震災で大きな被害が出たのは、地震による圧死とかではなく、火災によるものであった。とくに、家財道具を大八車に載せて逃げている多くの人たちがいたため、これに引火したのだ。また、薬品への引火も多かった。消火活動をしようにも、水道管も被害にあって機能せず、池の水を使うしかなかったようだ。
朝鮮人の来襲説もあった。流言の全ては事実無根だということが、後に警察や裁判所検事局の調査でも明らかになった。当時、人々には、朝鮮人を安価な労働力としてこき使っており、自分たちの朝鮮人に対する態度を後ろめたく思っており、また、恨まれているだろうとも感じていた。その後ろめたさが、この流言を人々に信じさせたのだろう。当初は自警団として活動していたものが、凶器を持つと、単に暴徒と化し、怪しい人間を手当たり次第に殺戮していった。大震災と同時に、日本人が異常な精神状態に陥ってしまった。それでもこの所業は絶対に許されることではない。千人を超える無実の朝鮮人が殺されたのである。これを、もう昔のことだ、と言ってはいけない。過去の罪を償う意味からも、朝鮮の人たちにより優しく、寛容な心で接し、少しでも過去の罪を悔い改めたい。最近は災害が多いが、そんな時は、言葉が通じない外国の方々にも手厚い保護が行き渡るようにしていくことが必要である。新聞も、流言を真実だと伝え、より一層混乱に歯車をかけた。自分の目でしっかりと善悪を判断する能力もまた重要である。報道に対しても、それが本当なのか、事実に則しているのか、判断が難しいところがあるかもしれないが、そうだとしても、寛恕の心で物事にあたっていかなければならない。
ただ、この本は、特定の1人の体験談ではなく、様々なひとに聞き取りしたりしたもののから、震災の悲惨さ、とくに、どの様に人の心や行動がなされるかを綴っている。淡々と。

2021年9月20日

読書状況 読み終わった [2021年9月20日]
カテゴリ 日本史

戦艦大和と同型で、大和進水後、二号艦として進水した戦艦武蔵の話だ。
武蔵は、大和進水後、大和の不都合な点を出来るだけ改善して艤装されたもので、言ってみれば大和よりも性能的には良いとも言えるだろう。
武蔵は長崎の三菱重工長崎造船所で作られた。進水までは、その製作を秘匿しておく必要があり、それにかなりの労力を費やしたようだ。
武蔵は、太平洋戦争が勃発した時はまだ艤装中で、作業員達は、休日返上で夜遅くまで働いた。
武蔵は多数の魚雷などを受け沈没し、助かった乗組員も、各地に転戦し、特攻、自爆攻撃など壮烈な最期を遂げたものが多い。

2021年9月2日

読書状況 読み終わった [2021年9月2日]
カテゴリ 日本史

どこにでもありそうな、楽園のような離島で自殺者が相次いでいる。そこには、驚くほど大きなカマキリが生息していた。自殺とカマキリを結びつけるものがあるのか。
読む途中で何となくこうだろうなー、というのは想像はつくのだが、楽しく読むことができた。
主人公と離島に住む教授、ではなく准教授の最後が描かれてないのが消化不良だ。

2021年8月27日

読書状況 読み終わった [2021年8月27日]
カテゴリ その他

利休が信長に仕え、その後、秀吉に鞍替えせざるを得なくなった。心の中に、何この百姓め、という思いが燻り燻りしていたのを、人を見るに敏で、それによって天下を取ったような秀吉が気付かない訳がない。利休は様々な小説で、すごく利口で、スマートで気高く描かれることが多いが、本小説では、かなりドロドロとした汚なさを描いているところが好ましい。また、小説の中には、時々、今現在、これが国宝になってるとか、どこそこにこれは現存するとか、この漢字はこういう意味からこう書かれるとか、歴史をより深く知るための補足的な記載もある。これは、司馬遼太郎や宮城谷昌光などとよく似た感じで、私は好きだ。ただ、描写にかっこよさがない!こいつ悪人だけどカッコいい、憎めない、といったある種の憧れが湧かないのが残念だ。
本書で描かれる利休の最期は深く描かれてはいない。逆に何もないと言っていい。
著者が本書で描きたかったのは、なんなのだろう。利休は自分をしっかりもち、茶湯にその生も死も全て尽くしたということなのか、違うように思う。それなら、その辺にある利休の小説と何ら変わらない。本書から感じるのは、利休の愚かさ、幼さ、人間としての未熟さだ。あまりにも自分の立場を認識できていない。ドラマ仕立てにするなら、利休は茶道のことは関白秀吉といえども我を通した、でかっこいいだろう。でも、そうではなかったのではないか、利休は信長に仕えた頃の自分のままで秀吉に仕え、というか、秀吉に接し、秀吉が出自を異常に気にすることに気づかなかった、いや、気付いたが、放っておいた、だから、秀吉と言えどもあまりの無礼さにキレてしまった。ということなのではないか。この方が自然だな。

