長編の「話の終わり」(https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4861823056)がなんとも不思議な感触だったので、短編集も読んでみた。短いものは数行しかないし、全体的にストーリー性は薄く、観念的寓話的で、ほぼすべての短編の主体者が何者かをはっきりさせていないというような、なんとも不可思議な短編集でして。

表題作の『ほとんど記憶のない女』は、「仕事はできるが、どうやったか覚えておらず、昔読んだ本にメモをするがそのメモを読み返すと不思議な感覚に陥り、もう一度本を読むと違った感触でメモを残す女」の事が書かれる。私としては自分自身も「ほとんど記憶のない女」と同じだよなあ(仕事ができるということではなくて、忘れて同じ行動をするということがことが)と考えてしまうわけで。

「女」であるという心を表そうとしているのかという短編は他にもある。
 孤独でもそこに在り続けるような『十三番目の女』。
 なんだか自虐的な『おかしな行動』。
 何も起きていなくても毎朝恐怖に怯える女と、自分も本当はそうだからと彼女を抱きとめる人々『恐怖』。
 死んだ伯母の恋人だったノックリー氏が気になり追いかけ追いかける女性の『ノックリー氏』。
 自分の悪い感情を抑えられずに周りに与える悪影響を憂う『エレイン牧師の会報』。ここで書かれている<たとえ意思があってもそれを行えないのなら、はたして意思を持つことに意味はあるのだろうか。P128><いったいどれだけの怒りを私達は上の子の中に備えてしまっただろう。どれだけの冷酷さをかつて冷酷さのかけらもなかった下の子の心にこれから植え付けていくのだろう。P132>は、私には色々と辛い((+_+))

そんな女性たちには夫や恋人もあるのだが、二人の感性がいつまでも平行線のままという『地方に住む妻1』『肉と夫』『認める』『認めない』など。認めるか認めないかどっちだ!笑
 『認める』は、先に女が出ていったのか、男が出ていったのか。いやそうかもしれないけどそもそも原因は女だよね。そうじゃなくてその問題はそれより前に始まっていたんだよね、だからあの日のことは自分のせいだと言うなら、その前のことは自分のせいだと認めなければいけない。でも認めない、今のところは。ということをつらつらと書き連ねられている。
 『認めない』のほうは、男は女が自分の意見を聞かないんだと言うし、女はそうじゃなくて男が自分の意見を聞かないと言うし、ってお話。
 …結局誰も認めてないじゃん。
これらは人間のわかりあえなさを抽象的に書いたのだと思うが、作者リディア・デイヴィスがポール・オースターの元妻だと知って、「オースターと話が通じなかったのか?!」などと考えてしまった 笑 
長編小説『話の終わり』でも恋人や夫婦で共に文筆業をしているが、どうやって書くか、何を書くか、一日にどのくらい書けるかで、女性語り手とその恋人や夫とは違うということが触れられていたので余計にオースターがちらついてしまって。

人間の業を寓話で表現している話もある。
 「欠点の多い自分たちには、欠点の多い人間のほうが親しみやすくて安心できる」という『俳優』。
 意味のない仕事(生きることの象徴?)を「いつか辞めるけど今じゃない」と繰り返す『服屋街にて』。
 人間の軽薄さが垣間見えるような『刑務所のレクリエーション・ホールの猫』。
 見られている者は、見られていると分かっていない関係『水槽』。
 気分で犬を殴りつけたり撫でたりする『町の男』。

 危険が迫っても、現実が厳しくてもただそこにいるだけしかできない話としては『ヒマラヤ杉』『天災』などがある。
 『天災』は、「海に面した家は水かさをます水に飲み込まれながら暮...

