第3章の理論篇、第4章の松下電器の実例のみ精読。
全体的なコンセプトやエッセンスは理解できた。
実際、知識創造経営のプロセスは言い古されており、完全なる真新しい突飛な概念は見つけられなかったのが正直なところである。

2021年3月27日

読書状況 読み終わった [2021年3月27日]

動的平衡

分子生物学の雄である福岡伸一先生の代表的著作。
動的平衡の基本的なコンセプトは、P80の文章を引用するとわかりやすい。
「合成と分解の動的な平衡状態が、生きているということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ効果である。合成と分解との平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するよう自分自身の状態を調節することができる。これはまさに生きているということと同義である。サステイナブルとは常に動的な状態である。」

序盤は、身近な例から分子生物学を読み解いていく。我々の身体は、タンパク質に刻まれた無数の情報の集積体である。そして、絶えずその情報を他者の情報と折衝し、スクラップ&ビルドしている。消化とは、他者の情報を吸収できる状態まで分解することである。分解された情報は、もともと我々の身体にあったタンパク質と取って代わられる。アミノ酸は、吸収可能な段階まで分解されたタンパク質である。
生物学について、情報という言葉を使っての記載は、珍しく、私にとっては新鮮であった。先日、ジョジョシリーズの岸部露伴のアニメを見たが、まさしくあそこに描かれているように、我々は情報の集積体なのである。

さらに、上記の論を推し進めると、アミノ酸となるまでは、いくら我々の身体に入っていようと、それは身体にとっては外部である。その点で言えば、口から肛門までの長い長い管は、厳密には身体の外部である。文中にも登場する人間をちくわに模した表現は、分子生物学からの示唆では、正しい。
しかしながら、そうすると、我々にとって、他者との境界線はどんどん後退していく。つまり、自他の境界線は限りなく淡くなってくるのである。さらに言えば、アミノ酸となった情報も、身体内部の情報と交換されるために、我々の身体は1秒たりとも静的な状態とはならない。そう考えると、自己とはなんなのかという哲学的な問いに近づいていく。西田幾多郎の主客未分の概念の如く、我々と他者、外部を分節するものは厳密にはないのかもしれない。我々は常に、西田のいうところの純粋経験の渦中にあるということは言い過ぎではないのであろう。

ここまで読むと、動的平衡という概念が、身体を機械論的に理解するデカルトの思想に対するアンチテーゼであることがわかるだろう。生命とは効果であり、動的な平衡にささえられた状態である。いくら分解された機械を組み合わせたところで生命を1から作り出すことはできないのかもしれない。現代では、臓器移植は当然と考えられており、臓器移植が多くの人を救っているのは間違いのない事実である。しかしながら、臓器移植の例だけをとり、生命を機械論的に理解することはミスリードであると福岡先生は警鐘をならす。

動的平衡のコンセプトを理解していくにつれ、直近読んでいた知識創造経営にも通じるものがあると感じた。知識創造経営もまた、暗黙知と呼ばれる言語化(分節化)以前の知の存在に言及している。人間と人間の間で言語を介さずやり取りされる暗黙知は、我々が日々操作している言語による知の背景には広大な領域が広がっていることを気づかせてくれるのである。動的平衡は、知や情報に関する機械論的な理解ではなく、合成と分解のバランスの上に成り立つ生命のダイナミズムに言及している。つまり、我々が可視化し、分節化できる領域とは別に、その背景である情報と情報の間―分解と合成のせめぎあいの先―に生命が宿ると述べているのである。双方において、「間」に潜む重要性を述べている点で、二つの概念は近いように感じる。
「間」という考え方では、文化人類学の名著である『贈与論』も引かざるを得ない。私が贈与論をはじめとする文化人類学から受け取ったメッセージは、人間は交換する「モノ」よりも交換によって発生する「コネクションー関係性」を重要視しているというものである。この...

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2021年3月27日

読書状況 読み終わった [2021年3月27日]

フルライフ

クライアントのWell-Beingセミナーに登壇する機会がり、Well-Beingの第一人者である石川先生の著作を初めて読んでみる。話としては『LIFE SHIFT-人生100年時代の人生戦略-』をより平易に、かつ石川先生の考え方も交えて語っているイメージ。人生100年時代をどう生きるかというところに焦点を置いている。Well-BeingとWell-Doingのベストマッチが本書の提言である。
イメージとして、人生を春夏秋冬に分けて考えると、前半はWell-Doingでハードワーク、後半はWell-Beingでブランディングやアチーブメントを行っていくことが理想的な生き方。特に人生100年時代では、25歳から50歳までの夏に一定のハードワークを行い、○○×○○という形でブランディングを完成させたのちに迎える実りの秋というタームに、Well-Doingで築いた人的資産や人脈、金銭的な資産を利用して何か物事を達成するということが理想的とされる。
なお、25歳→50歳を有意義に生きるためには、3段階のプランニングが必要である。一般に10年で事業が変わり、もう10年で企業が変わり、そしてもう10年で産業が変わるといわれている。産業を変えるといえば、ポエムだと思われるが、きっちりと3段階のプランニングを行い、日々の行動にブレイクダウンしていくことで達成することができる。現にスペースXではそのように3段階で産業を変えることを目標としている。それでは、その10年をまたいかに過ごすかということであるが、こちらも3年間ごとで3段階で目標を設定する必要がある。ここで難しいのが、2個目のマイルストーンの立て方である。往々にして、人間は1年でできることを過小評価し、3年でできることを過大評価する。つまり、そのギャップを接ぎ木するのが、2年目の過ごし方である。1年間で準備し、2年目にはじめ、3年目で広げるのである。事業レベルで言えば、組成し、定型化し、拡大化するのである。2年目に定型化するためには、1年目に経験することを常に抽象度高く理解する必要がある。こうして2段階目のゴールを明確にすることで、1年目と2年目の違いも明確になり、成果を上げることができる。こうして、3×3×3でプランニングすることで、25歳~50歳の夏を謳歌できるのである。
いずれにせよ、我々はこれまでの人々とは異なる時間軸で、かつ自己決定を中心に生きる必要がある。長く生きるうえではやはりWell-Being=よく生きることも大切なのである。
そして、秋や冬があるからこそ、いざという時の収入補償保険や医療保険の重要性はあるだと思うし、今後ジョブ型雇用で、企業がそれぞれの人々の多様な人生プランを支援しつつ、従業員に成果を出してもらうためには、福利厚生制度として、リスクヘッジをすることも、必要不可欠な世の中になるのではないかと考える。

2021年4月4日

読書状況 読み終わった [2021年3月19日]

労働法入門

労働法における各論の記述もさることながら、「なぜそうなっているのか」を歴史的な視点を交えて解説している。非常に満足度の高い入門書であった。本書を読めば、労働というものが歴史上非常に人間の深い部分と密接にかかわってきたことがよくわかる。そして、現代においても労働問題というものが後を絶たないのは、それが未だ答えのない哲学的な問いであるからなのだろうと考えるのである。
本書で学んだ労働法における最大原則は、強行法規についてであろう。労働法の世界では、当事者同士の契約の内容を外から規律する法律が多く存在し、当事者の自由な意思を制約する役割を果たしている。それは労働契約に内在する人間的性格・経済的格差・自由の欠如という3つの特徴に由来しており、人間そのものを対象とし、当事者間に経済的な力関係の差があることが多く、また契約を履行する上で人間の自由が奪われている労働契約を、当事者の自由な決定にゆだねてしまうと、労働者が人間としてではなく、モノとして扱われてきてしまう社会的な弊害が生じるからである。
労働法の発達は、20世紀初頭の社会権の発達に密接にかかわっている。19世紀はまさに自由の時代であった。各国で市民革命が起こり、個人の自由というものが歴史上もっとも叫ばれた時代である。しかしながら、自由と資本主義のかけ合わせはまさしく劇薬であった。資本主義の名のもとに、自由な契約が取り交わされることで、今ではあり得ない労働時間やイギリスの炭鉱における児童労働などが跋扈した。それを受け、人々はすべてを自由の名のもとに個人の自由な決定に委ねる危険性に気づき始めたことで、なんでもかんでも自由に契約することを一定レベルで外側から規制する形で考えられたのが、労働法なのである。この流れは、いつぞやの母校の入試問題で、ワイマール憲法の特徴を「社会主義の油を一滴たらす」とオットー・フォンギールケが評した意味を問われた時の回答と同じであり、個人的にも19世紀と20世紀の大まかな思想的な潮流の過渡期をとらえるうえで最も重要な時期であると考える。
さらに、本書では、現代の労働法が一定レベルの画一的な労働や工場のような集団的な場所での労働を前提としている部分があり、現在の多様で複雑な労働市場の変化に対応できていないことを指摘する。そして、それを克服するためにも、国家による統一的な規制に対して、より個別性を高めつつも、やはり個人には委ねない「集団」での労働規制の重要性について提唱している。ここでもやはり、トクヴィルの指摘するアソシエーションの重要性に焦点が当たっている。

