・行き当たりばったり、に生きる
運気を上げる方法は、
運の流れ、運の気の邪魔をしないということです。
運気が悪い時は、我慢しない、頑張らない、もがかない。
運気がよければ、我慢しない、頑張らない、もがかない。
我慢しない、頑張らない、もなかないでいい。
運の流れに逆らうように、自分の力でもがく、なんとかしようと踏ん張るのをやめること。
いい加減に、適当に、なんとかなると思って生きるとも言えます。
それは、何かあっても自分は大丈夫(かも)と思えたからこそできたことでした。
あるいは、何が起こっても受け入れるという覚悟、決意、腹を据えたからできたことでした。
傷つく覚悟ができたからとも言えます。
そうしたら、不思議と運の流れに乗れた気がします。
もちろん、運の流れには不運に見えるものも混じっています。それも、慌てず、焦らず、ただ乗ってみる。幸運に見えるものは、騒がず、奢らず、ただ乗ってみる、味わってみる。
・流れに身をまかせながら自分の力で泳ぐ
ある日、泳げないのに、海に行ったと想像してみてください。
自分一人で海で泳ぐのは怖かったので、浮き輪をもらいました。悠々と波に揺られたりして海を楽しみたかったので、浮輪をたくさん集めました。
でも、浮輪を集めても集めても、波が来て浮輪をさらっていってしまいます。残った一つの浮輪にしがみついたりします。とても波を楽しむどころじゃありません。
だから、浮輪がなくても海を楽しめるよう、プールで練習しました。
後日、少し泳げるようになったので海に行きました。念のため、浮輪は持って、砂浜からゆっくりと、沖へと進んでいきます。
「浮輪、もういらないかも」そう思った瞬間、突然、足がつかない深さに来て、ドボンと頭まで沈んでしまいました。
とたんにパニックになって、やっぱりまだ浮輪が必要だ!と思いました。
でも、浮輪をしていると、うまく泳げません。せっかくできるようになったクロールや平泳ぎも浮輪をしていると難しい。だから、いつまでも浮輪を持ったまま、波打ち際から離れられません。
沖で自由に泳げる人たちがうらやましくてしかたありません。でも、怖いのです。
沖の方から、みんなが、こっちおいでよ!楽しいよ!って声をかけてくれます。でも、怖くて行けません。浮輪も手放せません。
そんなことが続くと、だんだんと気持ちがいじけて、頑なになってきます。
沖では、心屋というおっさんが、浮輪なくても体が浮いて無理に力を入れなくても泳げるでしょー、なんて気楽なことを言っています。
バカじゃないの、あんた、脂肪が多いから浮くんでしょ、と、余計に腹が立ちます。
この浮輪のことを、僕は人生という海では、資格とか、貯金とか、努力とか、がんばるとか、安定などというんじゃないかなと思ったのです。
僕も長い間、泳げないと思って、ずっと浮輪にしがみついて生きてきました。波にさらわれて、浮輪を流されて、必死に自力で泳いだこともありました。
でも、泳ぎ疲れて、バタバタと泳ぐ(がんばる)のをやめたときに、ふと、自分の体が浮いていることに気がついたのてす。
溺れている人を助けようとするとき、溺れている人が手足をバタバタさせて泳ごうとすると、助けられませんよね。それも同じ理屈なのかもしれません。
怖くても、浮輪を手放すと、流れというものが自分をいい感じに運んでくれるのです。
怖くても、資格とか、がんばるとか、安定とかを手放して、流れに身を任せながら、自分の力で生きてみませんか。
- 感想投稿日 : 2017年3月21日
- 読了日 : 2017年3月31日
- 本棚登録日 : 2017年3月21日
みんなの感想をみる