今度は、加害者本人の手記だ。
一貫して言えるのは、加害者は、何か自分が何故このような犯行を犯してしまったのか、色々と理由を付けようとしているように思った。理由は一つや二つであるはずもなく、また、本人も気付かない理由もあるだろうし、なんだか第三者的になりすぎている気がした。淳くんとの関係、淳くんへの想いも、全く理解ができなかった。なぜ、自分のことを無垢に認めてくれている淳くんを殴りたい気持ちになったのか、殺害したいと思ったのか。わからない。自分がインテリであるかのように、言葉をいろいろと使い分け、客観視したような言葉に、ものすごく違和感を感じざるを得ない。
加害者は言う。
淳君の無垢な瞳が愛おしかった。でも同時に、その綺麗な瞳に映り込む醜く汚らわしい自分が、殺したいほど憎かった。淳君の姿に反射する自分自身への憎しみと恐怖。僕は、淳君に映る自分を殺したかったのではないかと思う。真っ白な淳君の中に、僕は”黒い自分”を投影していた。
「抱きしめたい気持ち」の白い縦系。
「無茶苦茶にしたい気持ち」の黒い横糸。
その白黒の糸を通した二本の針が、僕の心を交互に突き刺し、隙間なくぎっちりと縫い塞いだ。
淳君の瞳が映し出す醜い自分を消し去り、綺麗な淳君を自分のそばに引き留めたい。
この二年後、僕は淳君と自分自身を、タンク山で同時に絞め殺してしまった。と。
ただ、途中、加害者の叔母の話が出た時、何か論調が変わった。何か、加害者の心に普通の人間の心が現れたというか、何か違う感じがした。加害者をきちんと更生するにはこの叔母の力が必要なのではないかと思った。
また、本書では母親のことを好きだと言っているが、額面通りにそう理解していいかは少し疑問に思った。
また、加害者は言う
現代はコミュニケーション至上主義社会だ。なんでもかんでもコミュニケーション、1にコミュニケーション2にコミュニケーション、3。4がなくて5にコミュニケーション、猫も杓子もコミュニケーション。まさに「コミュニケーション戦争の時代」である。これは大袈裟な話ではなく、今この日本社会でコミュニケーション能力のない人間に生きる権利は認められない。人と繋がることができない人間は、人間”とは見做されない。コミュニケーション能力を持たずに社会に出て行くことは、銃弾が飛び交う戦場に丸腰の素っ裸で放り出されるようなものだ。誰もがこのコミュニケーションの戦場で、自分の生存圏を獲得することに躍起になっている。「障害」や「能力のなさ」など考慮する者はいない。
これは、正鵠を得ていると思う。コミュニケーション障害とか言うが、そういうことが苦手な人もおり、また、病気ということもある。それを知らずに、コミュニケーションを取れ!と声高に言うことは、暴力とも言える。気をつけなければならない
本書の前半と後半は別の人が書いたのだろうかと思うぐらい、その文章の表現が違って見えた。前半は、すごく第三者的で、評論家的で、なんとも言えない内容だ。後半にいくに従い、文章は心から出ているかと思うような内容になっていく。それが、本当かどうかは本人以外は分からない。だって、そう自分を隠すことが上手な加害者だったのだろうから。鵜呑みにすることはできないものの、なんとなくいままで生きてきた心情はわかった。ただ、やはり、本書では、自分のことをわかってほしい、苦しんでいます、といっているようで、また、なぜ、人を殺すことがダメなのかと言う問いに、自分自身も苦しみますよと、被害者のことを考えていないセリフが出るので、自分本位なのだなと思ってしまう。だから、今後は、もっと自分のことではなく、被害に遭われた方のことを、もっともっと考えていくことが必要だと思った。
2024年12月5日
この事件については、多くの新聞や雑誌関係も特集を組んでいましたし、また、たくさんの本も出版されたようです。
しかし、これらの多くはやはり加害者側の問題点などを中心にしたものでした。被害者側の心情というものを、中心にしたものはまず無いと思います。
被害者の父である土師守さんは、被害者側の心の軌跡を、当事者ではない人達が、取材はするにしても想像を主体にして、記述したり論評することが本当にできるのだろうか。やはり、被害者側のまさに当事者からの真実の声を出すことは必要なのではないだろうか、と、いろいろと考え、その上で、やはり当事者から出た真実の声なしにこのような事件を理解することは絶対に不可能なのではないか、と考えて執筆したという。
私は先に加害者の両親の手記を読み、それから、被害者でも加害者でもない方の本を読み、そして、この被害者の父の手記を読んだ。そして、やはりこの本を読んで良かったと思うのだ。加害者の両親の手記を読んだまま、他に何も読まずこの残酷な事件を理解しようとせずによかった。ただただそう思った。
2024年11月27日
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北国日記 (集英社文庫)
- 三浦綾子
- 集英社 / 1990年10月19日発売
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著者の病養中の日記。いたるところに、著者の感銘した出来事や言葉が綴られている。
人間はパンのみにて生きるにあらず、神の言葉によって生きる