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2023年1月26日

読書状況 読み終わった [2023年1月26日]
カテゴリ 北米文学

西部の大学に教師として赴任してきた「私」は、その大学に通う12歳年下の男子学生と知り合い、その日のうちに部屋に入れた。
彼と知り合ってから最後に会ったときまで1年にも満たなかった。
もう彼は私を忘れただろうと思った頃に、彼から詩が届いた。返事を悩んだ私は、彼に短編小説として返事を書くことにした。
私が自分の気持ちに区切りをつけたのはその1年後だった。

恋愛の終わりという「話の終わり」から始まるこの小説には、二つの「私」の語りが入り交じり、話が続く。
西部に住み男子学生との恋愛を思い起こす大学教師兼作家の「私」、彼女はその数年後に東部に移りヴィンセントという夫とその父親と暮す翻訳者兼小説家となり、また「私」として語る。二人の「私」は昔の恋愛をもとにした小説を書いている。(または、書いた)

大学教授の「私」は、当時の手帳(日記のような)をもとに男子学生との恋愛を振り返る。
出会った日に部屋に入れて恋愛関係を始めたが、会いたくない気分のときに出会うと不機嫌さを隠せなかったんだとか、する気のないプロポーズをされたので断ったんだとか、長続きしない前提で付き合っている。
しかし学生との恋愛関係が終わった後は彼の姿を探して街を放浪し続ける。彼の車にばったり会うのではないかと街中に車を走らせる。勤務先のガソリンスタンドに行き姿を見る。彼がいそうな道沿いのレストランで他の男とデートして彼に見せようとする。家の前に車を止めて新しいガールフレンドを窓越しに見ようとする。
男子学生の方は若いので、恋愛関係が終わった後も気にせず金銭面などで助けを求めてくる。だが大学教授の「私」は、追い回している男子学生が助けを求めても、とくに力になろうともしない。
よりを戻したいわけではなくて自分の一部が彼のものになったという状態を長続きさせようとしているのであり、そして自分が彼の姿を追い回している方が自由でいられるのだ、と分かるんだか分からないんだかの行動心理を滔々と語り継いでいく。自分の行動を振り返るために、当時の手帳を見るのだが「記憶と記載の内容が違うんだ」と思っている。記憶と記録が違うのならどちらを小説として残すのか?

そんな大学教授の数年後である翻訳者の「私」は、作家だが翻訳もしている。どうやら翻訳者というものが低く見られたり、同じく作家である夫ヴィンセントとは創作の違いがあるようだ。そして同居のヴィンセントの父親の介護に煩わされたりもする。
翻訳者の「私」の語りで見えるのは小説を書くことへの悩みだった。私と彼の名前をどうしよう?どこまで本当のことを書こうか?時系列はそのままにする?長編になるか短編になるか、下書き段階の原稿を誰に読んでもらうか…、読者としては、小説を書く実況を聞いているような気分になるのだ。そして大学教授と翻訳者二人の「私」の語りは、「私」自身が当事者なのにあまりにも客観的でなんだか不思議な感触を味わう。

そして私は読んでいるうちに、この二人の語りの繋がりがよくわからなくなってきたのです。(@@?)
普通に読めば大学教師がその後翻訳者になってヴィンセントと結婚したのだろう。
しかしどちらの「私」も昔の恋愛をもとに小説を書いているので、大学教師と男子学生の恋愛の話は、翻訳者が過去の体験をアレンジして書いた小説なのか?いや、反対に、翻訳者私の話が大学教師の書いた小説だったりする??などとわからなくなってきまして(@@??)

二人の「私」の語りは、自分の行動や自己分析は詳細だが、感情は直接的には書いていないんです。悲しい・涙が出た、などとは書かずにただただ「彼の姿を街中探した」と行動で、そして当時自分が見ていた物、いた場所の風景を描写することで伝えていきます。この現実味の薄さも「実は片方は、もう片方が書いている...

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2023年1月26日

読書状況 読み終わった [2023年1月26日]
カテゴリ 北米文学

自然環境コンサルタントの著者が、多摩川を調査し、綺麗な川を取り戻し水の生き物を保護しようとするドキュメンタリー。

冒頭で書かれる多摩川の調査で出てきた水の生物達の国際色豊かだった。
南北アメリア、オセアニア、アジア、ヨーロッパ、アフリカ…。
やはりインパクトが強いのはアマゾン川にいるような熱帯魚や肉食魚たち。ピラニア、アロワナ、グッピー…これではタマ川でなくてタマゾン川ではないか!
この「日本の川にアマゾン川の生物がいるぞ」は、世界各国のテレビ局から取材が来たそうだ。

