安楽死を遂げた日本人

著者 :
  • 小学館
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感想 : 48
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  • Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093897822

作品紹介・あらすじ

NHKスペシャルでも特集!

ある日、筆者に一通のメールが届いた。
〈寝たきりになる前に自分の人生を閉じることを願います〉

送り主は、神経の難病を患う女性だった。全身の自由を奪われ、寝たきりになる前に死を遂げたいと切望する。彼女は、筆者が前作『安楽死を遂げた日本人』で取材したスイスの安楽死団体への入会を望んでいた。

実際に彼女に面会すると、こう言われた。
「死にたくても死ねない私にとって、安楽死は“お守り”のようなものです。安楽死は私に残された最後の希望の光です」

彼女は家族から愛されていた。病床にあっても読書やブログ執筆をしながら、充実した一日を過ごしていた。その姿を見聞きし、筆者は思い悩む。
〈あの笑顔とユーモア、そして知性があれば、絶望から抜け出せるのではないか〉

日本では安楽死は違法だ。日本人がそれを実現するには、スイスに向かうしかない。それにはお金も時間もかかる。四肢の自由もきかない。ハードルはあまりに高かった。しかし、彼女の強い思いは、海を越え、人々を動かしていった――。

患者、家族、そして筆者の葛藤までをありのままに描き、日本人の死生観を揺さぶる渾身ドキュメント。


【編集担当からのおすすめ情報】
NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(6月2日放送)も、この女性を特集――。同番組には、筆者が取材コーディネーターとして関わっています。番組に興味を抱いた方は、その舞台裏も描いた本書をお読みください。

感想・レビュー・書評

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  • 遺伝子までいじる事が出来るようになった現在も、死だけは回避する事は出来ません。
    死ぬ事は全てが無に還る事、この確かに活動している精神活動が一瞬で終了してしまう事。愛しい人々とも永遠に別れる事。自分を取り囲む全ての事から切り離される事。
    死ぬことはとても怖いです。だからこそ毎日毎日に感謝して生きています。
    翻って、寝たきりになって全ての生命活動を他者に委ねなくてはならなくなった時に、それでも生きていたいかと言われれば答えは「否」です。
    この本は「安楽死」をスイスで遂げる事が出来た女性を主な登場人物として、安楽死を望みつつ果たせなかった人、今現在も望んでいる人。そして安楽死を受け入れる家族の精神のあり方。安楽死と尊厳死、そして緩和ケアの考え方の違い。色々な事を考えさせられて読みやすい本なのに、決してさくさく読める本ではありません。
    安楽死自体を僕は概ね肯定しています。そしてこの本は安楽死を遂げ、家族に愛されつつ最後まで自分の意思を貫いた姿に胸を突かれます。が、読んでいる最中自分なら安楽死したいけれども、家族がしたいと言った時に受け入れられるかと考えた時にとても戸惑いました。
    この女性は次第に小脳が委縮し、体の全機能が働かなくなる病です。本書の末期では言語障害、体を動かす事も困難になり、排せつも何もかも家族に任せなければならない状態でした。それでいて思考は明晰な状態なので、このまま意思表示出来なくなる前に死にたいというのは物凄く理解出来ます。
    しかし意思の疎通が出来る彼女を見送らなければならない家族の喪失感を僕は想像出来ないし、想像しようと試みましたが、手足が冷たくなって考える事頭が拒否している感じでした。
    わざわざ他国まで行って安楽死をしなければならないというのは、その他国からしてみれば自国内で行って欲しいというのが偽らざる真実でしょう。しかし日本国内でそれが認められるかと言えば本当に難しいと思います。
    全体主義が染みついている我々は、死に向かう時でさえ残された人の事を考えるし、なんなら死ぬ寸前でさえ自分勝手だと誹られる可能性があるくらいです。これは自分もその一人であり、個人主義に一気に鞍替えするのはとても難しい事だと思います。
    しかし誰でも死ぬという事から逆算した時に、死に方を自分で選ぶことが出来ないという事は当事者からすると、とても理不尽であるとも感じました。難しい、とても難しくて自分の中でも答えは出ません。でも読んで本当に良かったと思う本でした。