「愛し合ったから結婚したのではなく、愛し合うために結婚するのです」という祝辞あり。まことに然り。結婚必ずしも熱い愛によってなされるとは限らぬ。外見に迷ったり、金に迷ったりの、軽薄な動機で結婚する者もいれば、行きがかり上心ならずも結婚する者もある。人間は意外に浅はかに結婚するものだ。だが、結婚の目的は愛し合うためなのだ。結婚した以上、深く、全力を注いで愛し合いなさい。一生を終えて、一人の妻を愛し貫いたと言えるならば、それは実に大きなことなのだから。
他人の過失や弱点は、それはどんなものであろうと、努めて耐え忍びなさい。あなたもまた他人が忍ばねばならぬ多くの点があるからである。われわれは他人が完全になることを求めて、しかも自分の過失は改めないのである
水はありがたいねー、栓を捻るだけで水が出るのだから。三浦は蛇口をひねる度に、いつもこう思うのだそうだ。そして神に感謝を捧げるのだそうだ。開拓農家に育った三浦は、少年時代遠くの川まで水汲みに行ったとか。そのことを覚えていて、水道への感謝を忘れたことがないらしい。また三浦は、入浴する度に、これまたその都度、神に感謝しているという。十年前、この家を建てて、初めてわたしたちは銭湯に行かずにすむようになった。当の自分は風呂に入る度に感謝してはいない。家が与えられるという同じ体験であっても、三浦は毎日感謝し、わたしはたまにしか感謝しない。同じ運命に会っても、一人は喜び、一人は当然な顔をする。自分の人生を豊かにするのも貧しくするのも、その人間の心のあり方によるのだろう
愛は損すること。利用するのは愛ではない
愛するとは甘やかすことではない。きびしいだけでもない。許すこと、耐えること、望みを抱くこと、不義を嫌うこと、いらだたないこと、微慢にならぬこと、恨みを抱かないことなどなど、新約聖書コリント第一の手紙十三章には、愛について書いてある。だが、わかったからといって、愛する力をわたしたちは持ち得ない。人間は愛するよりも憎しみを抱く存在だ。人の悪口を言いたい存在だ。そんなわたしたちだから、神の前に身を屈めて、「愛することを教えてください、愛する力を与えてください」と、絶えず祈らなければならないのだろう
われわれ人間に対する神の要求に次の三つあり。
一、喜べーすべてのことを
二、祈れー常に
三、感謝せよー都合の悪いことも
われらは意見のちがう者を嫌う。しかし自分に好意を持たぬ者と仲よくせよ。気に入らぬ者を大事にせよ。そうした人と喜んでつきあえ
ベートーベンは、「本当の芸術家という者は、決して傲慢ではない。なぜなら、本当の芸術家は、不幸にも芸術には限りがないということを知っているからだ」と言っている。つまり芸術にゴールはない、ということなのだろう。
2024年11月22日
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「少年A」14歳の肖像
- 高山文彦
- 新潮社 / 1998年12月発売
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加害者の両親の手記とは違って、ある程度ニュートラルな立場で書かれており、また、実際の現場がどのような場所だったか、どういう景色だったかなども書かれている。
Googleマップを見ながら、何となく足取りがイメージできるが、ほんとに小さな住宅団地内で起こった事件であり、目撃者とかも見つからなかったのかと不思議に思う。また、少年の行動を見ると、色々なところで止めれなかったのか、と今思えばだが悔やまれる。
2024年11月20日
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ある勇気の記録: 凶器の下の取材ノート (現代教養文庫 1524 ベスト・ノンフィクション)
- 中国新聞社報道部
- 社会思想社 / 1994年3月1日発売
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中国新聞社の記者から見た広島の暴力団の抗争を描いている
やはり仁義なき戦いの方が、実際の暴力団の組長が著者になっているので迫力があった
2024年11月12日
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奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)
- 石川拓治
- 幻冬舎 / 2011年4月7日発売
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新たなジャンルのノンフィクションだか、感動した。無農薬栽培の9年目にしてリンゴの花が満開になった時の木村の行動に思わず涙が出そうにぬる。
危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、自分自身の力を見いだせますように。
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、失意のときにこそ、あなたの御手に握られていることに気づけますように。
(ラビンドラナート・タゴール「果物採集」より)
