編集者の才を疑いたくなる文章力。稚拙な表現力が苛立ちを助長させる。
荒削り、ではなく、軽く薄い。まるでタイトルのかげろうの翅、そのままに。
それでも、確かに命があった。
翅の先には、肉体があった。
技巧をこらすのが、登場人物の奥底までを暴きだすのが、小説ではない、と。
畳みかけるように、引き摺りこまれていく。
「つまり、私たちが取り扱っているのは命の抜け殻なのです。」
自分をころす。
これほど真正面に突き付けた言葉をほかに知らない。
*
脳は売り物にならないという。それはどこにいくのだろう。キョウヤとはナニモノなのだろう。もしかしたら、キョウヤは取引相手の脳を移植され続けているのではないのだろうか。大東もいっていた。移植された脳は肉体と馴染み徐々に「その人」になっていくかもしれない、と。そうしてキョウヤは永遠にキョウヤであり続ける。キョウヤ自身が命のリサイクルそのもので、回し続けなければ生きていけない象徴なのでは、なんてね。
答えはきっと、読んだ人の分だけある。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
現代小説その他
- 感想投稿日 : 2011年1月2日
- 読了日 : 2011年1月1日
- 本棚登録日 : 2019年12月31日
みんなの感想をみる