折れない自信をつくるシンプルな習慣 (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版 (2014年4月11日発売)
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・行き当たりばったり、に生きる

運気を上げる方法は、
運の流れ、運の気の邪魔をしないということです。

運気が悪い時は、我慢しない、頑張らない、もがかない。
運気がよければ、我慢しない、頑張らない、もがかない。

我慢しない、頑張らない、もなかないでいい。
運の流れに逆らうように、自分の力でもがく、なんとかしようと踏ん張るのをやめること。
いい加減に、適当に、なんとかなると思って生きるとも言えます。

それは、何かあっても自分は大丈夫(かも)と思えたからこそできたことでした。
あるいは、何が起こっても受け入れるという覚悟、決意、腹を据えたからできたことでした。
傷つく覚悟ができたからとも言えます。

そうしたら、不思議と運の流れに乗れた気がします。
もちろん、運の流れには不運に見えるものも混じっています。それも、慌てず、焦らず、ただ乗ってみる。幸運に見えるものは、騒がず、奢らず、ただ乗ってみる、味わってみる。

・流れに身をまかせながら自分の力で泳ぐ

ある日、泳げないのに、海に行ったと想像してみてください。
自分一人で海で泳ぐのは怖かったので、浮き輪をもらいました。悠々と波に揺られたりして海を楽しみたかったので、浮輪をたくさん集めました。

でも、浮輪を集めても集めても、波が来て浮輪をさらっていってしまいます。残った一つの浮輪にしがみついたりします。とても波を楽しむどころじゃありません。
だから、浮輪がなくても海を楽しめるよう、プールで練習しました。

後日、少し泳げるようになったので海に行きました。念のため、浮輪は持って、砂浜からゆっくりと、沖へと進んでいきます。
「浮輪、もういらないかも」そう思った瞬間、突然、足がつかない深さに来て、ドボンと頭まで沈んでしまいました。

とたんにパニックになって、やっぱりまだ浮輪が必要だ!と思いました。
でも、浮輪をしていると、うまく泳げません。せっかくできるようになったクロールや平泳ぎも浮輪をしていると難しい。だから、いつまでも浮輪を持ったまま、波打ち際から離れられません。

沖で自由に泳げる人たちがうらやましくてしかたありません。でも、怖いのです。
沖の方から、みんなが、こっちおいでよ!楽しいよ!って声をかけてくれます。でも、怖くて行けません。浮輪も手放せません。

そんなことが続くと、だんだんと気持ちがいじけて、頑なになってきます。
沖では、心屋というおっさんが、浮輪なくても体が浮いて無理に力を入れなくても泳げるでしょー、なんて気楽なことを言っています。
バカじゃないの、あんた、脂肪が多いから浮くんでしょ、と、余計に腹が立ちます。

この浮輪のことを、僕は人生という海では、資格とか、貯金とか、努力とか、がんばるとか、安定などというんじゃないかなと思ったのです。

僕も長い間、泳げないと思って、ずっと浮輪にしがみついて生きてきました。波にさらわれて、浮輪を流されて、必死に自力で泳いだこともありました。

でも、泳ぎ疲れて、バタバタと泳ぐ(がんばる)のをやめたときに、ふと、自分の体が浮いていることに気がついたのてす。

溺れている人を助けようとするとき、溺れている人が手足をバタバタさせて泳ごうとすると、助けられませんよね。それも同じ理屈なのかもしれません。

怖くても、浮輪を手放すと、流れというものが自分をいい感じに運んでくれるのです。

怖くても、資格とか、がんばるとか、安定とかを手放して、流れに身を任せながら、自分の力で生きてみませんか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 2017
感想投稿日 : 2017年3月21日
読了日 : 2017年3月31日
本棚登録日 : 2017年3月21日

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