木村さんが自殺を考えたと言う人からの電話にこう答えた。とにかく思い直して良かったねえと言ったかな。それから、バカになればいいんだよと言いました。バカになるって、やってみればわかると思うけど、そんなに簡単なことではないんだよ。だけどさ、死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。
ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ、とな。ひとつのものに狂えば、いつか答えに巡り合う。
2024年11月6日
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生きのこる 陸軍特攻飛行隊のリアル
- 山本一清。
- 幻冬舎 / 2023年6月21日発売
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最後の方に、振武隊の事が少し書かれているぐらいで、特攻のことについて多くのページをさいているわけではない
2024年11月5日
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父と母 悔恨の手記 「少年A」 この子を生んで…… (文春文庫 し 37-1)
- 「少年A」の父母
- 文藝春秋 / 2001年7月10日発売
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父親と母親の手記だが、読んでいて少し他人事に聞こえてくる箇所があったように思ったが、こういう痛ましい事件のため、自分の気持ちにも何らかのバイアスがかかっているのかもしれない。
Aが容疑を否認しているのならまだしも、そうではないのに、子供を信じて被害者にお詫びに行けなかったというところには少し違和感を感じざるを得ない。そこが他人事のように感じたさいたるものだ。
母親は、厳しいというマスコミの情報もあるが、手記を通しても、厳しさというより、子供に寄り添えて物事を考えていないような気もした。話をしている会話の微妙なニュアンスも含めて。
この事件について、少し他の著書も読んでみようと思う
2024年10月31日
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裁きの家 (集英社文庫)
- 三浦綾子
- 集英社 / 1977年5月20日発売
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滝江と優子の間の皮肉や腹の探り合い、当てつけと比べるように、息子の修一と彼女の関子の心洗われるような会話が入る。優子はその会話を聞きながら、自分たちの生活に、誠実さや清さなど大事なものがかけていることを考え込まざるを得なかった。
制度の改革より、人間の改革に興味があるんですよ。制度がいくら理想的になっても、人間がやくざじゃ、しようがありませんからね。なんせ、事を複雑にしているのは、人間なんですから。
一方、人間の改革より、制度の改革のほうが、効果がある。人間はなかなか利巧にならないけれど、少なくともいい制度があれば、この世は住み心地がよくなる。たとえば、年寄を大切にしなさいって百万べん聞かされても、日本中の人が年寄を大事にするのには、時間がかかる。何万年かかっても、同じかも知れない。でも、六十歳以上の方は、月二万円の補助が国から出るとか、鉄道運賃は只だとかって制度ができれば、このほうがてっとり早いかもしれない。
人間はね、誰も相手のいうことなんか、聞こうとしてやしないよ。対話と見せかけて、結局は、自分の言いたいことを押しつけてくるだけだよ
自己主張の果ては死である。女の裸が見たいからといって、無理矢理裸にしたらどうなる。近所のきれいな女の人を抱きたいからといって、道の真ん中で抱いたらどうなる。したいからといって、したいことをしていたら、人間はどうなる?体も心も目茶苦茶になってしまうよ。金が欲しいからって、強盗したり、殺人したりするのと同じさね。自己主張の果ては死、っていい言葉だろ。だから、おれはね、自分のしたいことと戦うのが好きなんだ。これが本当の、人間の戦うべき戦いだよ。そりゃあ、時には関子さんの手を握りたいことがあるよ。だけど、関子さんは、いつか誰かと結婚するだろう。その結婚する人と初めて手を握るのが、関子さんのしあわせだろ。そう思ったら、あの人のしあわせのために、おれは我慢することにするのさ。
夫婦というものは、いい時だけのものではない。貧しい時も、豊かな時も、病気の時も、健康の時も、変ることなく支えあっていくのが夫婦だ。いや、病気の時にこそ、貧しい時にこそ、慰め手が必要なのだ。励まし手が必要なのだ。夫婦には、いろいろな未来が待っている。結婚式を挙げる時、いかなる夫婦といえども、これから先何十年の間に、何が起るか予想し得ないのだ。事業が失敗するか、あるいは交通事故で不具になるか、または殺人を犯すか、それは誰にもわからないことなのだ。未来とはそのような恐ろしい可能性をも含んだ、無気味なものなのだ。二人の男女が、将来を誓うということは、その無気味な未来をも、あるいは輝かしいかも知れない未来をも、ひっくるめて共に背負うことなのだ。もともと、心の変り易い人間が、一生を誓うということは、そうした不敵なまでの真剣さがなければならない
小事に忠実な人間は、大事にも忠実である
与うるは受くるより幸である