最近、労働者をモノとして扱うということの功罪について、個人的には再考する余地があると思う。そもそも、モノであれば、もっと大切に使うのではないのか。工場でさえも、機械にはメンテナンスをし、耐用年数を上げるために使用時間を区切ったりしている。無論、労働者を機械論的にモノ扱いすることの倫理的問題はあるが、むしろモノとして割り切ることで切り開ける未来もあると思う。
昨今のMLBでは球数制限が当たり前になってきている。かつてのように1日に何球も投げさせることで、怪我につながることが球界として常識となってきた。そのため、選手自身が長くキャリアを続けることと、球団側のメリットが一致した形で外部からの規制がなされた。こうした流れは、労働法の図式と近似している。ゴールドマンサックスの1年目の提言も取り上げられているが、究極的には長期的にアウトプットを出し続けることに使用者側がケアすることという点でMLBと一致しているからには、同様の規制がないことの方がおかしいのである。一方で、もはや趣味と判別のつかなくなった労働もある。そうした人々から労働を取り上げる規制であってはならないが、そのような人々がどのようにエンゲ...

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2021年4月4日

読書状況 読み終わった [2021年3月14日]

エマニュエル・トッドの思考地図

個人的には、思考という部分では、かなり共感した。
トッドは思考するということは、じっくり椅子に座って考えるということではなく、本やデータを読みながら考えるというスタイルである。これは一般的な思考論とはやや異なるが、個人的にも納得できる。
確かに、基本的に自分も読みながら常に考えている。内田樹が何かを分析したりする前に、マルクスを数ページ読むという具合に、誰かが思考している形跡に触れることで、自分自身の脳もドライブされる感覚というものがある。本を読んでいるうちに、心の中にあったもやもやや、課題認識していたことがクリアになり、読み終わったころには、その本の内容のインプットはもちろんのこと、その他の心配事が解決し、アイデアが浮かんでメモするということはよくあることである。

さらに、思考することの本質は、現象と現象の間にある偶然の一致や関連性を見出すことと言っている。
トッドの仕事で言えば、変数間の一致を読み解くというのである。最近ではアナロジー思考という言葉で紹介されているが、この部分も非常に納得できた。大学時代、様々な分野の授業に潜って、経営学におけるケイパビリティ派とポジショニング派の対立の構造と、実存主義と構造主義の対立構造が似ていることなど、さまざまな分野における偶然の一致や変数間の一致を愉しみにしていたことを思い出した。
「これってこれと似ているよね」という偶然の一致を見つけた時には、その知的快感というものは最高潮になるのである。私はバレーボール部に所属していたが、スポーツや身体運動と人類学や哲学とのつながりや、映画のある種の深読み的な考察なども、この類の楽しみの一つだろう。

トッドの場合、膨大なデータを読み解き、家族構造と政治形態の一致を導きだすなど、純粋なデータオリエンテッドな思考力の叡智であるが、こうした愉しみは、多くの人も体感できるものだろう。

また、何か新しい味方をするうえで、外在性というものを意識しているとも記述があった。トクヴィルもそうであるが、自国の社会を考える上では、必ずや外の世界を見ることは重要である。共時的な部分もそうであるが、時間軸で考えても、古典を読むことはある種の外在性の獲得にもつながるのである。
両利きの経営でも紹介されていた知の探索とは、古典を読むことや自分の世界から脱出することも一つとしてカウントできるであろう。

社会には複数の教会が必要であるという記述もおもしろい。個人を束縛する枠組みがいくつもあると、強制を強いる複数の枠組みと個人が折衝して、逆説的ながらエアポケット的に個人の居場所ができるというものである。一つの思考の枠組みの虜囚となると、そこに完全に染まるか、まったく染まらないかしかないが、複数に枠組みがまたがることにより、逆に自分のスタンスが際立つという発想は面白い。

2021年3月14日

読書状況 読み終わった [2021年3月9日]

・現代思想のパフォーマンス

P326
フロイトの例によれば、「母親の不在」という幼児にとっては極めて根源的な喪失経験に動機づけられて、幼児は記号操作の習得のやむなきにいたる。
母親と想像的に癒合していた幼児にとって、母親との離別の苦痛は耐えがたい。幼児にとって想像的他者の不在が「名づけえぬもの」であるかぎり、それがもたらす喪失感は世界の崩壊に等しい。
しかし、「母の不在」を言い表す記号を幼児が獲得し、その記号が他者に認知され、理解されるようになると、「母の不在」という経験のもたらす苦痛は緩和される。苦痛は、苦痛そのものであることをやめて、苦痛の記号になるからである。「母が存在しない」と幼児が宣言するとき、「母の不在」は「母の不在」というなまなましい事実であることをやめて、「母の不在という物語」に書き換えられる。

このパートは一見すると難しいが、よく読むと、非常に普遍的なことが書いてある。私たちが記号操作をするのは、経験に一定の距離を置くためであり、経験に一定の距離を置くことは、苦痛の緩和をもたらす。
簡単な例でいれば、例えば、会社をクビになったとすると、そのことを誰にも話さなければ、それはなまなましい経験であり、ただの苦痛である。しかし、それをひとたび友人に相談するなり、Twitterに書いてみると、それは記号となり、物語に書き換えられる。
オードリーのオールナイトニッポンを10数年続ける若林正恭さんも、一種のラジオ脳が、人生を救うとなにかに書いていた気がする。何か、テレビでよくない事があっても、ラジオがあるから、面白おかしく物語にすることができる。ラジオによって救われた困難や苦痛があると。

幼児の記号獲得という原初的なお話でこそあるが、私は、多くの不快や苛立ちは、記号の欠乏によるものであるという一種のポリシーがある。なにかイライラしているとき、イライラしやすいときは、記号を摂取する。つまり、本を読むのである。それも、文学や哲学など、私が今まで分節化を試みたことのない概念や言語化を試みたことのない言葉が書かれた書籍を、じっくりと数行読む。そうすると、純粋な言語の摂取という体験がフラストレーションを減少させることはままあるのである。どうしても納得いかないときは、自分でも言葉にしてみる。苦しいことがあってもそうである。
我々が記号を使う理由が、経験と一定の距離を置くためであるとすれば、それはもちろん日常にもいかせるはずであり、生かされるべきであろう。

2021年3月4日

読書状況 読み終わった [2021年3月3日]

ディズニーCEOが実践する10の原則 ロバート・アイガー(CEO of Walt Disney Company)

