。
前章の「校正使」といい、今回の「師」といい、世界の軸となるはずのポジションがとにかくきな臭いという。「死」という概念が、心構えもなくいきなり目前に立ちはだかる恐ろしさ。いやーな最後。

「ドッペルイェーガ」
強烈な嗜虐性をう...

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2023年12月19日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2023年12月20日]
カテゴリ 選書(中学)

順序が逆ですが、「変な絵」を先に読了後の「家」。

いろんなレビューを読んでいると「絵」の方が好きだという人が多い気がしますね。どっちもルポ風味のミステリー?ホラー?ストーリー。でも、「家」の方がルポ味強めですかね。

軸になる奇怪一族の主観はほぼなくて、あくまでオカルト専門フリーライター(この職業は本当に使い勝手がいいよね)の主観によって物語がゴトゴトと進行してゆきます。原動力の主原料はほぼ伝聞と推理。
「絵」よりも飛躍した「もしかしてっ!」が多かった感も否めない。
なんでや。なんでそこに隠し部屋あるって不意に思いつくんや。間取りに線自由に引いて「これが隠された動線!」って。そうなるとなんでもアリなのでは。もっとしっかりした根拠ほーしーいー。
でも、「絵」も「家」も、なんせ読みやすい。
たとえどんなにしっくり来てなくても「ま、いっか」ってスルスルッとページをめくらせてしまう、そうめんのような、冷麺のような、くずきりのような後腐れのない筆致。
そしてキャッチーな不気味ファクター「左手供養」。
どうにかして人に本を読ませることを日々考えている身としては「読みやすい」っていう要素は結構重要な位置に鎮座しているもので、ストーリーや構成の良し悪しをひっくり返す可能性を秘めていると思っています。どんな重厚でありがたい本も、読めなきゃその人にとっては無価値ですからね。

「変な絵」の「絵」も、「変な家」の「間取り」も、あくまで釣り餌であって、そんなにがっつりストーリーの核になってるわけじゃないのも、作者うまいな〜と思います。

シリーズ新作が出たら、きっとわたしは読むだろう。
貸してもらうけども。

2023年8月21日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2023年8月21日]
カテゴリ 選書

主食はフィクションでして、手記やルポといったノンフィクションは必要に駆られないと手を伸ばしません。
今回もおすすめされて読み始めたのですが、感涙よりも己の無知に愕然とする衝撃の方が大きくて。

人権や道徳の指定で、かき集めた資料の中にハンセン病を取り扱ったものもありましたが、自分でしっかり掘り下げることもなく、表層的なことしか把握していませんでした。

この本も「ハンセン病について」書かれているわけではなく、あくまで「ハンセン病の詩人の生き様」を描く過程でハンセン病と歴史に触れているにすぎません。
この1冊を読んだからといって核心に迫れたとは言えないものの、「知ってほしい」「知るべき」という周知の一助、入り口にしてほしい作者の想いに触れられたと感じます。

やはりこの本の核は、桜井哲夫という詩人の人間の大きさと才能と感受性。

読めない書けない。見える眼がないから。指はもう残っていないから。

作者をして「機能を失いすぎている」「自分の姿形と比べて、同じ人間だとは思えなかった」と言わしめたその人は、ただただ頭の中でのみ詩の創作を行います。

良い詩を生み出す工程として、育ち、経験、境遇、様々な要素があるのでしょうが、やはりこればっかり感受性と才能によるものが大きいと思います。
文筆活動はいろいろあれど、詩歌って才能がないと他人には響かない……。勉強をして数をこなしても、形は整えどなぜか響かない。刺さらない。
だから実際のところ、ご本人も言っているように「見える」こと「書けないこと」は大した障壁ではないのかもしれない。

ただ、これだけ柔軟であると同時に、多角的な視点を持ち鋭い感受性を持つひとが、「らい」という圧倒的なフィルターを通して世界を見たときに、どうして心が壊れないのだろうかと。
理不尽なこの世の不条理を、悪意を、絶望を体に心に刻みつけられてなお、その詩から生まれるのは怒りや呪いではなくて、凍りついた哀しみと嘆きと希望と愛。

この人間性とかわいらしいキャラクター。
「ハンセン病患者が」ではなくて、ハンセン病患者という側面を持った桜井哲夫という詩人の、長峰利造というひとの60年物のしがまっこが溶け、新たなスタートを切ることができた。
その喜びに共感しつつも、めでたしめでたしでは決して終われない、終わらせてはいけない強烈な楔が、この本を通った全てのひとの胸に間違いなく打ち込まれる1冊でした。

2023年7月25日

読書状況 読み終わった [2023年7月24日]

あしたから世界が「一生セックスしてはいけません」「セックスしたいと思うなんて異常」という方向に面舵を切ったとして自分は死にたくなるか?いや、世界が共通して持つ欲求を共通して制限されることでは彼らの苦しみとは交わらないのか……

とか。

友達が水に欲情することを知ったとして、気持ち悪いと思うか?むしろ清廉さすら感じるが……いや、水どうこうじゃなくて異質なものに欲情すること自体を知られるのが耐えられないのか?え?相手が肯定的にかんじるとしても?