多摩川は、山梨県の笠取山から始まり、東京、神奈川を通り羽田河口に抜ける、全長138キロ、日本で五番目に長い一級河川だ。
綺麗だった多摩川は、高度成長期に汚染や公害病が起き、外来種も増加していった。
問題視した東京都が排水処理を作っていったため、徐々にきれいになっている。
多摩川の水のうち、支流や湧き水はせいぜい二割、残りの八割は家庭からの下水だという。下水処理場の優秀さよ…。

多摩川で見つかった外来種たちはだいたいが飼えなくなったペットの放流だ。外来種というのは外国の動物というだけでなく、日本の別の場所の生物も含まれる。「多摩川のメダカが減っているなら、〇〇川でとったうちのメダカを放してあげよう」と本人は好意のつもりで別の場所の生物を放つのは、結局は多摩川在来のメダカを減らすことになってしまう。
しかし外来種といって捕まえて殺すことは忍びない、自分たちが来たくてきたのではないのだから。著者は多摩川で捕まえた外来種たちを展示したり、里親探し始めた。これはなかなか有益だなあと思った。外来種が増えての弊害として、食物連鎖が壊れて生物同士で攻撃しあってしまうことがある。多摩川で捕まえた魚たちも、目が潰れていたり、ヒレがちぎれていたりしているものが多い。それらを治療して保護して水族館などで展示することにより「ペットを無責任に放してはいけないんだ」と自分でわかるようになる。
また「おさかなポスト」というシステムも始めた。「多摩川に放したり、捨てたり、殺したりするなら、ここに入れてください」と水の生物を受け入れるものだ。できれば放して終わりではなく、たまには様子を見たり餌をあげに来てほしい、と言っている。飼えなくなって泣く泣く放したのであれば飼い主もたまに会いに来られますね。

こんな怪我した動物たちへの治療や触れ方も書かれている。
ヒレがぼろぼろになった魚はヒレをハサミで切って消毒するとまた生えてくるんだそうだ。亀の甲羅に血管が通っているので子亀のうちから触れ合っているとちゃんと飼い主と心が通じる。

多摩川を通して、川が汚れること、外来種を放つことがなぜいけないのか、動物とのふれあい方、発電のこと、エコがなぜ大切か、自分たちができること、目に見えて分かりやすい良い本だった。

お勧めされて読みました。
表紙をパッと見た感じは、欧米で数十年前に刊行された本という印象です。新書サイズで、表紙には数十年前の欧米の新聞に載っていそうな絵、本の色自体が時代を感じさせるセピア色。
しかし実際の刊行は2022年であり、中身も現代日本で本にまつわる仕事をする主人公たちの短編集です。
全体的に、仕事も趣味も(家族友人も)あるけれど、どことなく漂うような感覚で生きる現代社会の人々の感性を綴ったようなおはなし。


幽霊はいないと思っている。自分が人間の幽霊を見たことがないからだ。
しかし自分は「本の幽霊」とでも言うものには出会っている。そう、表紙を覚えていて、この手に取り、最初のページの言葉を読んだ本が、あとかたもなく消え去ったのだ…。
==本の幽霊なら会ってみたい、いや会ったことあるのかな?「買ったはずなのにない!!」
 /『本の幽霊』

冬の日だった。スターバックスの窓際の席でふと顔をあげるとヨーロッパの街の風景が見えたんだ。
きっと同じ条件で同じ場所に座ればまた見られるだろうと思った。しかしその機会はなかなか訪れない。
 /『あかるい冬の窓』

「執筆中の作品を作者と一緒に街を歩きながら鑑賞します」
「参加型読書」というイベントに出てみたんだ。歩きながら?鑑賞?
集まった我々に作者である詩人は台本を渡した。そして街を歩き、適した場所で留まって自分の役を読む。初めての読書体験だった。人はいくつかの役を持って生きているのだろう。自分は人とは距離を置いて、しかしそれで自分は本当に生きているかと思っていた。自分が演じた世界は自分の頭にまだ残っている。
==彼らが実際に街を歩いて参加したその読書会に、私達読者はそれをさらに読むことによって参加している。
 /『ふゆのほん』