表題は最後のまとめ分に対するもののみで、実質的にはロバート・アイガー氏の自伝。
前半は、ABCのアシスタントから、ABC社長、そしてディズニーCEOになるまでが描かれる。そして、後半はCEOになってからのM&A秘話など、現在のWDのD2Cビジネスを確立するまでの奮闘劇が描かれる。訳者あとがきにも記載があったが、ロバート・アイガーは良き部下であり、良きリーダーである。前半は良き部下とはいかなるものか、後半では良きリーダーとはいかなるものかが描かれる。
アイガー氏の中で一貫しているのは、常に周囲の人から学び、そして正直であること。一見シンプルに見えて、本当に難しい2つのことを実践してきたことにより、アイガー氏の今のポジションがあるということが本書ではよくわかる。
ABC時代にルーンから教わったイノベーションか死かというレッスンや完璧への飽くなき欲望が彼を駆動している。周囲に恐れられるリーダーに仕える中でも、自分自身で正直に非を認め、心から謝ることを実践することで、リーダーに一目置かれる存在となっている。
後半部分は非常に面白い。ピクサー買収の際に、前アイズナーCEOと険悪であったスティーブジョブズとの対話や、クリエイティブな業界におけるM&Aの真の価値が人材やその人材を生き生きとさせる企業文化であることなど、クリエイティブに対するリスペクトや企業文化という無形財産への畏敬の念が感じ取れる。スティーブは非常に頑固で徹底的な人間であることはよく知られているが、そんな彼と何度も対話をしていく中で、信頼を得るアイガー氏の所作は非常に参考になる。ただ、迎合するだけでなく、アップルにとって何が必要か、そしてその必要なもののうち、自分に貢献できるものは何かを絶えず考え、そして丁寧に、簡潔に伝えることが、ビジネスマンとしての模範であろう。
ディズニーCEOになってからのコンテンツ・テクノロジー・グローバルという一貫した方向性は、今のようなコンテンツの帝国を築き上げる道しるべになっている。彼がCEOになった際に、グッズビジネスでの付加価値向上のために、ディズニーコンテンツへの注力、そして、そのコンテンツを際立たせるためのピクサー買収、そして、グッズビジネスへの展開を踏まえたマーベル、ルーカスフィルム、FOXの買収という戦略は、一見全方位外交に見えて、とても太い線が通っている。
最後に、Netflixなどの勃興を初期から見極め、D2Cビジネスに舵を切るために、報酬体系を変えたことを非常に驚くべきことである。経営層の報酬は、基本的に担当する事業部の業績によって決まるが、業績をベースにしてしまうと長期スパンの創造的破壊は起こらなくなる。年度の数字を追いかける人間にとって、数年後のビジネスのためにあえて自分の事業の一部破壊をすることはばかげている。そのため、イノベーションを起こすために、経営層の報酬をいかに会社の将来に貢献したかというものに定め、そしてその判定者を自分にするという大胆な人事制度に変更した。中央集権的ではあるものの、まさしく腹をくくったリーダーの施策であろう。誰かが真似しようと思っても人望や能力が伴わないとすぐに形骸化してしまう、アイガー流のマネジメントであろう。

2021年3月2日

読書状況 読み終わった [2021年3月1日]

SPIN営業術
・小口顧客の営業と大口顧客の営業は根本的に異なる。
・大口顧客の場合、基本的に相対担当者が意思決定者ではなく、営業担当者がいない場所で意思決定がなされる。そのため、自分の相対担当者が意思決定者にプレゼンできるように、自社の商材の魅力を面談の際に、自分の口で語らせるデモンストレーションを行うことが有効。
・自社の商材の魅力を、目の前の相対担当者が上司に説明できるように、促していくのがS(Situation)P(Problem)I(Implication)N(Need-Payoff)Questionなのである。
・それぞれのタイミングに合わせて、質問を使い分ける必要がある。特に重要なのはIの示唆質問である。
・顧客が現状の商品や現状の制度の問題点を、自然な形で自分の口から語らせるような質問が示唆質問であり、「現在の制度や商品ですと〇〇ということは問題にはならないのでしょうか」という形で問いかける。
・顧客は、商品を購入するコストよりも購入することで得られるメリット(=購入することで解消されるデメリット)が上回れば、購入する。
・綿密な下準備の元、仮説を立てて、状況質問でどこがポイントとなりうるかをその場で探る。そして、示唆質問によって、現在の商品や制度のデメリットを顧客自らの口で語らせる。そのうえで、解決質問(〇〇というものがあったら、その問題は解決されますか?)という形で、解決策を投げかける。そこで、初めて自社の製品の紹介を始める。
・上記の流れは、相対担当者が意思決定者に対してのプレゼンにおいて、関係性を変えて、再演されることを見越して、設計されている。この流れが面談時に実現できれば、高確率で社内の稟議が通りやすい。なぜなら、自分自身で論理的に腹落ちしたことは、人に簡単に話せるからでる。
・このような営業手法や、小口顧客へのセールスで定石とされた手法に関して、データを使用して再検証しようとする試みや、その試みがどのようになされたか、という点が面白い。

2021年2月23日

読書状況 読み終わった [2021年2月22日]

経営戦略としての「健康経営」

健康経営を経営的な視点から見た初の書籍と銘打ってはいるものの、普段から健康経営という言葉に慣れ親しみ、実際の営業現場で話している身としては、もう少し深い洞察や示唆が欲しいというのが正直なところであった。
実際、健康経営自体が新たなものであるので仕方がないことであるが、データのサンプル数が少なかったりとやや物足りない気もしてしまった。情報レベルで言えば、経産省が作成している100枚程度の健康経営のスライドをざっと読むのとあまり変わらないと思う。
各章に参考文献があげられているので、英語論文や書籍などの案内本としては有益であるので、この本の参考書籍を参考に、健康経営に対しての理解を深めていきたい。

2021年2月23日

読書状況 読み終わった [2021年2月21日]

さらっと流し読み。
あとがきがシビれる。

2021年2月19日

読書状況 読み終わった [2021年2月19日]

トリガー 真山仁

非常に面白いサスペンス小説であった。大枠としては東京オリンピックにて馬術の選手が試合会場で射殺されるところから始まる。射殺された選手は、韓国の女性検事であり、その後の調べで検事として水面下で巨悪の疑義を捜査していたことがわかる。小説は、女性検事がなぜ殺されなければならなかったのか、そして、女性検事暗殺の黒幕を暴いていくにつれ、その巨悪の存在と日韓米の重大なスキャンダルに行き着くというお話である。

(ここからはネタバレを含む)
結論として、巨悪とはアメリカの民間軍事会社であり、在日在韓米軍の民間移行にあたっての主導権争いであった。アメリカは自国民の負担を軽減するために、軍隊を民間軍事会社に委託し、傭兵化する計画を立てていた。そうした中で複数の民間軍事会社がそれらの受注を政府から取り付けるために、壮大な賄賂工作を行う。そして、一つの民間軍事会社が、自社を大統領が指名しない場合は、大統領暗殺を計画していたのである。暗殺された韓国の女性検事は、民間軍事会社から賄賂を受け取った政治家のリストや大統領暗殺計画について、追っていたのであった。だからこそ、彼女は消されたのである。本事件は、元内閣情報捜査室、つまり日本におけるインテリジェンスのトップである冴木が解決にあたり、全面的に操作し、事件の真相を暴いてく。
小説としての面白さは、暗殺のバックにあった巨大なスキャンダルの内実であり、真山仁らしい大掛かりな設定であった。実際問題、沖縄の在日米軍の民間軍事会社への移行はありそうな話でもあるだけに恐ろしい。事実は小説より奇なりで、東京オリンピックは誰も予想しなかった延期(中止?)という結果になってしまったが、実際、東京オリンピックを舞台に暗殺が行われる可能性は0ではない。

2021年2月14日

読書状況 読み終わった [2021年2月13日]

