フランクル『夜と霧』への旅 (朝日文庫)

  • 朝日新聞出版 (2025年3月10日発売)
本で見る
4.14
  • (14)
  • (14)
  • (7)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 209
感想 : 15
4

「夜と霧」「それでも人生にイエスと言う」などを読んで、「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。…人生から投げかけられた問いに、われわれは、正しい行為によって応答しなければならないのである」の意味するところ、自分にとってはどういう行動をすることなのか難しいなと思っていたが、
著者がこの本でフランクルの別の書からの抜粋してくれた部分
「つまり満たされるべき意味、出会うはずのもう1人の自分、自分自身を差し出すべき理由、あるいは愛する人に向かって生きて初めて、人は人間として生きられると言うことである。/人間存在のこの超越性を人が生き抜くその限りにおいて、人は本当の意味で人間になり、本当の自分になる。そして人がそのようになるのは、自分自身を自己の実現に関与させることによってではなく、むしろ逆に自分自身を忘れること、自分自身を与えること、自分自身を見つめないこと、自分自身の外側に心を集中させることによってなのである」(意味への意志) (生きる意味を求めて)
という抜粋や
著者の意見ーただ、つまりはどう生きるかしかないのだ。どう生きるか、人生からの問いかけに日々どう応答するかを考える時、「良心」はカギになる概念だ。フランクルによれば、「良心」は意味を感知する器官だから。このアンテナを働かせることによって、よりよく生きることができるーはずなのだ。
では善とは何か。意味の遂行を促進するものが善で、それを阻害するものが悪なのだ、とフランクルは話した。
と著者が書いた部分を読んで、長年の謎が解けたというか、少し理解が進んだように思う。

そして著者は判断に迷った時には
「あたかも今が2度目の人生であるかのように、生きなさい。1度目は、今しようとしていることに、間違って行動してしまったかのように」という言葉に立ち返るそうだ。
これは『それでも人生にイエスと言う』の中で、自分の記憶にも鮮明に残っている言葉だ。
この言葉は、生きている意味を促進するような、良心で判断した行動をとるようにということだったんだなと思った。
以前、『夜と霧』を悲惨な話と思って読んだら、読後感は爽やかだった印象が強く残ってる。
この『夜と霧への旅』では、フランクルが大変冗談が好きな、明るい人だったエピソードが出てくる。(例えば、ポケットに入っていたチョコレートのそう面白くない話を何度も何度も笑って話していたことなど)
また『夜と霧』の中では、収容所生活があまりに辛くなった時に、「今のこの生活は、自分がここから解放されたあと、ホールで大勢の前でまさにこの生活について講演している内容なんだと想像してみることで精神的に耐えられた」という話が出てきたのを思い出した。
これは、フランクルは根から明るい性格だったので、窮地に陥った時に、ものごとを別の次元で捉え直すことできたのではないかと思った。
だから、「人生に期待するのではなく、自分が人生の問いに応答することが重要」…というものごとの捉え直し、発想の転換ができたのではないかと思う。
ものごとを捉え直してみる、というフランクルの明るさが、窮地を希望に変えたのだと思う。…と考えると、フランクルの「明るさ」のおかげで、今のわれわれもフランクルの発想に支えられ、その恩恵に預かっているのかもしれない、とこの本を読んで、ふと思った。 
考えてみると、明るいというのは、自分の内に向かうのではなく、外へ向かっていることだなと思う。これもフランクルの言う人間存在の超越性に含まれるのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年6月25日
読了日 : 2020年6月25日
本棚登録日 : 2020年6月15日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする