友だちになれたら、きっと。―イスラエルとパレスチナの少女の文通 (この地球を生きる子どもたち)

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エルサレムのすぐ近くの街デヘイシャの難民キャンプに住むパレスチナ人少女メルヴェトとエルサレムに住むユダヤ人少女ガリトが12歳の時に始めた文通の記録。間をとりもったのがこの本の編者のリツァ。ギリシャ生まれのベルギー人で英語とフランス語を話す。リツァは1962年生まれなので、彼女がメルヴェルとガリトに会った1988年には26歳頃だったことになる。基本的にメルヴェトはアラビア語、ガリトはヘブライ語を話していたと思われるけれど、リツァはどちらも理解することができたのだろうか。そのあたりの事情ももう少し詳しく知りたいところだ。
 イスラエルによる占領に立ち向かうためインティファーダが行われていた頃。パレスチナの少女とイスラエルの少女は、それぞれの国同士が仲良くないことは知りながら、お互いのことを知りたいと思う。どんな音楽が好きか、家ではどんなふうに過ごしているのか、学校では何をしているのか…。ふたりの手紙を読んでいると、人はやはり自分の経験した範囲で物事を考えがちであることがわかる。学校が閉鎖されてしまったメルヴェトは、最初は嬉しかったけど、何か月も続くと「石けりもなわとびももう十分」(p.37)と書く。「ユダヤ人はきらい。アラブ人にひどいことばかりするから」(p.46)。これに対しガリトは「たくさんのアラブ人が、私達ユダヤ人を海に投げ込んでやる、と言っている」(p.51)と書き、「なぜ石を投げるのをやめないの」と問う。イスラエルとパレスチナは争っているけれど、おたがいは普通の友達であると感じている。社会の変化の中でその気持ちもゆらぐのだが、二人はついに会うことになる…
 やがて文通が途絶え、リツァが次に彼女達に会った時には二人とも母になっていた。彼女達はどんなふうに成長したのか…
 ヘブライ語の挨拶に使う「シャローム」もアラビア語の挨拶に使う「サラーム」もどちらも「平和」という意味(p.17)。「エルサレム」とは「平和の町」という意味(p.16)。みんな平和を願っているのに、平和な日々は訪れない…
 当事者達もどうしていいかわからず、私達もどうしていいかわからないけれど、こうして対話をすることが少しでもお互いを知るきっかけになることは確かで、お互いのことを人間として実感することができるようになることも確かで、結局、平和への道はこんな小さな交流のようなことから始めるのがいいのかもしれない。
 日本の同年代の子ども達(小学校高学年から中学生)にもぜひ読んでほしい。

レビュー投稿日
2014年6月29日
読了日
2014年6月29日
本棚登録日
2014年6月29日
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