プロフェッショナルの条件 P・F ドラッカー

・現代の知識労働者の時代において、マネジメントとは、既存の知識をいかに有効に活用するかということである。知識に関する知識・技法を学び、知識が持つ力を最大化することがマネジメント。
・専門知識だけでは成果に結びつかない、専門知識の融合によってはじめて知識は有用になる。専門知識の融合を行いために、成果を目指す企業は組織化される。
・知識の位置づけは、それぞれの知識に固有の優位性や劣位性によってではなく、共通の任務に対する貢献度によって規定される。

・知識労働の生産性向上には「何が目的か。何を実現しようとしているのか。なぜそれを行うのか。」を問うことはが最も効果的である。仕事を定義し直すことが第一歩。
・目的の定義、目的への集中、仕事の分類が生産性向上の手段。生産性向上のためには、自分の業務が成果に対してどの範疇に属するものかを知る必要がある、
・仕事をしている限り、仕事の目標や基準や貢献は自らの手の中にある。したがって、ものごとをなすべき者はみなエグゼクティブである。

<コントロールできない4つの現実>
① 時間はすべて他人に取られる
② 自ら現実を変えるための行動をとらない限り、日常業務に追われ続ける
③ 組織で働いているという現実—ほかの者が彼の貢献を利用してくれるときにのみ、成果を上げることができる。組織は一人一人の人間の強みを最大化するための仕組みである。一人ひとりの知識を、他の人間の資源や動機やビジョンとして使う。
④ 組織の中にいるという現実—組織の外に目を向ける必要がある。成果は組織の中には存在しない。クライアントが製品やサービスを購入し、企業の努力とコストを収入と収益に変えてくれるからこそ、組織としての成果がある。組織の中に生じるのは努力とコストだけである。

・いかに肩書や地位が高くても、権限に焦点を合わせるものは自らが誰かの部下であることを表明しているに過ぎない。一方、いかに新入りであろうとも、貢献に焦点を合わせ、結果に責任を持つものは、厳密な意味でのトップマネジメントである。貢献に焦点を合わせることによってはじめて成果が存在する唯一の場所である外の世界に注意を向けるようになる。自らの専門や自らの部下と組織全体や組織の目的との関係について、徹底的に考えざるを得なくなる。
・どのような貢献ができるかを自問することが自らの仕事の可能性を最大化する。

<なすべき貢献の種類>
① 直接の成果:売上や利益を上げること。
② 価値への取り組み:組織の目的について考えなればならない。組織の目的はすなわち、その組織の価値である。
③ 人材の育成:組織は死という生身の人間の限界を乗り越える道具である。明日のマネジメントに当たるべき人間を、今日育てなければならない。

・知識あるものの責任:知識労働者が自らの産出物たる断片的なものを生産的な存在にするためには、それを利用するものに何を知ってもらい、何を理解してもらえるかを徹底的に考えることである。
・知識あるものは、常に理解されるよう努力する責任がある。貢献に責任を持つためには、自らの知識の有用性に強い関心を持たねばならない。自らの貢献に責任を持つ人は、その狭い専門分野を真の全体に関係づけることができる。

<知識労働者において重要な価値観>
・神々が見ている。フェイディアスの彫刻は、彫像の背中まで精巧に彫られている。フェイディアスに彫刻を依頼した役人は、「なぜ誰にも見えない背中まで精巧に彫る必要があるのだ」と問うたが、フェイディアスは「誰にも見えない?神々が見ている」と答えた。誰も見ていなくても、神々が見ているから、完璧を追求しなければならない。これがプロフェッショナリズムである。

・新しい仕事で成功するうえで必要なことは、新しい仕事が要求...

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2021年2月11日

読書状況 読み終わった [2021年2月7日]

民主主義のための社会保障 香取照幸

1月は社会保障をテーマにインプットを続けていたが、自分自身の問題意識とピッタリの題名の本書がAmazonでレコメンドされ、すぐに購入、読了した。
著者である香取氏は元厚生省官僚であり、内閣官房に在籍時に「社会保障・税一体改革」を取りまとめた社会保障のスペシャリストである。また、直近はアゼルバイジャン特命全権大使でアゼルバイジャンに赴任しており、最新のヨーロッパ・海外からの日本の評価にも触れている。
個人的に、コロナ禍における世界の混乱やトランプ支持者による国会議事堂占拠など、民主主義への危機感は募るばかりである。そして、民主主義の危機の一つの原因が、格差の拡大である。社会保障は格差を是正する富の再分配機能を担う。社会保障が機能せずして、民主主義の前提となる分厚い中間層の維持はままならない、そんな危機感を持って本書を手に取った。
香取氏は、社会保障の意義をまさしく1ページ目で簡潔に示している。
社会保障とは「市民が直面する様々な生活上のリスクを社会連帯の仕組みを通じて軽減することで市民が貧困や生活困窮に陥ることを防ぎ(防貧機能)社会の安定を守る(民生の安定)とともに、市民一人ひとりが思い切って自分の可能性に挑戦できるようにすること、まさしく市民の自己実現への営為を支えることにある」としている。つまり、社会保障とは防貧による民生の安定を実現し、市民の自己実現、そして社会の持続的な発展に寄与するために仕組みである。
ゆえに、社会保障の機能不全は何をもたらすかといえば、市民の貧困化・中間層の没落→民生の不安定化を起こします。そして、中間層が没落は自立した市民の減少を意味し、その結果、さらに社会保障制度への負荷がかかります。そして、継続的な負荷であり社会保障が機能不全を悪化させ、格差はさらに拡大します。最終的には中間層の崩壊による消費の減退が起き、市場が縮小、そして、経済成長にストップがかかります。
この流れを見るだけで、社会保障の重要性を痛感しますが、実際に現在、上記のような流れはできつつあります。
本書で取り上げられているテーマは同じ厚生省官僚の山崎氏による『人口減少と社会保障』と重複する部分があります。しかしながら、『人口減少と社会保障』に比べ、社会保障と経済成長の関係性について、詳しく述べている点です。
本書でも、日本の社会保障が人口増加トレンドの中で、高齢者を現役世代が支える制度設計にあることを指摘します。さらに、非正規雇用が浸透しておらず、家族による紐帯を前提に、現役世代における困窮者に対しては社会保障を頼る前に、一定レベルで会社や家族で面倒を見るという認識の中で、現役世代への支援はそこまで重点を置かれていませんでした。
しかしながら、現在では非正規雇用の拡大や核家族化や孤独化、人口減少など、社会保障制度を設計した当時の前提はなくなっています。そうした中で、現在は現役世代への支援にも注力した全世代型の社会保障へのシフト、および年金制度における現役世代への負担軽減が叫ばれています。
本書で印象的であったのでは、人口減少に対する対策とマクロ経済スライドを前提とした経済成長のために社会保障という観点です。
まず、1点目に少子高齢化と人口減少に対する対策ですが、現在、少子高齢化問題に対しては少子化克服戦略と少子化対応戦略を行うことが述べられています。少子化克服対策とは、単純に子育て支援を中心とした出生率向上を目的としています。そして、少子化対応戦略とは、少子高齢化における現役世代の負担を少しでも軽くするために、社会保障における担い手(女性や高齢者)を増やすことを目的としたもので、主には雇用延長や女性の社会進出です。それぞれの対応策は至極真っ当ですが、実際にやるとなると、女性への負担はかなり大きなものになります。...