とか。

まったく共感できないがゆえに、そんな絶望の鍋底にこびりつくみたいな彼らの仕上がりが不思議すぎて見当違いの妄想、想像をめぐらせてみましたが………結局なにが彼らの苦しみだったんだろう。
疎外感?性的飢餓感?自己嫌悪?
どれも正解なようでちがう。

ただ、自分が「まとも側の岸」の住人かって考えるとそれもあまり納得はいかなくて。
多分、自分っていう人間にも数えきれない、自分でも把握しきれない側面があって、その過半数が、もしくは面積の広い部分が、比重の大きい部分が「『まとも側の岸』に立っている自分」なのであれば、彼らのいう「まとも側の岸」に立っている人になるのかな。英会話も習ったし、そこそこ健康も気になるしね。

「まとも側の岸」で作られる恋愛小説や恋愛ドラマにおいて、初めて恋人と繋がれた歓びや感動は、ありとあらゆる表現と描写で描き尽くされてきていて「まとも側の岸」に立っているという自覚のない自分もそんなエンターテイメントを享受してきました。

でも、まったく共感できないはずの夏月が「佳道掛け布団」の重みを「自分をこの世界に留め置く重し」と感じたくだりで、ものすごく、感動したというか「ああ、なんて尊い初体験だろう……」と。
「着衣なんちゃってセックス」に真面目に取り組んでる2人にうっかり心を動かされ、夏月の「私もう、ひとりで生きてきた時間に戻れないかも」なんていう、こっち岸で聞いたら「そんな安いセリフよく吐けたなっ」ってヒロインにツッコんじゃうような呟きにも、彼らの、絶望の鍋底にこびりつくしかなかった絶対的な孤独の断片を感じて鼻の奥がツンとする。
「いなくならないで」「いなくならないで」

ど頭で児童ポルノ摘発記事を見せといてのこの尊い「繋がり」はキツい。

そして限りなく静かな怒涛のラスト。ハッピーかバッドで言えばバッドなんだろうけども…………でも、なんか、ものすごい希望に気がついたというか。気付かされたというか。

「手を組んだ」2人の、そして「パーティ」の関係性の脆さや危うさは、伸ばした手が線になり、線が十字になり、まさに彼らが網を編んでいる瞬間にも、読んでいるこちらも感じていたもの。佳道自身も「たった一つの綻び」で簡単に崩れる予感を持っていて、確か夏月も同じことを思っていなかったっけ?

でも、綻びどころじゃない、どデカい風穴をぶち抜かれてみて、その関係性を俯瞰したら……こんなに圧倒的な信頼はこの世に存在するのか?

「いなくならないから」「いなくならないから」

これはハッピーエンドなのでは?

マジョリティの共通認識は彼らを疎外するけど、マジョリティがマジョリティを糾弾する共通認識においては、彼らはある意味で「無敵の人」になり得るのだと思う。


いやしかし「顔面の肉が重力に負ける」ってワードに「老化」以外の意味が刻まれた1冊でもある。何年か経って、ストーリー忘れちゃってもこういうどうでもいいことは覚えてたりするんだよね。

2023年7月4日

ネタバレ

「変な家」もこちらも、どの書店でも平積みされていて、話題になっていたことは視界の端で捉えていたものの、POP等をちゃんと読むこともなくジャンルを掴みかねていました。
ホラーは好きなんだけどなー。
ルポ的なものなのかなー。
だとしたらあんまり得意じゃないなー。
と、なんやかんやで書店風景の一部と化していましたが、貸していただき読了。

持ち主が高評価だったので、若干高めハードル設定でしたが、面白かったです。
読書ナカマー界隈では牛歩リーダーとしてその名を馳せるわたしが、色々挟みつつ実質3時間くらいで読了。
絵やご丁寧な謎解き解説図が入るので、ギュッとすると3分の2くらいの厚みになるとは思うんですが、そもそも読みやすい。