洪水で「流されてきた」図書館を訪れた男に司書の少年は一冊の本を手渡す。
図書館はまた流れていったけれど、本は手に残った。読んでみよう、読み終わったらまた図書館が流れてくるかな。そう思ったらなんだか世界が新しく感じた。
==幻想的な情景だ。自分のための一冊を持ってきてくれた、放浪する図書館。
 /『砂嘴の上の図書館』

東京から日帰りで京都の読書会に出てみようと思った。観光はせずただカフェで本を読んで読書会に出よう。
通り過ぎるだけの京都の町で、自分がここで生まれ暮らしていたらと考える。ただ同じ時間空間をともにした相手になんとも言えない親近感を覚えたんだ。
==この話に出て来る「赤坂の本屋さん」の読書会には私も参加してます、思わぬ出会い 笑 
 /『縦むすびのほどきかた』

三田さんは病気で十年ほど療養していたんだそうだ。外に出られるようになった時「ああ、歌を習ってみよう」と思ったんだそうだ。十年間。外に出たらまるで外国のようだっただろう、夢のようだっただろう。三田さんの爽やかさに応えるために、自分は彼女の夢の人物のように振る舞いたかったんだ。
 /『三田さん』

2023年1月22日

読書状況 読み終わった [2023年1月22日]
カテゴリ 日本文学

フランスの海沿いの小さな村に住む幼いマルセルとココの姉妹は、森で倒れている目の見えない兵隊さんを見つける。
兵隊さんは「シェパード・チューイ(中尉)」という名前で、病気の弟に会うために軍隊を離れて海の向こうのイギリスに帰ろうとしているんだって。兵隊さんは幸運のお守りを見せてくれた。
手のひらに入るくらいの銀のロバ。
ほっそりと立った耳、ぼさぼさのたてがみ、丸っこい鼻面、細くて丈夫な足、尻尾の先は丸くなっている。
ココは銀のロバに夢中なる。そのまま駆け出しそう。私を乗せて、兵隊さんを乗せて。

マルセルとココは、兵隊さんのことは秘密にすること、食べ物や必要なものをこっそり持ってくることを約束する。
でも兵隊さんを海の向こうのイギリスに返してあげるには、子供の自分たちだけでは力が足りない。
二人は兄のパスカールに知らせる。
パスカールは小さい妹たちをいつもからかう。でも私達の内緒の兵隊さんを助けるためには仕方がない。

どうやってここまできたの?そのロバはどこで見つけたの?戦争ってどんなこと?人を撃ったことはある?
そんな三人の子どもたちに、シェパード中尉はロバにまつわるお話を聞かせる。
 身重のマリアを、そして産まれた幼子イエスを運んだロバ。
 空が地上の人間や動物に腹を立て、もう雨を降せないと決めたときに空の心を動かしたロバ。
 戦場で衛生兵に寄り添い負傷兵を運び続けたロバ。
 そしてシェパード中尉の素晴らしい弟が見つけた、この銀のロバ。
この銀のロバは、信頼できる、勇敢な人が持っているものなんだ。

シェパード中尉は自分の経験した戦争を語らない。それはとても残酷で酷いものをたくさん見た。自分が戦場で役に立てると思った気持ちを吹き飛ばすくらいに。
だから家に帰ることにした。誰も気が付かない、シェパード中尉の部下が死んだことも、シェパード中尉が姿を消したことも。もうこの世を見たくないと思ったシェパード中尉の目は、歩くうちに見えなくなっていった。
<この戦争は人間同士の戦いではなく、目に見えない、恐ろしい力を持つ神や悪魔が人間を兵器代わりに使って戦っているのではないか。そうした神や悪魔はやりたい放題だ。(中略)人間を大切に扱おうなんて考えもせず、壊れたりなくしたりても、魔法で元に戻せると思っている。P100>

兄妹は、兵隊さんを逃がすためにもうひとり、大人の協力者を頼むことにした。足に障害を抱えるファブリーズだ。
自分自身に不甲斐ない思いを抱えるファブリーズは、シェパード中尉が脱走兵だと承知した上で協力を申し出る。
<思いきって勇敢なことができるチャンスなんて、人生でそう幾度もあるもんじゃない。金だなんて野暮なことを言って、おれのチャンスを台無しにしないでくれよ! P142>