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2021年2月2日

読書状況 読み終わった [2021年2月2日]

未来の医療年表 奥信也

東大で医学博士を取得し、MBAホルダーでもある著者の医療における未来展望。
医学の最新情報とともに、医療×ビジネスで展開される未来予測は非常に引き込まれる。
面白かったポイントは下記の通り。
・新型コロナで公衆衛生意識が伸長?
公衆衛生という考え方自体の重要性を改めて認識した。公衆衛生とは個人一人ひとりの医療と社会全体の医療のバランスを取ることであり、ワクチン接種やウイルスへの対応策の基本的な考え方。
・2030年にはほとんどのがんが治癒可能に?
分子標的薬と免疫チェックポイント阻害剤により、がん治療は極めて進展しており、2030年までにはほとんどのがんが治癒可能になると予測。
・AI時代の医師の役割は医療をデザインする人/患者に寄り添う人
AI時代において、医師は二分化され、新しい技術が登場するごとに医療にあり方をデザインする人、そして、カウンセラー的な役割に特化し、患者に寄り添うことを中心的な仕事にする人となる。中間的な診断や治療薬の処方などはAIの精度が高まっており、これらを担うのは将来的にはAIとなる。
・ディジーズマネジメントの台頭
保険会社主導で患者や患者予備群の集団に働きかけ、様々なアプローチでリスク集団の疾病リスクを低減させる疾病予防支援サービスをディジーズマネジメント、DMと呼ぶ。
アメリカでは国民皆保険制度がないため、健康保険では企業が福利厚生として完備している。それぞれの企業は魅力的な福利厚生制度を整備することで優秀な人材の確保に努めているが、その保険は保険会社がもちろん引き受けている。
保険会社としては保険金請求が少ないほど、保険収益は良化するため、保険会社主導で患者群に対してリスク低減として予防医療を斡旋するインセンティブが働く。そうした背景によりDMがアメリカでは一般的である。さらに、乳がん検診を受けなかった人は保険の自己負担額を引き上げるなど、保険給付のコントロールによる健康マネジメントをある種強制する仕組みもある。
日本では保険会社の兼業は保険業法で厳しく制限されているが、アメリカの場合、カイザー・パーマネントのように医療機関と保険業を兼営している企業もある。日本の場合、公的な健康保険制度に頼っている部分もあり、予防医療の浸透が遅い傾向にある。
しかしながら、日本も公的な健康保険制度は収支マイナスが続き、健康保険組合に関しても年々収支悪化は顕著である。日本においても、DMの定着や、健保組合においても健康維持に対して給付金コントロールの面で一定のインセンティブを持たせる施策は有用であると考える。
しかしながら、現在、経済格差が健康格差につながるという社会問題もある。経済的にハードな人々ほど、栄養の偏った不規則な食事により、健康を害しやすいというデータもある。給付金コントロールにいるDMも一定の効果はあると考えるが、経済的にハードな環境下で、健康診断も受けられず、健康意識も低い人に対して、給付金を減らすのは本末転倒であり、自助制度内での解決も限界である。
ただ、DMに関する議論は日本でも活発化されるべきであり、企業としても健康経営やESGの文脈でより社員への健康マネジメントは進む傾向にあり、ここに保険会社として医療機関と連携した健康管理のインセンティブを促進することは、社会的にも有用な視点であろう。
・60歳くらいからは小太りぐらいがちょうどいい。
サルコペニア(老齢による筋肉低下)が現在問題になっており、60歳以上の過度なダイエットなどは逆に健康を害する可能性もある。その点、60歳まではメタボ対策を重点的に行い、60歳以降はサルコペニア対策として小太りくらいがちょうどいいということである。
・高額医療費制度は弾力性を持たせるべき
日本では、一定額以上の医療費が発生した場合、自己負担額に上...

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2021年1月30日

読書状況 読み終わった [2021年1月28日]

人口減少と社会保障 山崎史郎

職業柄、社会保障を勉強しているが制度面を覚えるにあたり、現在の社会保障制度がある背景や、今後の展望についてより深く知りたいと考え、本書を手に取った。本書は長らく厚生労働省の官僚を務め、介護保険導入等に携わった山崎氏の著書であり、現在の社会保障制度が構築された背景となる社会状況を概観した上で、社会が変化する中で社会保障制度も変わらねばならない状況にあると力説されている。
社会保障制度は社会の鏡であるべきであり、社会保障制度もまた、社会を構築するパワーを持ちうる。そうしたポリシーの下、まずは第一章で現在の日本社会の状況を述べた後に、第二章では社会保障制度を概観し、第三章以降では、どのように変化させるべきかという筆者の意見が述べられるという構成になっている。
各章を掻い摘んで説明すると下記の通りとなる。
第一章では、主に人口減少という日本社会のトレンドが述べられる。戦後、社会保障制度は主に人口増加社会をベースに構築がなされた。豊富な人材を擁する社会において、家族や会社、そして地域というセイフティネットを前提に、社会的な弱者や高齢者への支援を制度化したものが、現在の社会保障制度である。
しかしながら、戦後76年を迎える現在において、家族・会社・地方は確実に変化している。
家族においては、サザエさんの様な複数世帯で暮らす戸数は激減し、概ね核家族化をしている。核家族化をしている上に、晩婚化の影響から、1人暮らし世帯は年々増え続け、個人化が進んでいる。会社においても、非正規雇用の拡大により、非正規雇用という年金制度や労働保険から排除された層が増加している。そして、極めつけは人口減少である。これまで第一次ベビーブームによる人口増加、そして、第一次世代の再生産周期にあたる第二次ベビーブームにおける人口増加があった。しかしながら、第三次ベビーブームに関しては、非正規雇用の増加やバブル崩壊による景気の減退から、育児を許容する経済的状況が創出されなかったことにより、幻となった。こうした人口減少基調に加え、地方から都市部への人口流入により、地方では人口減少及び高齢化はまさしく劇的に進んでいる。
こうした社会的な変化により、従来の社会保障における制度的な限界が顕在化しているのが現在であり、これらを人口減少社会にいち早く適応させることが必要であると本書では述べられている。
第二章は社会保障制度の全体像が述べられている。社会保障論を語る上で、何より重要なことは、その財源である。社会保障の財源には二つの方式があり、一つは社会保険方式であり、もう一つが税方式である。社会保険方式では、各人が保険料を拠出することで、各人に普遍的に起こりうる保険事故に対して保険金を支払う保険の仕組みをベースにしている。民間保険と異なる点は、リスクの逆選択を排除する為に強制保険となっていることや、保険料が各人の支払い能力に応じた応能負担になっていることである。応能負担になっていることから、所得の再分配機能が自動的に埋め込まれている。そして、もう一つが税方式であり、国税を財源として社会保障を提供する仕組みである。現在では生活保護制度などの公的扶助が主に税負担方式となっている。これらの二つがあることは有名であるが、本書で感心したのは、どちらの方式を取るかによる社会への影響である。
これらの二つの方式を違いを一言で表すとすれば、国民がお金を払う時点でその使い道が決定しているか否かである。社会保険方式の場合、国民がお金を支払う時点で、使い道は限定されている。一方で、税方式では、一旦租税として回収した上で、予算編成という一過程が入り込むことで、その時々の政権や地方自治体の思惑が反映されやすい。この違いは国民の権利意識に大きく影響する。社会保険方式の場合、国民はその制度について確固...

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2021年1月25日

読書状況 読み終わった [2021年1月25日]

トクヴィル―平等と不平等の理論家― 宇野重規

宇野先生によるトクヴィルの解説書。学生時代から、トクヴィルファンを自認しているが、やはりトクヴィルの慧眼には舌を巻く。何より、デモクラシーの批判的分析の深さと、その対応策の検討の2点が、実際に政治家としての実務経験もあるトクヴィルの卓越した知性を物語っている。

本書にまとめ的な文章はP181-182のデモクラシーのリアリティというところに集約されている。
その文章をベースに本書の要約を行うが、トクヴィルのデモクラシー論の最大の特徴は、デモクラシーを単なる政治的な類型ではなく、そこに暮らす人々の思考や感性の在り方を含めた一つの社会類型として再定義したことにある。トクヴィルの時代において、デモクラシーは社会的な趨勢であった。ここでいうデモクラシーとは、社会の平等化を意味する。それまでは所与のものであった不平等が、フランス革命を経て可視化され、そして不平等の是正を多くの人間が望みようになった時代が彼の生きた時代である。そのような平等化の趨勢をトクヴィルはいち早く読み取ると共に、新たに形成されるデモクラシーという社会の在り方の特徴と、そのデモクラシーを適切に運用するためには何が必要かということを『デモクラシー』ではプラグマティックに述べたのである。
では、デモクラシーの特徴とは何かという点であるが、一つには平等化による人々のアイデンティティ・クライシスについて述べている。それまで、人々は身分や社団によって自己のアイデンティティ形成をなしていたが、フランス革命中に施行されたル・シャプリエ法により、結社活動を含む多くの中間共同体は破壊されていった。そこで、人々はより個人として自立することを求められたのであるが、人々は自分の頭で考えようとすればするほど、自分の思考の無根拠性にぶち当たってしまい、不安になる。そして、その一方で、全ての人々が自分と同質の知性を持っているのであれば、その最大多数が賛同する意見に対しては無批判に正しいと思い込むという逆説的な状況がそこに立ち上がってくるのである。そうした多数者の意見が巨大な知的影響力を持ち、人々が容易にその意見に賛同してしまう現象を多数の暴政として批判したのである。平等になった諸個人から成る社会が、平等に自由になるよりは、平等に隷属する方に傾きがちであるという問題点をトクヴィルはデモクラシーの黎明期に指摘したのであった。
この、平等に自由になるよりは、平等に隷属する方に傾きがちであるという一節は、その後のナチス政権の誕生を分析したエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を思い出させる。ジャン・ポール・サルトルもまた、人々が自由の刑に処せられている不安から、積極的な社会参加「アンガージュマン」によるアイデンティティ形成を提唱したのであるが、フロムやサルトルに近い提言を、デモクラシーの黎明期に予見したトクヴィルの先駆的知性については驚嘆すべきである。

話がそれたが、トクヴィルはこのようにデモクラシーの問題点を指摘すると共に、デモクラシーをみんなで育てていかねばならないというデモクラシーに対する懐かしさのようなものを感じていたのかもしれない。それゆえに、トクヴィルはこのように欠点もあるデモクラシーを正常に機能させるためにその脆弱性を補完するものについて模索し続けたのであった。
それは、二つの方向性から模索されるが、まず一つが、デモクラシーとは異質な原理をデモクラシーの内部に組み込んでいくというものであった。デモクラシーが異質性を否定する方に傾きがちであるのに対して、むしろ異質性を培養する装置としての結社の役割を重視したり、過去や未来への展望を見失い、現在のみにしか関心が向かわないデモクラシー社会の人々に対した過去からの時間の持続性を担保するための習俗や、あるいは未来への感...

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2021年1月24日

読書状況 読み終わった [2021年1月24日]

・健康と所得の格差には相関がある。所得の低い人は傾向として、安価にカロリーを摂取することを考える為、カロリーのコストパフォーマンスが悪い野菜や魚などを購入しない傾向がある。
・食生活、特に塩分摂取量によって食道がんのリスクは異なる。塩を主な保存手段にしてきた日本食では、塩分摂取量が極端に多く、それらが日本の食道がんリスクを押し上げている。
・イギリスでは、国家的なアプローチにより、パンの製造メーカーと結託し、パンの塩分量をサイレントで減少することに成功。これにより、イギリス人の塩分摂取量を年間平均で1g減少させ、心臓疾患の患者を4割減少することに成功した。
・日本も健康問題を、今後の社会保険制度における一大事と捉え、ポピュレーションアプローチにより食品メーカーと一体となったかじ取りが必要である。

2021年1月24日

読書状況 読み終わった [2021年1月22日]

命の格差は止められるか

やや、当たり前のことをデータを使用して述べている感じが拭えない本であった。しかし、パブリックヘルスという考え方は示唆に富んでいた。筆者のイチロー・カワチ氏は、どうしたら人々は健康でいられるのかという川上のアプローチをとっている。つまり、医師とは健康から不健康になった人々を救う職種ではあるが、その一歩手前で健康から不健康にならないためにはどのようなアプローチが必要なのかという観点で論が進んでいくことは新鮮であり、多くの場面で応用できると感じた。

2021年1月22日

読書状況 読み終わった [2021年1月22日]

下流老人

オペレーションZの参考文献リストにあり、兼ねてから興味があったため、購入し、読んでみた。
下流老人とは、筆者である藤田氏の造語であり、生活保護受給レベルで生活を行っている老人のことである。実は、日本には生活保護受給レベルでありながらも生活保護を申請することなく、極めて低い収入で暮らしている老人が存在する。それらの人々は、まずは自らが生活保護受給レベルにあることに関しての認知もなく、さらには社会的な繋がりも持たずに生活している為、実際に孤独死してしまう方もいる。
本書では、下流老人になってしまった方々のこれまでの経緯と、生活保護についての知識、そして、今後非正規雇用として高齢者となる日本の現在の若年~中年層に向けて、警鐘をならす。
本書で興味深かった点が、下流化してしまう老人は、多くの場合もともと正社員として働いており、それなりの貯蓄もあった人々であるということである。彼らは、病気による医療費支出や、引きこもりの子供の養育費用等、ある種のアクシデントにより、下流化してしまうのである。また、親の介護をきっかけに介護離職したことにより、年金保険料の未納期間がかさみ、結果として年金が極めて少ないというケースもある。
多くの人々は、普通の暮らしぶりをして、老人となるのだが、上記の様なリスクを乗り越えられず、下流化するのである。私はこれまで、保険会社、保険ブローカーで働いてきたが、やはり生命保険や就業不能保険で救えるのではないかと職業柄考えてしまう。本書では、保険の様な自助ではなく、公助を充実させることを提唱しているが、ある種、保険に入っていればこの人々は救えるのではないかと考えることはある。
私はどちらかと言えば個人に対して保険を売るのではなく、法人に対して、法人の従業員向けの保険制度を導入することを生業としているが、最近では介護離職期間中の収入補填の保険商品などもある。介護と仕事の両立ということが本商品で促進されれば、介護離職期間の年金保険料の未納を原因とする年金の減少を押されることが出来るのではないかとも思う。

2021年1月22日

読書状況 読み終わった [2021年1月21日]