目次より前に一枚の絵と解説が入るんですが、もうその段階で「サー!気張って伏線ばら撒いてこー!!」「おーー!!」っていう
円陣が視えるワクワク感。

章立てされてますが、前半は短編のような雰囲気。
一応タイトル通り各章「絵」が謎を生んだり、ヒントになったりはするんですが、核になっているわけではなく、きっちり軸のストーリーがあります。
ミステリーやルポルタージュを期待して開いた人には多分物足りないと思いますが、サクッとストーリーを楽しみたいタイプにはいい湯加減。ところどころツッコミたい箇所はあるものの、適度に戻って確認したくなる仕掛けをありがとう。
歌野晶午の「葉桜〜」を彷彿とさせるドッキリも、もはや定番ながら「おぉー!」ってなっちゃいます。

しかしなんだろう。終盤はあんまり納得いってないんですよね。
なんか引っかかりになりそうでなりきれなかったデコボコの上をヌルっと滑って終わった感じ。
その要素、その流れ、必要だったかなー?っていう。本来、違和感は伏線にだけ許される持ち味なのに……到達地点のない違和感はただの構成失敗やん…。
わたしが拾いきれてないだけ?
拾えてる人は「ヒョー!」ってなって終われてるの?ちょっと気になる………。

ひん曲がった母性のせいで「こわキモい」になっているものの、改めて描写を見てみると、メインキャラクターたちはビジュアルレベル高い設定なんですよね。
自分にとって「美しさ」だけが自慢の母親。その母親に生写しの直美。
そしてその直美を真似て伸ばした豊かな黒髪を持ち、岩田に美人と評価される由紀。
その由紀を伴侶に選んだ武司。
過ぎた「美」と「歪み」は表裏一体。これもまたホラーの鉄則なのかもしれません。

2023年8月21日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2023年6月13日]
カテゴリ 選書

「人と神とが駆け回り、時を超えた愛と欲とが入り乱れる、けれどその背景のスケールに比べればずいぶんこぢんまりとした物語」
これは盛大にネタバレた感想を書きたい。

いやー、騙された!
一千年の想い人が「だれか」については序盤で勘付いてはいたものの、「どっちか」については考えようともしてなかった。
しかもこれが設定の妙で、どっちなのかを誤認するということは、もれなく"愛することで失くす"ことと"愛することで得る"ことの誤認でもあるわけで、まんまと作者が意図したとーりのポイントで、本編が後日談だったと気付かされるという……。
読者としては優等生さながらに騙された悔しさと、目一杯この作品を楽しめた満足感で、結果ご満悦です。
いや、でもマリオのくだりの「的外れな愛情」とか、ミスリードの矢印が鋭利すぎる気がしなくもないけど、まあ愛情なんてどんな形にも解釈できる……といえばまあ……。

毎年2年生相手に神話を絡めた取り組みをいろいろするけど、オモイカネさんへの見方にちょっと色がつきそうで、読書の副産物はこういう楽しみがあってイイ。
中学生向けにはどんなPOPを書こうかワクワクする。

これは実写よりもアニメかなー?どちらにしろ彼らが文字通り軽やかに躍動する未来を疑っていないので楽しみ。
千年繰り返す悲恋はもちろん、文通録に刻まれる咲き誇った方の徒花も彩豊かに軽やかに描いて欲しい。
祥子が三味線で奏でるペニシリンにちょっとだけ吹いたけど、若者には通じないんだろうなと思うとちょっと寂しいので、せめてあのメロディを若者の耳にも届けて欲しい。

2023年11月13日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2023年11月13日]
カテゴリ 選書(中学)

仕事の流れで内容把握のために走り読むつもりで開きましたが、気づけば落涙でした。

鳥を愛するおじいさんと、孫であり語り手の「わたし」。そして「わたし」の弟で言葉の少ないミロをはじめとした、おじいさんをとりまく人々と雄大な自然。

孫たちとおじいさんのやりとりがメインですが、教訓めいた話でもないし、泣かせてやるぜ!って腕ぶん回してる感もまったくない、ひたすらに静かで淡々としたストーリー。

なのに、柔らかであったかい愛と、避けられない喪失の中にある希望が、涙腺総攻撃です。「慈しむ」とはこの世界である。

このシンプルさで、この読み心地をくれる作者はもちろんすごいのですが、その味わいを足し引き無しにそのまま届けてくれる翻訳も偉大。

輪郭をはっきりさせずに空気感だけを深い彩りで伝えてくれるこの絵も、なんだか自分の記憶にこの場面があったように錯覚させる臨場感があります。

涙をふきふき、読後にもういちど表紙を見ると、孫たちの目線に初見では理解しえない深い意味が生まれて、拭いた涙がカムバックです。

2023年3月15日

読書状況 読み終わった [2023年3月15日]
カテゴリ 選書

「洗脳」とか「集団自殺」なんてどうしても他人事な感覚がありますが、そこに圧倒的臨場感と没入感を与えるVRという技術が乗っかってくると、俄然真実味が増す気がします。
まあ、VRに触れたことはないですが。
ないのかよ。

洗脳というものは、受ける側のメンタル面や環境が大きく作用するんだろうな〜というイメージがあるので、意図的な世界で対象者をくるんでしまうというのは、大変効果的なんじゃないだろうか。

この物語を、まだVR技術が未熟な時代に読んでいれば、チープさすら感じて鼻で笑っちゃってた可能性もあります。
でも今、そしてさらに技術が進化するだろうこの先、このストーリーの持つ脅威の側面と救済の可能性には考えさせられるるものがあるんじゃないかと。

2024年4月1日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2024年4月1日]
カテゴリ 選書(中学)

安定のマイケル・モーパーゴ。
一度耳にすると、忘れられないマイケル・モーパーゴ。
たまに呟かずにはいられないマイケル・モーパーゴ。
繰り返さずにはいられないマイケル・モーパーゴ。

だからかな?課題図書率高すぎ(絶対にだからではない)。

名前と違って中毒性はないものの、安定の安心感が漂うおはなし多しモーパーゴ。

初版が1999年。
たしかに決して新しいわけではないんですが、なんだろう。
訳が昔の外国文学を読んでいるような喉ごし……。最近「ザリガニ〜」とか「サムデイ」とか、チュルンとした訳本ばっかり読んでたからちょっと序盤咳払い止まらず。

そしてケンスケに出会うまでが長い。
全体の三分の一ほど忍耐して、やっとジェットスライダーの頂上に登り詰めた感じ。
しかしそこはジェットスライダー。
ジェットコースターとかじゃない。

そこから先、もう登る忍耐タイムは皆無でした。

多くの読者の脳裏で映画「オープンウォーター」がフラッシュバックしたあたりから訳感が気にならないくらいに引き込まれ始め……

ケンスケの得体のしれなさ。
無人島のワクワク感。
当然のホームシック。
元凶だしちょっとおバカだけどかわいいステラ。
強敵が「蚊」っていうシュールさ。
状況からいうと子どもの割にはドライかつ冷静なマイケル少年。
カワイイポジションをステラから強奪したオランウータン。
状況の割に偏屈度の低いケンスケ。むしろ博愛主義(島限定)。そしてデキる男。
夢の無人島ライフ。

最後はココがコメダじゃなかったら泣いてたよ。

そんなことあるかーい!なんていう野暮なツッコミはしないよ。
だって児童文学だもの。
子どもはこれくらいの良質な感動を浴びながら成長するべき。
その先で現実は厳しいってことを知ればいいのです。そうなのです。

ケンスケの心変わりだって絶妙。
児童書としては流れもタイミングも完璧。
そこに放り込む3つの約束だってグッとくる。
こういう公式が存在しそうなくらいの綺麗な着地…いや着水でした(ジェットスライダーで例え始めていたもので)。

下敷きとしては「終戦を知らずに南の島で隠れ暮らした日本兵」の話があるそう。
そのニュースは自分が生まれるよりも前のもので詳細を知りませんでしたが、元上官が島まで赴き、軍務解除を言い渡すまで帰国しなかったというエピソードは、本編を超えてくるレベルの衝撃。

だってこれは児童文学じゃないのに。
リアルなのに。
そんなわけ……あるんだろうな。
愛国心を植え込まれ、国のために死ねと盛大に送り出された時代。

純粋に物語を楽しみつつも、ケンスケが、ただの遭難した漁師とかじゃないことの意味。
その辺をしっかり織り込むモーパーゴ。


でも何が一番グッときたって、忍んでいた日本兵でも、少年からのファンレターでもなく、実際に筆が走り始めた(いや万年筆か?PCか?)きっかけが

「うちの犬の名前はバースレットさ。きみんちの犬は何ていうの?」
「ステラ・アルトワよ」

これっていう。

おしゃんすぎるよモーパーゴ。

2023年7月27日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2023年7月27日]
カテゴリ 選書(中学)