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くらべてみると面白いほどよくわかる!図解 古事記と日本書紀
- ちはやぶる記紀神話研究会
- ワン・パブリッシング / 2021年12月2日発売
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記紀に書かれていることを結構詳細に説明してくれているので、随所にへーって思うとこも多かったが、内容に深く切り込んだところもなく、初心者用と言う感じ
2024年10月24日
永遠に戦い続けられる者だけが生き残る。
当然だ。戦など水ものだ。勝つ時もあれば逆に負け込む時もある。だからこそ、敵を殲滅するまで戦い続けられる財力のある者だけが、最終的には勝者となる。
ありていな正論よりも腹の底から出た本音が人を動かす
2024年10月18日
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仁義なき戦い 決戦編: 美能幸三の手記より (角川文庫 緑 464-2)
- 飯干晃一
- KADOKAWA / 1980年3月1日発売
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死闘編の続編
広島の知っている地名が多数出てくるため読んでいて臨場感が半端ない
2024年10月18日
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仁義なき戦い 死闘編: 美能幸三の手記より (角川文庫 緑 464-1)
- 飯干晃一
- KADOKAWA / 1980年3月1日発売
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地方の中心地・広島市は原爆によって破壊し尽くされた。再び都市を建設するには、男たちの喧々轟々としたエネルギーが要る。建設業者、手配師、労務者があふれ、酒と売春とバクチと喧嘩で賑わった。これも無法の街を生み出した原因の一つであろう。
さらに広島、呉は日本でも有数の軍都であった。日清戦争では広島に大本営が設置されたぐらいで、呉軍港とともに陸海軍の大根拠地と言っていい。だから米軍と英連邦軍はいち早く進駐し、占領軍の重要拠点の一つとなった。これは広島のヤクザに銃を供給する大きな源泉となったのである。
荒っぽくて、道具(銃)が豊富である。これでは喧嘩がないほうがおかしい。だから、広島で最も熾烈な戦いが行なわれたのである
2024年10月11日
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ユキは十七歳 特攻で死んだ 子犬よさらば、愛しきいのち (ポプラ文庫 日本文学 275)
- 毛利恒之
- ポプラ社 / 2015年7月2日発売
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人間というものは、使命感を抱き、その使命に誇りを持って燃えることができれば、どんな過酷さにも平気になれるものだ。むしろその過酷さを引き受けることが誇りになる
とは、陸軍士官学校の教育についてのべられた中條高徳さん(陸土六十期、アサヒビール名誉顧問)のことばだ。
只一筋に征く
特別攻撃隊員
陸軍伍長荒木幸雄
西住寺で最後に一筆求められたのでしょう、大型ののりのきいた白いハンカチにひとこと、凛々しい短いことばを、楷書体のしっかりした字で墨痕あざやかに書き遺しています。
目標をさだめて、突撃開始。全速力で、激突するまでおよそ十数秒
特攻隊員に与えられた「極秘特攻隊必携」には、「最後マデ照準セヨ。眼ラツムルナカレ。眼ヲツムレバ命中セズ」とあった(『と号空中勤務必携』下志津飛行部隊)。
病で余命少なくなったあるひとは、自分の腕にとまって血を吸っている勤さえも、いのち愛しく、叩かず、払わなかった、また、大手術を受けて死の淵から生還したあるひとはいいました。草木の幼い芽吹きにも、一匹の小さな虫にも、いのちの不思議と生きとし生けるものへの愛しさを感じると
それに通じるような、この世に生きるものへの切ない惜別の心情が、死を覚悟した十七歳の少年にあったのではないか
出発準備が整う14時ごろのこと、幸雄は仔犬を見つけたのだと思われる
中央に、身をかがめた荒木幸雄伍長が、子犬を抱いている。右の掌にのせ、左の手で子犬の首元を支えています。それを囲む少年飛行兵たち。荒木のむかって右にかがんで、子犬の背に手をさしのべる形田教正佐長(十八歳)。その後ろに立つ小柄な高橋峯好伍長(十七歳)。荒木の左に子犬の頭をなでる早川勉佐長(十八歳)。その後ろに高橋要伍長(十八歳)がいます。みな、少年飛行兵十五期の仲間だ。すでに、飛行服に飛行帽、帯で身をかためて、出撃の準備を整えている。左の二の腕につけられた第七十二振武隊のマーク。額にあげた飛行眼鏡が空を映して反射し、機元に巻いた白いマフラーが凛々しくあざやかだ。死の出撃まで、二時間。子犬はしょんぼりして悲しげだが、少年飛行兵たちは悲壮感を感じさせない。荒木伍長は真っ直ぐにカメラを見つめて、静かな笑みをたたえ、早川伍長と高橋要伍長は、子犬を見て白い歯を見せて明るく笑っている。千田伍長は顔をほころばせ、後ろに立つ高橋峯好伍長は、まわりを気にしたのか照れたような茶目っけのある笑みを浮かべて、わきに目をやっている。迫る死の恐怖を感じさせない、彼らのさわやかな微笑みは、いまも、見るひとの目に焼きつき、心をつかんで離さない。