2021年8月29日

読書状況 読み終わった [2021年8月29日]
カテゴリ 日本史

短編推理小説。密室殺人が主。短編なので奥深くない。あきるかな。

2021年8月20日

読書状況 読み終わった [2021年8月20日]

白洋舎を起こした五十嵐健治の話だ。これまた、回想風に物語は進む。この手のはあまり好きではないが、著者の作品は好きなので読む。五十嵐は、飽きっぽい性格だったのだろうか、職に就くも、早いときは一時間で逃げ出した。これが、幾度も幾度もあるのだ。ただ、人を信じること厚く、逃げられたと思っても、それでもいく日も待ったりするのだった。20歳になるまでは、一攫千金を夢見て、東京に出たりしたが、これが職が続かず、逃げ出してしまうのだ。ただ、その一攫千金も、自分のためではなく、親を、母親を楽させてやろうとのことだったので、憎めないのだ。
五十嵐は、つてを頼り三井呉服店(後の三越)に入る。ここでも人に恵まれ、10年近く勤め、白洋舎を立ち上げる。日本で初めてドライクリーニングの事業を始めた。順風満帆ではなかったが、何とか事業も軌道に乗った創立10年目に目をかけていた社員に裏切られ会社の信用も地に落ちた。五十嵐は全く平静を失ったが、妻の一言で目が覚めた。「私たちは人には捨てられたが、神には捨てられない」と。
聖書をあけ、読んだ。愛する者よ、自ら復讐すな。ただ、神の怒りに任せまつれ。しるして、「主言い給う、復讐するは我にあり、我これを報いん」とあり、もし汝の敵飢えなばこれに食わせ、渇ばこれに飲ませよ。と。
人間、順調にことが運ばれてきている時の方が、思うようにならぬ時よりも危険なのだろう。思うようにいかぬ時は謙遜であり得るが、意のままになる時は自分自身の才や努力を誇って傲慢になる。そんな時、神はその傲慢を打ち砕くよだろうか。ただそこには愛があり、また、自分を取り戻すだろうことを期待しているのだろう。神はバチを与えないから。

2021年8月18日

読書状況 読み終わった [2021年8月18日]
カテゴリ 思想・哲学

回想風に話は進む。まるで、浅田次郎だ。いや、浅田次郎の方が時代は新しいから間違った表現だけど。

一本気の棟梁が子供の頃からおとなになり、戦場に行っても、自分の三年を曲げず生きたって話だ。著者の主題にいつもある許しというのは本書にはない。ただ、弱いものを助けるというのがあるのかな。

2021年8月11日

読書状況 読み終わった [2021年8月11日]
カテゴリ 思想・哲学

創作時代小説だった。
なんか出来過ぎ感があり、それならば、もっとぶっ飛んだ内容でもよかったのではないかと思う。キリスト教的思想もちょっと浅いかな。
俵屋宗達を持ってきたのはよいが、ただそれだけのことになってしまった。
全二巻

2021年8月7日

読書状況 読み終わった [2021年8月7日]
カテゴリ 日本史

主人公の清美が信仰告白する、それをこの一冊で語ったものだ。決して幸せとは言えない境遇に育った清美が一人の男の子を好きになり、その人の考え方に共感し、諭されながら成長する。その中にはやはり、著者の小説の主題とも言える、許す、そして愛するというのが根底に流れている。
自分の好きなひとばかりが住んでいる世の中などない。そこから逃げ出しても、逃げ出した先にはきっと合わない人間が必ずいる。その度に逃げ出すことなんかできないのだ。だったらどうすればいいか。逃げ出すことが出来なければ、愛するより仕方ないのだ。憎むという不愉快な感情から逃げ出すためには、相手を好きになるより仕方ないのだ。
罪を犯さないなんてだれにもできっこない。そんなの人間じゃない、人間というのは言ってみれば存在そのものが罪なのだ。今天使のような心を持っていたとしても、1分後にはふっと良からぬ思いが胸を掠める。そうしたどうしようもない存在だからこそ、神の子であるキリストがぼくたちの罪を背負って代わりに死んでくれたのだ。

2021年8月4日

読書状況 読み終わった [2021年8月4日]

ルソーの述べた真理にこういうのがある。
戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとる。
戦争というのは、ある国の常備兵が三割ぐらい殺傷された時点で都合良く終わってくれるものでもない。また、相手国の王様が降参したからおわるものではない。戦争の最終的な目的というのは、相手国の土地を奪ったり、相手国の兵隊を自らの軍隊に編入したりする次元のものではない。相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といっている。相手国の社会の基本を成り立たせる秩序=憲法にまで手を突っ込んでそれを書き換えるのが戦争だと。第二次世界大戦の終結にあたっては、敗北したドイツや日本などの憲法に英米流の議会民主主義の方向に書き換えられることになった。日本国憲法は別にアメリカが、理想主義に燃えていたから作ったのではない。結局、どの国が勝利者としてやってきても、勝利した国が、敗れた国の憲法を書き換えるという事態が起こったはずなのだ。
私たちにはいつも全ての情報が与えられているわけではない。けれども、与えられた情報のなかで必死に過去の事例を広い範囲で思い出して最も適切な事例を探し出し、歴史を選択して用いることができるようにしたい。歴史を学ぶこと、考えてゆくことは、私たちがこれからどのように生きて、何を選択してゆくのか、その最も大きな力となるのではないか。
はじめはわかりやすかったが、段々と大学の教授って感じの講義になってしまったのが残念。序章から、日清日露までがいい。あとは、退屈だった。

2021年8月7日

読書状況 読み終わった [2021年8月7日]
カテゴリ 日本史

北海道開拓時代、入植した人々を襲ったヒグマに人々がどのように対峙していったか。フィクションであれば、もっと色々と書けるのだろうが、実際にあったはなしだから、実に生々しく、そしてそんな感じだったのだろうと想像する。
作者の作風であるが、縷々、出来事を綴るところはいつものところ。さっと読みたい。

2021年7月29日

読書状況 読み終わった [2021年7月29日]
カテゴリ 日本史

山口県にある角島を舞台にした推理小説だ。
といっても、だいぶ前の角島で、いま話題のインスタ映えする橋がかかっていない時の話だ。といっても、当然フィクションだが。
大学生が殺人の舞台になった角島の十角館に泊まりこんで、真相を解明しようとするんだけど、事件に巻き込まれ次々と殺されていくというストーリー。仲間が殺されていくのに、あまりにも現実離れした行動をとるので、現実感がない物語だなーと思った。よくよく登場人物を覚えて読んでいかないと最後に、なんだっけってなるので、気を付けて。

2021年7月27日

読書状況 読み終わった [2021年7月27日]
カテゴリ その他

著者の心の中の思いを述べた短編集。ただ、特にキリスト教的思想でこうだ、とか述べているわけではなく、著者がこれまで生き、考えてきたことをツラツラと綴っているのだ。軽く読むにはいいが、キリスト教的思想を期待して読むと、あれってなる。

2021年7月27日

読書状況 読み終わった [2021年7月27日]
カテゴリ 思想・哲学

女子学院の初代院長であり、日本キリスト教婦人矯風会(一夫一妻制、禁酒禁煙などを推進)の初代会頭の矢嶋楫子の話である。矢嶋が気付かせてくれるのは、教育者とは単に子供がかわいいとか、子供が好きだというだけではダメで、人間とは何かを捉えることのできない教育者であってはならないという。教師や母親は、いわゆる優しければよい、というぐらいのことでは、人間を育てることはできないのだ。愛は意志である、という言葉がある。矢嶋楫子こそは、その意志的な愛を持った闊達な教育者であった。
矢嶋は、あなたがたには聖書がある、自分で自分を治めよ、と学校の生徒たちに言いきった。人間としての自覚を促されたのだ。矢嶋は規則のない学校を作った。生徒達を勝手気ままにさせておいて良いということではない。自分で自分を治めよと、生徒への人格尊重の思いがあれば、規則などを多く作り上げる必要はないのだ。
巻頭に楫子の写真がある。70歳代の写真だが、厳しそうにみえて、優しく受け入れてくれそうにみえる。自分を治めよ、と今にも言い出しそうだ。
楫子の祖父は、郷里が岩国で、洪水のたびに流される橋に心を痛め、錦帯橋を作り、楫子の姉つせ子は横井小楠と結婚したし、他の姉久子は徳富蘇峰の母であるなど、いずれも女性史上に名をなす人物といってよかった。横井小楠は、キリスト教布教の嫌疑で暗殺されたのだ。
罪ある者には人を罰する資格はない。また、罪を冒さずに生き得る人間もない。行いの違いはあれ、心の中は、情欲と放縦に満ちている。欺瞞と傲慢、怠惰と不従順に満ちている。人を裁き得るのは実に神のみなのだ。
私たち人間は、規則があるから人を殺さないのではなく、法律があるから泥棒をしないのではない。他に律せられれば罪を犯さないというのでは、人間として上等な生き方だとは言えない。たとえ法律になんと書かれていようが、もし人間としてしてはならぬことであればしてはならない。つまり善悪の判断は法律がするのではなく、私達の良心が判断するべきなのだ。神の愛に感じて、してはならないことはしない、また、すべきことは断固としてする。そのように楫子は教育したいと思い、校則を取り払ったのだ。一人で物事の判断ができない人間になってもらっては困るのだ。
楫子もそうだが、先に読んだ榎本保郎も、人を信じきった人だったと言える。保郎は人を信じるというか、神を信じることで、結果として人を信じたことになったし、楫子は校則を作らず、聖書の力を信じることで生徒を信じたといえよう。楫子は、試験の際、監視官を置かないことを提案した。人の目があるから悪いことはしない、そんな人間にすることを恐れていたのだ。だが、人間は弱いものだ。だから、神に生徒を信頼して祈ったのだ。それに対して生徒は自分たちが信頼されていることへの喜びと、その喜びの上に立った自覚によって、人を恐れるよりは神を恐れる聖書の精神を身につけることができた。

2021年7月20日

読書状況 読み終わった [2021年7月20日]
カテゴリ 思想・哲学

悪くはない。
表題のとおりヤクザの伝記なのだが、ボリュームがたりないのかな。
力道山との関わりや嵯峨美智子との恋愛など赤裸々に描かれており、また、主人公が70歳超えてからどのように感じだしたのか正直に語られているところがとても好感がもてる。でも、もっと奥深い思いがあるのではないかと思う。少し消化不良