昭和版異世界転生ものの匂いを醸しつつ、チラ見せのチート感を見事に裏切る異次元成長冒険譚。

有名すぎるほどに有名な児童文学であり、
「表紙気持ち悪い」でお馴染みのこちら。

なんだかんだと読む機会を逸し続け幾星霜。
「きかせたがりやの魔女」なんかと比べると、やはりいろいろレトロ。少年少女の名前が昭和でエモみ100%です。

やっぱり狙いの読者層だった時代に読んでおく(現役読書と勝手によんでいる)のがベストに楽しいんだろうなと毎回激しく後悔する岡田淳作品。

まだ灰色のガウンを羽織る歳ではないにしても、冒険の主人公として物語に飛び込んでこその世界観だよなあと強く感じます。

元教員というバックボーンゆえか、岡田さんの作品は「学校」のくくりが多く出てきますが、この作品も異世界で共闘するのは同じ学校で同じ学年の児童たち。
しかし、向こうは自分を知らないというワクワク展開。現役読書なら主人公の「不安」もワクワクに混じるんだろうか。

すごく深そうな「なぞ」と「こたえ」に、実際のところそうでもないな……なんて斜め上から言ってたら、巻末の解説で

『物語というものがもっている〈どきどき、わくわく〉する〈おもしろさ〉がかるく見られ、物語のなかの〈意味だけをぬきだすあやまった〈読みかた〉が正しいと思われる場合もありました。』

と叩き切られたのが「時間は若さ」の一文に追わされた傷の次に深手でした。

物語が魚だとしたら、つい「作者の意図」とか「社会への問題提起」みたいな「骨」を探ってしまうけど、ブチブチブチっと骨を掴み取って「これ魚!」って言っても、あんた本当の魚の味わいや美しさは見えてないだろうよ。って。

「たはーっ!」ってなりました。

出直してきます。

2022年11月16日

読書状況 読み終わった [2022年11月16日]
カテゴリ 選書

いじめに悩むミックスルーツの陸、そんな陸の心の拠り所である樹、母の再婚によりできた新たな「家族」に居場所を見つけられない美雨。
それぞれがそれぞれの形の傷を持つ「ぼくたち」を繋ぐのは『金継ぎ』でした。

最近でこそ、オシャレでサステナブルな趣味としてスポットが当たることも増えてきましたが、やはりまだまだ渋いイメージのある「金継ぎ」。
そこに中学生を掛け合わせるという、なかなかに特殊な角度から切り込んだ作品でしたが、伝統工芸の奥深さに爽やかさと甘酸っぱさが薫る良作だと思います。振り返れば首を違えるほど思春期が遠のいた大人には、そこに一滴の寂寥感も加わってしまうほどに「可能性」というものの眩しさも感じました。

壊れたカケラを繋ぎ、修復した傷に美を見出す日本独自の精神を、人と人、自分自身に照らし合わせる構図も、児童書としてかなり効果的な表現で、子どもたちの胸に刺さりやすそう。
金継ぎというものの存在を理解して表紙を見ると、なるほどと思わせるデザインになっていて素敵です。

何年か前に国際平和デーの式典で、国連事務総長が日本の金継ぎを引き合いに出し、世界で起こる紛争による亀裂を埋めるためにその理念を用いようと言っていました。そんな風にも表現できる伝統技巧を日本人として誇る気持ちも育ってほしい。

ルビしっかりめで、ストーリーや文章は小学校高学年からイケるかなと感じますが、実物の金継ぎ作品を見たことのない子は想像だけでは実像に結びつきづらいかも。個人持ちのタブレットで調べさせてもおもしろそうです。

天平堂も衣川さんも実在のモデルがあるようで、漆のことや後継者問題と一緒に、中学生にはその辺まで興味を派生させてほしいと思います。

2022年10月6日

読書状況 読み終わった [2022年9月14日]
カテゴリ 選書(中学)

前作「エヴリデイ」を読んでもうすぐ4年近くが経ちますが、この4年では「エヴリデイ」を超えるようなお気に入り作品にはまだ出会っていません。
湿地のザリガニとトウモロコシ粉が肩を並べかけたものの、やっぱり読後に差は開く。

読書習慣のある方にプレゼントをする機会があれば、悉く「エヴリデイ」を捩じ込んで参った4年間でした(迷惑)。

その「エヴリデイ」に!続編が!出るなんて!そして知らん間に映画化してたなんてっっ!
ということで「サムデイ」。

リアノンはAの置き土産「アレクサンダー」(人権ガン無視され太郎)とどうなったんだろう…。いや、あえてまたしょうもないやつとくだらん恋をしてしまいながらAを求めるんかもな……。
とか思ってたら……

され太郎とデキとるんかーい!
いや、ある意味リアノンらしいといえばらしい。

しかしまた、このされ太郎が完璧ボーイすぎる。偏食リアノンには完璧すぎた。
やっぱりAを求めちゃうわけで。まあ、そうなってくれねば続編として盛り上がらないわけですが。

しかし今回一番衝撃だったのは唐突な「モナ 九十八歳」。
Aとの再接触により、され太郎改め、当て馬太郎となったアレクサンダー。
悲劇のヒロインスイッチ激ONリアノンに手作りのお皿を軽くスルーされながら、意外な粘度を発揮する。
その流れからのイチャイチャテレフォンでさすがに太郎が不憫になってきたところへ晴天の霹靂九十八歳がドーーーン!!です。

急に「エヴリデイ」で心震えたあの頃の自分が戻ってきました。
なんだかんだで視点の軸が恋愛にあったAの物語を追っていたときにはそこまで思い至っていなかったんですよね。宿主の中で天寿を全うするという終着点。

今回Xという、アメコミもびっくりのガチめヒールが登場(いや、前作もすでにいたわけですが)し、いよいよ「エヴリデイ」で感じた絶妙なバランスの物語としての美しさ(Aという存在自体の設定の妙、押し売りを感じない絶妙な多様性の再認識、己の生を生きることの客観視などなど)よりも、エンタメ要素が濃くなってきて自分の中の「特別な読書」から脱線し始めていたのに、急に本線に戻されて若干むち打ち気味です。

手を握る娘の母は実はもういなくて。でもその中の「 」も、もう旅立とうとしている。(あれ?でも「体がなくちゃ1秒だって生きられない」んじゃ?あ、体から先住者が先に出て行ったから体はこの旅人のものなのか?)
誰にも惜しまれない、誰の記憶にも残らない生涯。人生のつらさをこの上なく味わった生涯。でも、全ての宿主の人生に、語り尽くせないその人なりの物語を見いだした。もうたくさんだと思いながらも、目の前に「もう一日」を与えられたら掴んでしまう。
この、「   」が誰なのかわからないけれど、これが全てだと276/552で感じてしまった。まだ早い。これが旅人の全てではない?ここがピークではない?

しかし、なんだかんだ、やはり1作目ほどの読書体験は味わえないまま、実写化したらまんま「エクソシスト」か「死霊館」っていう山場を迎え、少年漫画の打ち切りさながら「僕たちの冒険は続く!」で終わると。

Aとリアノンの関係性とかジェンダー観とか、感慨深く掘れるポイントは感じつつも、疲れが残る読後感。
自前のブックカバーを剥ぎ取って、装丁の絵を見ながら、これはあの子でー♩この子はあれよね〜!……って楽しんだ1作目が懐かしいくらい、振り返る元気がない。

若干だれながら惰性で読んでた部分もあるので、拾い損ねてる要素もありそうですが……読み直す自信もまだない………。

2023年4月26日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2023年4月26日]
カテゴリ 選書(中学)

「家」を共通テーマに、それぞれ趣の違った世界観を持つ短編集。
アンソロジーなので、あたりまえといえばあたりまえですが、作品によってかなり好き嫌いがはっきりするなあという印象。
「嫌い」なものは短編でも苦痛になるくらい合わない。しかし「好き」な作品も「短編じゃ短すぎる!もっと読みたい!」というレベルまでは達しない……という消化不良な読後感。

突き抜けたガチムチなホラー(ツボは貴志祐介)が好きなんですが、そういう方向性の作品はなかったので、あえて選ぶ「好き」は「くだんのはは」と「夜顔」。
ホラーの中でも「哀しさ」と「不思議」の要素が強い、綺麗なホラー。ちゃんと生臭い場面もあるのに日本家屋の静謐さとか、執着に近い渇仰がグロを凌駕する良いホラー。

「鬼棲」も京極夏彦らしい理屈の捏ねくり回しがホラーを凌駕していて「好き」。「人は予感するから人なのよ」なるほど。「全ての恐怖は、予感なのよ」なるほど。人形が動くかも、という予感。飛行機が墜ちるかも、という予感。いないはずの場所に人がいるかも、という予感。


しかし1番の収穫は、オムニバスとアンソロジーの違いを知る良いきっかけになったこと。なーむー。

2022年9月6日

読書状況 読み終わった [2022年9月6日]

2022年度読書感想文コンクール課題図書(小学校低学年の部)

最初に思ったのは、すっっごく読書感想画向きだな…という歯がゆさ。
何人かにはこれを読書感想画にも使わせてみようと思いながら……

ストーリーとしては….