オペレーションZ

最近読んだ小説で一番面白い小説であった。昨年から密かに個人的な真山仁ブームが来ているが、ハゲタカシリーズよりもテーマとしては面白い。
日本政府が赤字国債を発行し続けている現状へのアンチテーゼ。前職の総理大臣が体調不良でダウンし、急遽バトンタッチした内閣総理大臣・江島が日本の国債の問題を解決に導く為に、歳出を半減させるという政策を行うもの。半減の根拠としては、歳入と均衡させるというもので、これ以上赤字国債を増やさないための対応策である。歳出半減の計画を実行するにあたり、主に財務省官僚が特別チームと作り、オペレーションZと名付けられたこの政策の実行に奔走するというお話。
歳出半減の場合、社会保障費と地方交付税交付金をほぼ0円にすることでオペレーションZチームは実現を探るが、もちろん、厚生労働省や各方面からの非難に合う。財務省内部からもオペレーションZを快く思わないメンバーがメディアに情報を流すなど、妨害行為を企てる。
この物語の特徴的なところは、小説の章ごとに、作中に現れる作家・桃地実の『デフォルトピア』という小説の一部が挿入されている点である。『デフォルトピア』は日本がデフォルトし、福祉サービス等がすべてストップしてしまった日本で起こる悲劇的な状況を描写したものであり、完全なるディストピアが描かれている。まさしくオペレーションZはこのようなディストピアを防ぐために行われるのであるが、各章の最後にデフォルトピアが挿入されることで、最悪の未来をパラレルに描いており、これが物語に緊張感をもたらしている。
そして、もう一つの面白い点が、これは完全にネタバレになるのだが、この小説は完全なるバッドエンドで終わる。オペレーションZを断行する江島は最終的に与党内からも造反組が発生し、内閣不信任決議を提出される。与党内も造反している為、不信任案が可決される気配を察知し、解散総選挙を行うのだが、この選挙で江島を中心とする党は過半数が得られない状況となり、最終的には政権交代となり、オペレーションZは未完に終わる。将来的に爆発する爆弾を抱えながらも、人々はやはり今の自分の生活を守るという選択肢を取るのである。勿論、民主主義である限り、選挙の結果が一つの答えであり、国会議員は選挙に選ばれなければなれないし、政策も実行できない。しかしながら、ディストピアを避ける為に今身を切る政策を行う政権に対して、やはり国民は選挙でNOを突き付けてしまうというこの難しさをあえて描いているのは、この小説を単なるデフォルトピアへの警鐘に留めず、人間のある種の利己心や凡庸な醜さを炙り出す意味合いもあり、小説としての面白さが滲み出ている。
オペレーションZでは結局実現しなかったプランとして、相互扶助のネットワークを立ち上げることにより、医療費や介護費用なしで、これまでのサービスレベルを最低限維持するというものである。これまで、資本主義は消費単位を最小化することを心がけてきた。そして、その過程で自分らしさの追求という幻想と人々に植え付け、これまで現物でやりとりされていたサービスなどを商品化してきた。保険に携わって思うのは、保険商品は確かに人々に良い影響を与えることは十分理解しているのだが、同時に保険商品が不要な社会づくりもまた必要でないのかということである。無論、がんや医療費に関しては、専門家のサービスが必要であるが、例えば介護等に関しては、一定はコミュニティ内の現物ネットワークで補える部分もある。例えば、就業不能に関しても、面倒を見てくれる人や助けてくれる人が周りにいれば、何とか生き延びることもできるはずだ。これは、卵が先か鶏が先かという議論でもあるが、保険商品が確かに今の世の中にマッチしたものが多くあるが、やはり保険会社が需要を創り出している側面もあるだろう。私は、保険商品...

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2021年1月22日

読書状況 読み終わった [2021年1月16日]

2020年6月30日 またここで会おう 瀧本哲史

・言葉を丁寧に使い、人々と交渉する。これまで、言葉で世界は変わってきた。どんなに正しいロジックも伝え方であるレトリックがしっかりとしていなければ伝わらない。
・社会保障問題に関して、旧世代と新世代では旧世代が新世代の2倍多い。つまり、単純に多数決をすれば旧世代に都合の良いルールになる。しかし、逆に言えば、旧世代を1人説得すれば、形成は逆転する。身の回りで少しずつ革命を起こすファイトクラブ戦略が有用。そしてその時に重要なのがやはり「交渉」
・交渉の要諦は如何に相手の利害に沿った提案が出来るか。つまり、いかに相手が何を考えているかを見極めることが重要。そして、相手が出来ない理由を一つ一つ潰していく。
・交渉においては「聞いたもん勝ち」。いかに相手をよく知り、相手が何によって動くのかを知ること。サイボウズはロースペックでありながら、売れたのは、徹底的に解り易いインターフェイスを用意したから。システムの導入にあたり、幅を利かせているのはシステム部門であり、彼らが求めるのは社内からくる照会の激減。システムが多少遅くても、徹底的に解り易いインターフェイスであれば、照会応答業務が減り、彼らは採用する。それをヒアリングから読み取れるか。そして、クライアントにおいて、何を、誰が最も求めているのかを見極めるべし。
・ベンチャーは3勝97敗の世界。何が成功するかはわからないが、成功するベンチャーでは必ずその人にしかできない事業がある。オーディオブックのオトバンクは、創業者が音読で勉強が上手くいったという自分自身の実感と、創業者の祖父が緑内障で音でしか本が読めないというバックグランドがある。起業において、プランは重複することがあるが、それを誰がどの程度の信念でやるかが成否を分ける。誰にもまねできないのはプランではなく、その人にしかない固有の経験や想い、そして何としてもやりとげるという意思。これが最も模倣可能性の低いコア・コンピタンス。
・もう一つ誰にもまねできないものは人脈。人それぞれに必ず友人がいる。そして、その友人が完全に合致している人はほかに居ない。自分が出来なくても、自分の信念を実行する為に、助けてもらえる友人がいるかどうか、そして助けを求められる関係があるか。その化学反応でベンチャーの成否も分かれる。

結論として、自分にしかないバックグラウンドに紐づいた信念の事業を、交渉術によって、各人が実現していく、小さな革命、小さなリーダーを日本に増やす。これが瀧本氏が求めることである。

2021年1月14日

読書状況 読み終わった [2021年1月13日]

『7つの習慣』 スティーブン・R・コヴィー著

 インサイド・アウト
本書に通底する考え方に感銘を受けた。それは『私的成功が公的成功に先立つ』という金言である。
一般に、成功と呼ばれるのは公的成功、つまり社会的な成功である。しかしながら、社会的な成功を収める為には、私的成功が欠かせない。私的成功とは、単純に言えば人格を磨くことであり、自分自身の原則を打ち立て、それを守り抜くことである。つまり、信頼されたければ(公的)、信頼されうる人になる(私的)しかない。
これは、目標達成(P)と目標達成能力(PC)という形でも表される。目標達成と目標達成能力はバランスが重要であり、Pに終始すれば、PCが育たず、PCに終始すればPが出来ない。こちらは組織に当てはめるとわかりやすい。部活で目先の試合の勝利だけを追い求めれば、将来的なチーム力の強化にはつながらない采配もある。組織の目標達成のスパンを考えて、どちらを優先するかという問題は、個人にも適用できる。
 ①主体性を発揮する
第一の習慣において、最も重要なLessonは「人は刺激と反応の間に選択の自由がある」というものである。つまり、自分の身に起こる出来事そのもので傷つけられるのではなく、自分がその状況を容認するという選択をすることによってはじめて自分が傷つくのである。環境が人をダメにするわけではなく、その環境に対して、自分が作用できる部分にフォーカス出来る人はダメにならず、自分の作用できる部分を探そうともせずに、ただ他責になってしまう人間がダメになる。常に、主体性を発揮し、自分が影響できる範囲(影響の輪)を見つけ、そこに注力する姿勢が必要である。他人に流されず、自分自身の原則に忠実な生き方をする。
 ②目的をもって始める
自分の葬式を思い浮かべ、多くの人からどのように評されたいだろうか。そこから逆算して、今は有意義に遅れているのであろうか。会社であれば、退職する時に、どのように送り出されたいか。想像力を働かせて、自分の人生の脚本のエンディングを書くところから始まる。全てのものは二度創られる。一度目は知的な創造。二度目は物的な創造である。だれも設計図を書かずに建物を作り始める人間はいない。先ほどの自分の葬式を思い浮かべ、自分自身の脚本が納得いくものかを確認し、脚本を書き直した時点でまさしく人生は一度目の創造を迎えるのである。目的をもって始めるということは、生活の中で様々な役割を果たす時に明確な価値観に基づいて行動することである。自分の行動や態度を決定するパラダイムが自分の深い価値観や正しい原則にあったものであるかと都度確認する。自分は何者であり、自分は何を大切にするべきか。人生における自分のミッションは与えられるものではなく、自分から発見するものである。人は変わらざる中心がなければ変化に耐えることができない。誤りを正せない人や変わることが出来ない人は、自分の中に変わらぬ中心=プリンシプルがないのである。多くの成功する人の特徴は何度も何度もイメージトレーニングをしていることである。イメージトレーニングは自分の中で自然であると感じる領域を増やすことであり、イメージトレーニングを行うことで余裕が生まれてくる。
 ③重要事項を優先する
「ノーと言える喜び」を知ろう。これが第三の習慣の金言であった。自分の中に強いイエスがある人間だけが、ノーと言うことができる。これは、自分にとって重要なことを予め決めておき、それを実行するというプロセスを行っている人間だけが味わうことが出来る喜びでもある。人生において、第二領域に集中するためにどうするかということが書かれている。第二領域とは四象限のうち、「重要であるが緊急ではない」ことである。②での葬式の例は、まさしく第二領域の結果であろう。自分の葬式で評される材料になるのは、...