出撃準備を整えた幸雄達だったが、沖縄地方の悪天候のため、出撃は翌日になった。
そして、午前四時に出撃。前方、晴れた日なら見えてくるはずの沖縄本島の島影は、黒い雨雲に
おおわれていて見えない。あの雲の彼方で、守備軍が優勢な米軍を相手に凄絶な死闘をつづけている。住民たちは戦火に追われて、いのちを奪われつつある。援けなければならない。同胞を護らなければならない。そう信ずればこそ、いのちをかけて、彼らは征く。
2024年9月27日
おそめさんの旦那になる、俊藤浩滋の自伝。かなり誇張して描かれているところがもしかしたらあるかもしれないが、それはそれで良いと思う。戦後の時代の大きな流れが見える。
任俠映画の夢とロマンとは、私利私欲や打算を抜きにして男が命を賭ける、その純粋さが人の心を打つのだとおもう。
のちの暴力団の利害関係や私利私欲による抗争を描く映画と違い、任依映画は依客の映画であって、登場するやくざ者は犠牲的精神に生きている。弱いもののため、義理と人情のため、という昔から日本人の持っていた精神を命がけでつらぬく。現実にそんなことをしたら「アホかいな」となるかもしれないが、みんなその精神に共鳴したからこそ、十年間、任俠映画をつくりつづけることができたという。
2024年9月24日
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朱より赤く 高岡智照尼の生涯
- 窪美澄
- 小学館 / 2022年1月26日発売
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芸妓として親に売られて様々な苦境に耐えて、反抗してきた高岡智照の尼になるまでの半生を描く。
高岡智照こと琴葉は、様々な苦境を経験するが、半分は自分の奔放な性格にもよるものと思う。抜けようと思えば抜けれるタイミングはいくつかあったが、それをせずにきた時もある。
あまりこの手の小説は読んだことがないため、おそめの話と同じく、興味を持って読むことができた。(瀬戸内寂聴の本も高岡智照を題材にしているが、これは少ししかよめなかった)
2024年9月17日
60ページと、途中で挫折
語り口が自分には高尚すぎて読み進めるのがしんどかった。この小説は一種の文学だな
2024年9月11日
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咸臨丸、サンフランシスコにて (角川文庫)
- 植松三十里
- KADOKAWA / 2010年4月23日発売
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本は2部構成で、第一部は実際に咸臨丸に乗ってサンフランシスコにわたり、帰ってきた吉松などの水夫のものがたりで、第二部はそんな水夫たちの航海やサンフランシスコでの生活を出版しようと奔走した文倉平次郎のものがたり
どちらも情熱をもった日本人のものがたりであり、維新後から第一次世界大戦のはじめに至るまでの日本の航海技術などの状況を物語っている。
2024年9月10日
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おそめ―伝説の銀座マダム (新潮文庫)
- 石井妙子
- 新潮社 / 2009年3月28日発売
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おそめこと、上羽秀についてのノンフィクション。
京都と銀座にバーを開き、そこのママとして名を馳せた上羽秀とその関係者たちについて、当時を知る人たちの話を聞きながらまとめたもの。
歴史小説とはまた違った面白さがある。当時のお店はもうないが、その跡らしきものは、まだ残っている感じだ。
2024年9月6日
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妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻
- 豊田正義
- KADOKAWA / 2013年6月7日発売
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谷藤徹夫とその妻朝子が天皇の終戦の勅後にソ連軍に特攻していったことを記す
半分以上は、徹夫の物語というより、そのような行動に至った背景を記している
でも、最後にちゃんと靖国に合祀されたのでよかったと思う
2024年8月27日
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無菌病棟より愛をこめて
- 加納朋子
- 文藝春秋 / 2012年3月23日発売
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著者は職業柄、面白おかしく書き留めているが、所々、やはりしんどかったものと思われるところがあり、大変な治療だということがしみじみわかった。
日記風に闘病記録が面白い比喩を散りばめながら綴られている
2024年8月22日