ファーンの大好きなおばあちゃんは最近元気がない。自分の周りにある「ワァーイ!」って気持ちのみなもとを捕まえてプレゼントしようとする。

ピョンピョンはねてくるワンコの「ピョン」とか、いけのさざなみの「キラキラ」とか。

でももちろんカタチのないものは捕まえられるわけもなく、しょんぼりと帰宅。

ところが、おばあちゃんに今日の出来事をはなすと、おばあちゃんの顔にはとびきりの「ワァーイ!」がもどる。おばあちゃんにとってはファーンの存在が最大のよろこびだった。

といったところ。

じゃあ元気がなくなってたのは鬱とか認知症的なものではなくて、ファーンが構ってあげてなかったからなのかよ、とかひねくれた目線は置いとくとして…

原題は「Joy」を「hunt」する、という雰囲気なので、「Joy」を「ワァーイ!」と訳してるんですかね。
Joyな瞬間を表現する色彩がほんとに最高。個人的にとっても好みです。
どんよりおばあちゃんのページとのコントラストで、ファーンの目に映る世界のきらめきがより一層引き立ちます。

課題図書としての印象は…悪くない。
でも、ストーリーがシンプルであるがゆえに、ストーリーや登場人物への気持ちを書く分量が限られるので、書く子自身の体験と想いの掘り起こしに時間がかかりそうだなぁと。

2022年6月15日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2022年6月15日]
カテゴリ 選書

これが中学生の課題図書…。
掘り下げ甲斐のあるテーマであることは間違いないがハードル高い。
ナヴェイアたちの立たされている場所、そのメンタルを理解できる中学生が日本にどれくらいいるんでしょう…。自身の経験との擦り合わせよりは、調べて論じて考える過程を盛り込むべきなのか。課題図書としては、あとがきのありがたさが際立つ1冊。

原題が「The Echo Park Castaways エコーパークの漂流者たち」
訳題は原題と本質が変わってくる気もしますが、読み終わってみるとイイ訳題だと思います。「海を見た日」から「Castaways」は本当の家族になったんですよね。

登場人物が魅力的です。

血のつながらない妹や弟たちの面倒を見る毎日の中で、具体的な理由のない涙が溢れそうになると、頭の中で理想の部屋を構築する。いつの日か医者になって誰にも奪われないその家を現実のものにする。
強すぎるぞナヴェイア。クエンティン評は「のっぽの女の子」。

THE・多動のヴィク。
クエンティン評は「うるさい男の子」。
かなりぶっ飛んでいるんですが、ほんとうは誰よりも優しいヴィク。
ちょいちょい出てくるナヴェイアを守らなきゃって思う責任感とか、クエンティンへの共感で泣いちゃうところとか、大体の場合言動はその想いについてこれていないんですが彼は間違いなく素敵ボーイ。

ほぼパジャマ姿で可愛らしさを全方位に振り撒いているマーラ。
ラテンアメリカ系で英語は喋らず、スペイン語でたまに呟く。クエンティン評は「静かな女の子」。
マーラ視点の章が存在せず、他の子に比べると具体的なバックグラウンドが見えません。
でも幼いながら、びっくりするほど大きな目には悲しみをたたえているとナヴェイアに描写されるくらい、平坦ではない道のりを経てここまで辿り着いていることは察することができます。

そして、この物語のキーマン、クエンティン。
アスペルガー。母を求めて三千里。勝手にあだ名コンテスト大賞は「くちピンク」。
外界とあまり接していなかったことが母親恋しさとこだわりの強さに拍車をかけている。
彼のR2D2が最高の役回りをしていたので、この本のPOPには海の底のR2D2時計のイラストを描きました。
成長した彼と素敵な家族をお母さんに見せてあげたい。

 
同じ観覧車から同じ海を見たって、あの素晴らしい夕暮れのビーチで同じように語り合ったって、ぬるま湯でのんべんだらりと生きている自分の目には、彼らと同じ景色は多分映りません。
でも、ナヴェイアに「きっと世界は、そんなにひどいところじゃない」と思わせたあの海の景色を、どんな読者にも追体験させてくれるのが、本というもののすごいところだなあと改めて思いました。

2022年10月13日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2022年10月13日]
カテゴリ 選書(中学)

過去から現在に至るまでの戦争と平和をSDGsの観点で考える、中身のギュッとつまった1冊。いやほんとに物理的にもめちゃくちゃ重い・・・。お値段もなかなかですからね。