  • 前作「安楽死を遂げるまで」で各国の当事者の最期を
    追っていた著者に初めてスイスで安楽死を
    遂げようとしていた日本人女性からメールが届く

    この方がスイスに赴き自らの意思で命を終えたことは
    昨年のNHK番組でみていたので結末はわかっています
    なぜこの選択をしたのか そこに至るまでの
    細かな心の動きや家族との赤裸々なやりとりを描いています

    ご本人のブログから抜粋された内容はつらすぎるのですが 
    この方の意志の強さと周りへの気遣い
    家族への愛情を直に感じることができました

    どのような最期を迎えるか 迎えたいのか
    選べるのか そうでないのか
    今を生きている自分もいつかは迎えるその時

    そうしたことを考えるようになったのは十数年前に
    ALSの告知を受けて自死した知人の家族の話を聞いてからです
    体が徐々に動かなくなるが意識ははっきりしている
    でもなにもできない 死にたいと意思表示することすらができない
    想像するだけでも怖くてたまりません

    本人および家族やかかりつけ医 介護関係者が話し合い
    本人の価値観や人生観を日ごろから共有する
    人生会議(ACPアドバンストケアプランニング)
    の必要性は理解はしているものの 
    なかなか実行できていないのが現状です

  • 日本人で初めて安楽死を遂げた人を生前から丁寧に取材。緩和ケアについてもよく分かった。
    自分が同じ立場に置かれたら、もう一度よく考えたい。

  • ここ数年で読んだ本の中で一番気分が重たくなる。ただ、読んでよかった。

    【感想】
     audiobook.jpで読了。「安楽死を遂げた日本人」小島ミナさんが安楽死に至るまでの過程が、著者の取材によって描かれる。その内容がとにかく重たい。救いがない。読んでいて、「これなら、安楽死を望んでも仕方ない。自分も同じ環境にいたら、そう思うかもしれない」と感じた。小島さんを安楽死に向かわせるのは多系統萎縮症という難病である。この難病が恐ろしい。正常な思考力は保ったまま、身体の動作、筋肉が全て弱っていき、最終的にねたきりになってしまう。難病であるから、発症のメカニズムや治療方法も分からない。発症したら、最後、である。もう、「何でこの世には難病なんてものが存在するんだ」と思ってしまう。
     小島さんが難病を発症してから、姉夫婦に介護され、その過程で自殺未遂を繰り返すエピソードがしんどい。自殺行為を止めて泣きじゃくる小島さんと姉...。それも年代を50歳も超えてである。姉夫婦も小島さんも悪くないのに、なぜあんなに苦しい思いをしなければならないのか...。難病の恐ろしさたるや。いつどこの誰に起きてもおかしくないのである。ここが一番読んでいて恐ろしく、かつ読んでよかったと思う点である。読んでいて、「確かに安楽死したほうが周囲にとっても本人にとっても幸せだ」と思えなくものない、迫力がある。実際に、小島氏と信頼関係を築いて、家族と共に、自殺ほう助の現場に立ち会い、そのプロセスを詳細に記述している。なかなか知り得ることができるものではない。読みながら涙した本は久しぶりだった。
     また、本を読んで勉強になったのは「自殺ほう助」を巡る様々な論点が存在する、ということ。日本のマスコミにおける自殺ほう助を巡る議論のレベルは高くなく、一律に自殺ほう助を認めるのは、この社会においてはリスクが高い、という著者の主張にもある程度納得がいった。最終的に、自殺ほう助を認めることに賛成 or 反対するにしろ、双方のメリット、デメリットは知っておくべきであろう。

  • 『感想』
    〇人の命は誰のものなのだろう。その人自身だけのものなのか、家族やその周りの人のものでもあるのか。

    〇自分が苦しいことなら我慢できても、苦しんでいる家族を見ているのは我慢ならない、この感覚は大概の人は持っていると思う。かと言って死んでしまったら苦しみから解放されるわけではない。

    〇本人は死んだら終わりかもしれない。だが残されたものはその死を一生背負っていかなければいけない。

    〇本人は自分の死に対して、家族は本人の気持ちを理解したうえで死を受け入れる覚悟を持ったうえでないと安楽死はしてはいけない。

    〇安楽死した小島さんのご家族は安楽死を受け入れることができた。これって家族愛なのだろうか。こればかりは当事者でないとわからないし、他人が勝手に批評するべき部分ではないな。

    〇家族のために苦労をすることを苦労と思わない。そこまで感じさせる関係を築いていけるだけのことを普段からしているだろうか。

    〇日本で安楽死を認めるかどうかはもちろん議論をし尽くした上で決めていけばよいとは思うが、日本でできないからスイスに行かなければならないという現状では、スイスに行ける体力があるうちに決断しないといけないという、結果として命を縮ませる現象を生み出しているのが何とも言えない。

    〇幸せだけれど楽しくはない、この言葉は考えさせられた。楽しさの先に幸せがあると思っていたが、ベクトルが違うこともあるのか。楽しいは一人でも味わえるけれど、幸せは周りとの関わりの中にあるものなのかもしれない。例えば自分の子が好きな人と結婚をして自分のもとを離れて暮らすことは、自分にとっては幸せに感じるけれど楽しくはないのかもしれない。

  • 安楽死と尊厳死の違いなどはっきりしてなかったことが良くわかると共に考えさせられることも多かった.実際自分だったらどうするだろうと思いながら読み進んだ.日本も法律が変わらない限り選択肢が限られるが,生きる権利が大切なら死ぬ権利も大切なので,この本がもっと読まれて欲しいと思った.

  • ルポルタージュ自体あまり読んだことなかったけれど、引き込まれた。NHKでの番組を見ただけでは分からない感情などが描かれており、安楽死される場面は自分も泣きそうになってしまった。「死」は常に自分の近くにいるかもしれない、ということに気づくことができない日本という場所に住んでいる今の自分たちは、死生観について今一度考え直す地点に来ているのかもしれない。

  • 前作でスイスの自殺幇助団体ライフサークルを舞台に安楽死の現場を徹底的に取材した著者は、身体の機能が次第に喪失するという難病を抱えた一人の日本人女性から連絡をもらう。本書は彼女が様々な障壁を乗り越えて、遠いスイスの地でライフサークルによる安楽死を遂げるまでを取材した続編である。

    難病を抱えて姉と妹に介助され、数度の自殺未遂を経て彼女が行き着いたのは遠い異国の地の自殺補助団体、ライフサークルである。治る見込みのない難病などから安楽死を希望する患者は、ライフサークルのような団体による安楽死の計画が決まることでかえって心身の安定を得ることがあるという。本書で描かれる女性もそうであり、”いつでも安心して死ねる”という選択肢を持つということが、あたかも金融におけるリアル・オプションのように、患者の不安を軽減するというのは、このような話を聞くまで、全く知り得ない世界であった。

    件の女性は介助してくれた姉たちに看取られ、静かにスイスにて息を引き取る。本書に収められた写真からも、その安らかさが痛切なまでに伝わってくる。

  • 走り書き。

    小島ミナさんは本当に恵まれた人で、本人の望み通り安楽死ができて本当に良かったと思った。恵まれていたと感じる条件が、①家族の理解、②タイミング、③経済的余裕、④宮下洋一氏と知り合えたこと、だと思う。

    ①家族の理解に関しては、両親共に他界しているようで、説得するのは姉2人と妹1人。小島氏は独身なのでパートナーや子供はいない。愛犬がいたため発病後の療養生活を頑張っていたがその犬も寿命で他界。姉2人が素晴らしく聡い方で、本人の意思を尊重してくれ、共にスイスにも同行した。特に長姉は同居をして面倒を看ていたりと献身的であった。さて、私の場合はどうか?両親二人とも、あるいは片方を説得できてももう片方が安楽死を尊重してくれない気がする。夫自身は安楽死に反対の立場のようだが、説得できそうな気がする。子供を残していくことはどうだろうか?例えば、子供が成人していれば納得して貰えるだろうか?

    ②本人がまだ渡航できる体力があり、医者と意思疎通できる程に話せる状態である中に、ライフサークルから提示された日程に決行できたことは、タイミングが良かったと思う。あまり早すぎてもまだ安楽死の必要がない、と言われて日本に引き返すことになるし、遅すぎたら渡航も出来ず、医師とも話せないのではライフサークルの要件に当てはまらなくなってしまう。またコロナ前であったことも彼女にとっては幸いで、コロナ禍では多くの方が安楽死を諦めざるを得なかったのであろう。

    ③経済的余裕 自殺幇助にかかるお金が100万円程。加えて、彼女の病状からファーストクラスに乗ったため片道190万円。出国の際、片道だったのを怪しまれて帰りのエコノミーのチケットも急遽購入。姉二人はエコノミーだったのだろうか?お金がないと安楽死もできないのだなぁ、死ぬのにも大金がかかってシビアな世界だ、と思った。これは誰かが安楽死を望んでこちらが尊重していても、ポンと出せる額ではない。

    ④作者と連絡を取っていて、面識があったこと。医師の勘違いで日程の融通が利いた印象。小島氏のスイス渡航後もNHKドキュメンタリー撮影の関係もあってか、ライフサークルの代表医師との最初の面談の時に宮下氏が同席しており、英語で通訳をして貰えたこと。この通訳がなかったらこの計画は頓挫している可能性もあったようだ。まさか安楽死をするのに語学力が必要だなんて想像していなかったのでリアルだなと感じた。書類やメールも英文(あるいは独・仏等)でないといけないので、必要な書類を揃えることもかなり大変そうだった。
    必要書類も事前に提出していなかったり、日本円もスイスフランに両替していなかったり、メールが送れなくなったり、少し準備が甘く綱渡り的に決行されたのも本当に運が良かった印象、宮下氏と知り合いじゃなかったら断られていたのではないだろうか。代表医師も無理だと言っていたのに突然受け入れがOKになったり、最後まで何が起きたのかよく分からなかった…。

    日本では安楽死は違法だが、尊厳死(延命治療を中止すること等)と緩和ケア、セデーション(sedation、鎮痛)という選択肢があるとのこと。ただし、緩和ケアは日本ではがん患者等対象が限られているのと、順番待ちがあるよう。セデーションに関しては、例えば自分がコミュニケーションを取れなくなってしまった後に家族に反対されてしまったら決行してもらえない。また、痛み抜いた末にやっと決行して貰えるようだ。

    著者は、安楽死には反対の立場を一貫している。自分が小島氏のような状態になったら?「なってみないと分からない」と答えている。このテーマに関してのルポルタージュを2冊書いている方なので、それはもう想像済みで、想像した上で安楽死はしない、反対だ、という立場なのかと思った。何人もの現場に立ち会うと分からなくなるのかもしれない。小島氏のような、すぐに死ぬわけじゃないが、段々と自分の力だけで日常生活が送れなくなる、というのは想像は難しいが、擬似体験はできるのではないか?まあ絶対実現しない話なのだが、例えば病院の一室で、体を動かすことを禁止して(手足も動かせない、話せない)、食事も点滴で摂り、排泄の世話もスタッフに面倒をみてもらう。こんな生活が何年も何十年も続く。1週間体験するのも辛いんじゃないだろうか?同じ状態であっても懸命に生きている人もいる。喜びを見出している人も、負けるもんかと闘っている人もいる。でも、小島氏のように「こうやって生きながらえることに意味はあるのか?」と、もう自分の幕は自分で閉じたくなる人の気持ちも尊重されるべきではないだろうか。

    作中の吉田氏はがん患者で渡航が叶わず最期はホテルで亡くなったようだが、作者は最後に家族に面倒をみてもらえて安楽死よりずっと良かったはずだ、と言っていた。少し疑問である。臼井氏に関しては、安楽死の仲介をするビジネスを考えているようで、こちらもなんとも言えない。最近も違法な臓器移植のNPOに大金を払ったものの失敗、なんてニュースがあり、こちらもキックバックがあったような気がするが…。安楽死を提供するビジネス、と、安楽死の「仲介」をするビジネスというのは全く違って、違和感がある。海外でそんな企業はたくさんあるのかもしれない。

    著者の前作は未読。この本を読了した後にNHKのドキュメンタリーも見たが、本の方が詳細で説得力があった。

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著者プロフィール

ジャーナリスト

「2020年 『ルポ 外国人ぎらい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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