2021年7月9日

読書状況 読み終わった [2021年7月9日]
カテゴリ 日本史

榎本保郎の話。
保郎の父は、生まれたこの子に対し、尼僧に名付けを依頼した。保とは、請けあう、引き受けるという意味で、男らしく何もかも引き受ける人間になってほしいと思い、これに決めたそうだ。
保郎の家は駅の真前にあり、切符などや雑貨を扱っていたが、貧しく、父母ともに日中は野良仕事だ。ろくに面倒もみれなく、近くにいた名付け親の真浄尼が実の母よりも保郎と過ごした。真浄尼は保郎を膝に抱えて般若心経をあげるといった生活だった。三歳になる頃には般若心経を誦じてたという。
保郎は中学生になった。保郎の通う中学では、蛸釣りという上級生が下級生をいじめる風習があったが、これを保郎は根絶するよう自分に誓いをたて、行動した。まず手始めに、神洲会という奉仕活動をする会を立ち上げた。自分より年下の者を可愛がる訓練として小学生の勉強も見てやることにし、一家の柱を軍隊に取られた家のために農作業も手伝った。また、日曜日は、5時に集まり活動を行うこととした。それは、蛸釣りなんかは絶対に許さないという覚悟を早起きで示すという意味があった。だが、その真の目的は、一人一人が変わっていくことにあった。
保郎は一年少し教師として働いたのち、兵隊にとられていった。そこで保郎は幹部になるよう勉強に励んだ。はじめは幹部になんかならないと思っていたが、人間を人間と思わず殴る上官にあって、殴らない上官になろうと決意した。話して聞かす上官になると。誰も彼も人の大事な息子だ、大事な親父だ、大事な夫だ、家族がみて情けないような扱いはしないと。
上巻の300ページあたりに保郎が子供達に神様がバチをあてるかという話をする。そこでは、悪いことをした分、みんなの心には黒い玉が貯まるという話をする。その黒い玉があると死刑になるが、誰でも人間は黒い玉がある。偉い神父さんにでも。だけど、イエスさんに許してくださいと、祈るとその玉はなくなり、代わりにイエスさんに移る。イエスさんは、みんなのその黒い玉を受け持ち、そして十字架にかけられる。そんなイエスさんが、みんなにバチをあてるわけがないと。ざっと言えばこんな感じだが、とてもしっくりきた。イエスは神の子、みんなの十字架を背負って死んだということが。
一度、妻の和子が家を飛び出し実家に帰る事件があった。そんな時の和子の父や母の言葉や態度はとても温かく、愛情いっぱいで、でも厳しく、とてもいいものだった。辛苦も艱難も下さるのは神だ。神の下さるものに悪いものはない、みんな恵だ、まず2人でヨブ記を読みなさいと。
保郎と和子夫婦は、刑務所から出てきた男を預かることとなる。ヤコブ書にも、人を偏り視るな、と書いてあるように、伝道者の家は、あの人が怖い、あの人は好きなどと分け隔てしてはならないのだ、といって妻の和子をいさめた。この人は受け入れなくても良いなどと神が言う人は一人もいない。
保郎は、信者の息子の後宮俊夫と出会う。後の世光教会な牧師で日本キリスト教団議長となった人である。俊夫は養殖真珠の事業の社長であった。でも、俊夫は、その事業を一生の仕事とは思わなかった。人間たるもの、その究極の目的が金儲けでしかないなどとはあってはならないと思っていたのだ。
怒りっぽい保郎はよく反省した。どうしてみんなは自分と同じような信仰を持たないのかとか。憤りからそれが顔に出て怒ったような顔ばかりしていた。だから笑う練習もした。一人ひとりが自分なりの信仰で精一杯頑張っているんだと思えるようになって、顔から険しさがとれた。人間はたやすく傲慢な思いに堕ちるものだ。
保郎はタネから植えて育てた世光教会をさり、今治の無牧の教会へ行くことになった。それは、保郎も望んだことだった。世光教会の人気があまりにも保郎個人に向けられていることに保郎は不安を感じたのだ。キリストを頼みにしているのではなく、保郎を頼みに教会が大...

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2021年7月14日

読書状況 読み終わった [2021年7月14日]

優れたインタヴュアーは、相手さえ知らなかったこと、意識していなかったことをしゃべってもらうんだ。相手がしゃべろうと用意していたこと以外の答えを誘い出す。そういった質問をして、そういった答えを引き出すのが一流のインタヴュアーと言える。

本書は、本当にインタビューだけで構成されている。会話だけなのだ。それでも、ありありと藤圭子の表情などが思い浮かぶようだ。語り口調も、藤圭子の素が出ているようだ。本書を読むと、藤圭子の歌が聴きたくなります。手術前の。

2021年6月23日

読書状況 読み終わった [2021年6月23日]
カテゴリ その他

本書を読むまでは最強なんだろうなーって思っていたが、そうでもないんじゃないか。だって、背を向けて転げたら起き上がれなくなり死ぬとか、食べ物をあげなかったら死ぬとか、まあ、当たり前なんだけど、思ったほど最強でもないのではないか。ピンセットでつまむと死ぬみたいださし。
たしかに、極乾燥、極低温、放射線などには相当な耐性があるが、それも、ゆっくり乾燥させないとダメだとかいうことだった。
でも、ある条件下では相当に強いとは言えるが。実物を見てみたいなと思った。

2021年6月26日

読書状況 読み終わった [2021年6月26日]
カテゴリ その他

全て絵なのでイメージがつかめない。
特に、こんな場所にありますとか書いてあるが、それも言葉だけなのでいまいち

2021年6月20日

読書状況 読み終わった [2021年6月20日]
カテゴリ その他

はっきり言って、何が言いたいのかもわからなかった。特に、前半がダラダラと長すぎてあきてしまう。
最後も緊迫感もそんなにないし、何が面白いのかもわからなかった。
訳も、もう少し他の訳し方があったのではないか。
評価が高い本だが、好き嫌いが分かれると思う。
残念だ。