SDGsの17の目標中の16項目に「平和と公正をすべての人に」というものがあり、これが戦争とSDGsの関係として代表的な目標であると。
でも戦争の火種になっていることって、他の目標項目とも少なからず重なっていることがあり、世界全人類が本気でSDGsに取り組めば戦争はなくなるのかもなとは感じました。
夢物語ではありますが、争いって「そういうことなのだよ」と平和学習で学ぶ児童に思い描いてもらえる説明がなされていると思います。

そしてSDGsという冠を戴いているものの、戦争・内戦の歴史という面でも充実した内容。
あくまで児童書であって広く浅くではあるのですが、図・写真・年表・概要のバランスが素晴らしくてとにかくわかりやすい。
共通して、
【 地理的把握・相関関係図・年表・「いつ、どこで、なぜ?」・「どう進み、どんな結果に・・・?」・「残された問題」】
という項目で構成されていて文章も飽きる前に終わるあっさりとしたもの。
今の子どもは、たくさんの情報の中から必要な部分を見つけるということがとにかく苦手なので、この構成は絶妙だと思います。

巻末に地域別の戦争年表なるものがあり、これが視覚的にも興味を持ちやすい。
ぶっちぎりで長引いている「カシミール紛争」の文字を見て「・・・・カレー?」ってなった自分みたいなやつでも、紛争名の横に該当ページが載っていて興味が薄れる暇なく概要へ導いてくれるという快適仕様。

年代別に紛争が整理されているのですが、2014年のクリミア危機とウクライナ東部紛争が最後の項目です。年表では2020年が最終ラインで、現在も継続している紛争が一目で確認できます。

学校図書館は予算が火の車でも選書しておきたい1冊かと。

2022年10月18日

読書状況 読み終わった [2022年10月18日]
カテゴリ 選書

衝撃がもうね。

「生活保護受けてるやつは、生活保護って書いたTシャツ着ればいいんじゃね?」
それに「そうだね」と返し、自分の体操服に油性ペンで「生活保護」、背中側に「ありがとう」と書きなぐり着用する樹希。

フィクションだとわかってても心が抉られます。

樹希ほどインパクトのあるリアクションができる子はなかなかいないでしょうが、こういう言葉を簡単に吐いている性根腐れ少年少女はザラにいる。そしてそういう子たちはそれなりのオヤに育てられている。
斎藤くんの母親の感じもすごくリアルで。樹希をあんな目に合わせた元凶ではある。普通は、拾ったカード持つ意味や誰のものかなんて子どもには言わない。でも、アベルをかばう正義感も持っている。100%のクズってほんとはなかなかいないんですよね。

そんなオヤも子も樹希にとっては「むこう岸」。
そして脳内実写化のび太くんこと山之内くんだって「むこう岸」。

貧富の差がある以上、両者を隔てる川は流れているわけで、生活保護という制度があろうがなかろうが、やはり彼らは「むこう」と「こっち」なんでしょう。

ただ、この物語の何が刺さるって、やっぱり「生活保護」っていう制度の「概念」について。
本来はエマちゃん叔父さんの言っていることが軸であり、そういう性質の制度なんですよ。
条文を知って、山之内くんが感じた美しさを持つ制度。

なのに叔父さんの解説を読んだときに少なからずハッとした私も、生活保護受給者を「ナマポ」と呼ぶ匿名ネット民たちの概念に染まっていたんだろうなと引き攣りました。「施し」のにおいがするものだと思っていたんでしょうね。

ただ、これは「生活保護」に限らずあらゆることに言えちゃうことなんでしょうが、同等以上の罪が、その枠に入りながら不正をはたらく者たちにも多分にあるのではないかなと。
やはり人の目はそこに注視されるもので。

制度を利用しているはずなのに高級車に乗り、毎日パチンコに通っている人。

制度を利用できず、ギリギリの暮らしをしている家庭の子どもに、どう見ても不正受給をしている家庭の子どもが「おまえ服も頭もいつも汚くて臭いぞ!近寄るな!菌がうつる!」とイジメる。

受給者のイメージを彼らが背負っちゃってるところもあるんですよね。

かといってケースワーカーさんたちの過酷さはもう周知のとおりで、無理に不正受給を減らそうとすることが、本当に必要な人弾いてしまったりもする。

この制度の実態が100%その性質通りになることなんて多分なくて。
それでもやっぱり支える側も支えられる側もその美しさを持つ努力はしていかなきゃだよなあと考えさせられた1冊でした。

2022年10月24日

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読書状況 読み終わった [2022年10月19日]
カテゴリ 選書(中学)
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