笑い (ちくま学芸文庫)

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『笑い』 アンリ・ベルクソン

笑いとは何か。可笑しさとは何かについて、徹底的に論じた本。
最近、お笑いをよく見ていることや、『JOKER』(2019年、トッド・フィリップス監督作品)で象徴的に描かれる笑いと、その不気味さについて解明するべく、本書を手に取った。
可笑しさとは、自動性、機械性、強張り、硬直への懲罰である。という一節が印象的であった。ある種の「反-社会性」に対する抑制効果として笑いは存在する。

ベルクソンによれば、可笑しさを人が感じる上で、必要な事項は上記の一種の「柔軟性の欠如」である。機械的な労働を強いられた結果、突起物を見るとなんでもスパナで回してしまうその自動性・機械性(『モダン・タイムズ』)。天が落ちてくるのではないかという一つの心配事に固執するその強張り、思考の硬直性。(『杞憂』)。合コンで気持ち悪いと思われないか心配するあまり、全てのことが気になってしまう心配性(ブラックマヨネーズの漫才)などなど、いわば社会に反する態度(=自動性、機械性、強張り等)に人々は可笑しさを覚える。
その前提にある、社会とは何かという考え方であるが、生活と社会はわれわれ各々に要請するのは、現在の状況の様々な輪郭を見分ける恒常的に覚醒した注意であり、また現在の状況への適合することを可能ならしめる身体と精神のある柔軟性である。この緊張と柔軟性こそが生命を駆動させる相互補完的な二つの力なのだ。生物科学の権威である福岡伸一氏の言葉を借りれば、社会は相補的でかつ相反する二つの要素の動的な均衡状態により継続している。(生物も「動的平衡」によって生命を維持している)。生命とは、社会とはそのような動的な存在であり、繰り返されることのない、唯一無二の時間である。生命の一回性、時間の不可逆性が認められるからこそ、静的な強張りや、同じ状況の繰り返し(カブセ)が「可笑しさ」の対象となりうるのである。
状況に対する可笑しさについても原則は同じである。反復、逆転、諸系列の交叉は動的平衡により維持される社会に相反するものである。生命の一回性に反する反復や、そのまま状況をひっくり返すという一種の機械性が、別々のシステムやルールを運用している人々の交叉(出会い、そして、相手に対して、自分たちのルールを適用して理解しようとするその機械的な判断に起因する誤解―アンジャッシュのコント的な面白さ―)が可笑しさを生み出す。そして、何度も言う通り、その可笑しさの原因は、動的な社会の中で異質さを発揮するその自動性・機械性・居着きなのである。

レビュー投稿日
2019年10月13日
読了日
2019年10月13日
本棚登録日
2019年10月13日
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