2021年6月19日

読書状況 読み終わった [2021年6月19日]
カテゴリ その他

耐えること、許すこと、それがこの本の主題だろう。いや、著者の主題と言うべきか。なんのために耐え、なんのために許すのか、それは、ある時は自分のなすべきことだからであり、ある時は人の幸せを思うからだ。
人間は生まれてきた以上、幸せだけを受けるというわけにはいかない。幸せを受ける以上、不幸せも受けるしか仕方がない。
全三巻

2021年6月15日

読書状況 読み終わった [2021年6月15日]
カテゴリ 思想・哲学

何なんだろうか、何を伝える本なのだろうか。
いつ、誰と打った。勝った。負けた。そういう羅列のようなストーリー。所々に棋士の考えとか書かれているが、ほんのちょっとで、勝った負けた、この人に勝ったから、段位はもそっと上だろうとか、5段だが7段の腕はある、とか。読んでいて、でっ?ってなる。
あと、ハネ、オサエ、ノビ、アテなど囲碁の用語がでてくる。こういうのが分からないと、全然臨場感もでない。囲碁をする人が読んだら面白いのかな。

永遠のゼロや海賊と呼ばれた男は、かなり良かったのに、これは何なんだと思わせる作品

全二巻

読書状況 いま読んでる
カテゴリ 日本史

ハダカデバネズミは、老化しにくく、ガンにかかりにくい動物という。
そのキモ可愛さと、女王蜂ならぬ女王ハダカデバネズミがいるコロニーを形成する生態など、不思議な生き物だ。

2021年6月6日

読書状況 読み終わった [2021年6月6日]
カテゴリ その他

作者も、何度も自ら命を絶とうと思ったことがあるという。60代という、本書を書いた頃でさえも。色々な方法でその気持ちの萎えから抜け出そうとするが、結局はだめで、最終的には、時間が解決してくれるのを待つしかないということだったという。すべてを呑み込んで、気だるい日常生活の繰り返しの中へ運び去っていくのを待つしかないのだと。

人間の一生とは、本来、苦しみの連続なのではあるまいか、そう、はっきりと覚悟すべきで、そう思うことで、心の萎えからかろうじて立ち直ってきたのだ。昔の人は、言う。人生とは、重い荷物を背負って遠い道のりを歩いてゆくようなものだと。たかだか3〜400年の時が経過したぐらいで人生のありようが変わるわけがない。

著者は、究極のマイナス思考から出発すべきではないか、と言う。確かに、前向きに生きること、プラス思考で己を励まし、人間性を信じ、世界の進歩を願い、ヒューマニズムと愛を掲げて積極的に生きることも立派だけど、人が生きることは、苦しみの連続なのだと、覚悟することから出直してはどうかと提案する。仏陀の出発点も、生老病死の存在として人間を直視するところからだった。生老病死という重い枷をはめられた人間が。それでもなお豊かに、いきいきと希望を持って生きる道があるのか、ないのか。

私たちは、泣きながらこの世に生まれてきて、最後には結局、一人で死ぬのだ。恋人や家族、親友がいたとしても、一緒に死ぬわけではない。だから、親は子に、子は親に期待してはいけない。人を愛しても、それはお返しを期待することではない。愛も思いやりも、ボランティアも、一方的にこちらの勝手でやることではないか。そう覚悟した時に何かが生まれる。何も期待してない時こそ、思いがけず他人から注がれる優しさや小さな思いやりが干天の慈雨として感じられるのだ。そこに自ずと湧き上がってくる感情こそ、本当の感謝というものだろう。

僕らは、人間は努力して世のため人の為に尽くし、そして名を上げ、という明治以来の出世主義そのものをストレートではないにしろ受け止め、何かやるということを大切に思って育ってきた。しかし今改めて考えるとき、何もやらなくてもよい、それはそれで人間として生まれてきて、そして人間として死んでゆく、そのことにおいて、まず存在に価値があるのだ。人間は生まれてきて、生き続けてきて、生きている存在。そこにまず人間のいちばん大きな価値がある。我々自身、自分の体は、自分が意識しようがすまいが、ずっと動き続けている。細菌に負けないように白血球が戦っている。栄養が足りないと、お腹が空いて物を食べよと促す。気付かないところでずっと頑張ってきて、今この瞬間も頑張っているのだ。

2021年6月6日

読書状況 読み終わった [2021年6月6日]
カテゴリ 思想・哲学
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