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2021年1月10日

読書状況 読み終わった [2021年1月3日]

『民主主義とは何か』 宇野重規

日本学術会議で任命されなかったことで有名になってしまっているが、個人的には以前もトクヴィルの本や、保守主義の本等でお世話になっている宇野先生。民主主義とは何なのかという問題を、中立的に、かつ現在への示唆を含めて概観する名著。
概説書であるゆえに、どこかを引用して関連した項目を説明することは難しいが、「おわりに」の文章が心に響いた。
「本書を書き上げて思うのは、むしろ民主主義の曖昧さ、そして実現の困難さです。民主主義は2500年以上の歴史がありますが、そのほとんどの期間において、この言葉は批判的に語られてきたのです。(中略)肯定的な評価となったのは、例外的な時期を除けば、この二世紀ほどにすぎません。(この二世紀の間にも多くの批判がありました)」
「ある意味で筆者は、民主主義にある種のなつかしさを感じています。歴史の中で大きく変質し、ひどく曖昧になってしまった部分もあるけれど、また、その名前の下に多くの過ちがなされたのも事実だけれども、民主主義はなんとか生き延びてきた、そのことを素直に良かったと思うのです。民主主義には歴史の風雪を乗り越えて発展してきた、それなりの実態があるのです。本書ではそれを、自由で平等な市民による参加と、政治的権力への厳しい責任追及として分析してきました。」
本書を書くにあたり、宇野先生の決意と、そしてやはり曖昧さや実現の困難さに目を向ける謙虚さに感服します。民主主義は意思決定も遅く、至らない部分も多くあるが、つぎはぎでもよいので、みんなで守って行こうという腹の底からのメッセージを感じます。ウィンストン・チャーチルの名言で、「民主主義とは最低のシステムである。他のいかなる政治体制を除いて」というものがありますが、まさしくその通りなのでしょう。自由の制限や、少数派の意見の尊重、ポピュリズムへの危険性等、民主主義は未だ多くの問題を抱える生ものです。しかし、我々はこれまでの歴史を見る限り、民主主義に頼らざるを得ない。何とか冷やしたり、防腐剤を付けたりして、みんなで使い続けなければならないのであると、痛切に感じます。

まとめでも、宇野先生は最後にこう語っています。
「個人は相互に自由かつ平等であり、それを可能にする政治・経済・社会の秩序を模索し続けるのが人間の存在証明です。民主主義をどこまで信じ切ることができるのか、それがいま問われています。」

コロナ下における意思決定の遅さや、シルバー民主主義と呼ばれる現象等、民主主義は批判にさらされているように思えます。しかしながら、個人の自由と平等の追求こそが、現代人に与えられた使命であるとするならば、民主主義の良くないところ、危ないところも含めて付き合っていかなければならないのだと思います。

これまでの民主主義は、共和政に準ずるものであると考えられてきました。古代ギリシアでの結論として、民主主義は多数派や少数派にとどまらず、部分利益の尊重に繋がるという批判を生み出しました。究極のところ、全会一致でない限り、民主主義での結論は社会全体から見れば、部分的な有権者の結論となり、多数者が少数派に対して圧政することも可能となります。一方、社会全体の利益を追求する政体を共和政と呼び、民主主義に対して優越するものであるとされていました。しかしながら、誰がどう判断することによって、社会全体の利益を追求することができるのかということはやはり謎に包まれます。ルソーの言う一般意志に関しても、全ての人々の意思の総体とは異なる、社会全体の利益のようなものの体現として扱われていますが、「言うは易し行うは難し」です。イタリアのコムーネでは、利害関係の働かない外国人に政権の執行役を任せるなど、様々なシステムを試してみましたが、やはり結論はでません。
 自分自身の中に、公人というもう一...

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2020年11月23日

読書状況 読み終わった [2020年11月23日]

『コモンの再生』 内田樹

2020年11月の最新刊。誰の所有物でもない、社会的共通資本(by宇沢弘文)等を再生させることが、現代の諸問題に対するアンチテーゼとしてまとめられる。
正直なところ、最近のブログのコンピ本色は強く、最近の『日本習合論』とは異なり、テーマは様々で全体的な統一感はないので、スキマ時間にパラパラ読んで読了した。
 グローバル諸本主義末期における市民の原子化・砂粒か、地縁血縁共同体の瓦解、相互扶助ネットワークの不在という現状を何とかするためにもう一度、私たちを基礎づけようと試みるのが、コモンであり。コミュニズムとは共産主義ではなく、共同体主義ではないかまえがきは、最近ホットな斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』の論述に寄せているように思える。

●ベーシックインカムについて
福祉政策は次の世代にチャンスを与えるものでなければならない。ベーシックインカムを日本に導入するにあたり、慎重に議論すべきなのは、ベーシックインカムが機能するために必要な社会的流動性の高さが日本にあるかが疑問であるため。社旗的流動性の乏しい社会では福祉制度はただの施しにしかならない。施しを受ける人々はその代償として最下層の屈辱的なポジションに留まることを強いられ、福祉政策の受益者であることの代償として、向上心や勤労意欲そのものをはく奪される、英国で発生したアンダークラスという階級を新たに作り出すことになる。現在の日本で、生活保護に反対する人々は、働かずに向上心なくごろごろしているだけことに公金を使うことに批判的であるが、その批判をしている以上、彼らも公金を使ってもらい最低限の補償がしてもらえる場合、十中八九ゴロゴロ過ごし、本来の目的である芸術活動や文化活動などの興隆とは程遠い未来が来るのではないかというところが内田老師の予測
文化活動や芸術活動の支援は日本の旦那衆やヨーロッパのランティエのような地主階級たちであった。彼らのような、自分たちではやらないが、目が肥えており、資金力のある人々が本来的な芸術活動の支援者としてふさわしい。公的資金で芸術活動の支援は必要でこそあれ、世界に引けを取らない時代を席巻する芸術や文化は、ランティエの気まぐれで投資された人々になされる。
●青年世代の消滅
最近、NHKスペシャルで三島由紀夫特集がなされていたので、こちらの論考も面白かった。青年とは近代日本の最終形態として設計されたものであると。近代日本は、明治維新を成し遂げ、日露戦争に勝利するまでの間、西洋文化や技術の積極的な輸入により、国家を形成してきた。ロシアに勝利して以降、日本が列強に比肩する実力ある国となる為には、自国特有の文化やカラーを想像する必要があった。そんな過渡的な時代を予見して、夏目漱石や森鴎外などが描いたロールモデルが青年であり、三四郎や青年はまさしく、その為に描かれた。潔癖で理想主義的であるが、自分の理想を実現するための社会的な実力も兼ね備えた文化のオリジネーター達が青年である。青年は教育段階において、西洋の文化にも嗜みながら、明治の世代が血眼になって唾棄してきた明治以前の文化にも哀愁を感じる。それらの文化的な融合をその体内で修め、それでいて現在の社会に代替するシステムを構想することのできる世代である。そんな世代は、60年安保の境に居なくなってしまったという。70年安保の時には、既に壊すことにしか能のない学生しかいなかったと内田老師は言う。そのような青年なき時代では、子供からおじさんに直線的になってしまう。現在のおじさんが幼稚なのは、青年を経ていないからではないかという。理想主義的で潔癖な青年が新しい社会を作る為に挑戦する社会でなければ、国は活気づかない。いつまでも視座が自分の周辺に留まっている幼稚なオジサンたちしかいない国に、もう一度青年が求められる。
●...

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2020年11月23日

読書状況 読み終わった [2020年11月22日]
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