シェパード中尉が出発した翌日、ココは一人で森に行く。
兵隊さん、どうして行っちゃったの。寂しいよ。
そして銀のロバ、本当に誠実で信頼できて勇気がある人が持っているといったあのロバは?
ココは、地面のくぼみを掘ってみる…

===
非常に心に沁みる良いお話です。
穏やかな森で、穏やかなシェパード中尉ですが、彼の思い出す戦争はとても悲惨。英雄に憧れるパスカールは戦争の話を聞きたがるけれど、シェパード中尉はロバの話をします。
ヨーロッパではマヌケでノロマ者に例えられるロバですが、シェパード中尉のお話では、目立たないものこそ勇敢な心を持ち自分のできることをする、その行為一つ一つがこの世をいいものにしている、という象徴になります。
静かで穏やかで、とても芯の強いお話です。

<わたしは苦しみを知っています。でもだからこそ、みんなが苦しむのを見るのは耐えられないんです(中略)
自分の代わりに世界じゅうが苦...

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2023年1月21日

読書状況 読み終わった [2023年1月21日]
カテゴリ 児童文学-海外

霊長類学者で児童文学作家である河合雅雄が動物と共に過ごした少年時代の自伝。
同じような動物大好き少年記には、イギリス人作家のジェラルド・ダレルのコレフ島シリーズがある。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4122059704#comment
コルフ島シリーズは、ダレル一家が生活費の心配がなかったこともあり、太陽と海の明るさ暖かさのもと、大好きなものに囲まれた少年の幸せ幸せな日々で読んでいる方も幸せになるが、こちらの「少年動物誌」は大家族の生活も掛かっているし、動物とも可愛いだけでなく獣害に合って退治することもあるし、動物退治のときには子供の残酷さが出てきたり、実に生々しくも、そのぶん「当たり前にいた当たり前の生活」という臨場感があった。

河合雅雄は兵庫県で生まれ育ちで七人兄弟の三男。
かなり泥臭い田舎の小学生男子の日々が書かれるが、Wikipediaで読むと弟の一人が心理学者の河合隼雄であったり(小説内では「速男」)、他の兄弟たちも医療系でかなりアカデミックな一家で驚いた…。

本書は児童向けとはいっても読み手を信頼するかのようにあえて簡単な言葉は使わず、動植物も漢字で書いている。自然の描写がどこも素晴らしい。

<カナカナが鳴いている。海底のような重い闇が、薄墨を流したように満ち、いっさいの物音が凍結された静寂の中で、その声は奇妙に明るく、透明な音を交錯させている。P90>

<ぼくらはカッと輝る太陽の光をまともに受け、機関車岩の横に立っていた。水は青黒く、どこまで不快賈予測もつかない。むこうの淀みにときどき渦が巻き起こり、機関車岩に当たって吸い込まれるように消える。P126>

<アヤメの花がゆっくり動き、煙ったようにかすんでいる細かく濃密な雨の中で、鮮やかな紫が揺れる。かすかな音がして、真っ黒なカラスヘビが相次いで、アヤメのしげみから滑り出してきた。体をくねらすたびに波の輪が生まれ、おたがいに干渉しあって複雑な陰翳を池の表に刻んだ。(中略)またもや一匹、こんどはすこし大きなカラスヘビが現れた。こいつは鎌首を上にもたげ、いかにも誇らしげに周囲を見回しながら、スピードをあげて泳ぎきり、ビャクシンの横の紫蘭の葉陰に入って、少し一服した。驚いたことには、三十匹あまりのカラスヘビが、こうしてつぎつぎにアヤメの陰から現れ、池を横切っていったのである。(中略)霧雨で靄が降りたように霞んだ水面を黒い影がうねり、赤い斑紋が花火のように閃いて、怪しい幻想的な雰囲気が醸し出された。ぼくと道夫はまるで夢を見ているような気持ちになり、呆然とこのふしぎな光景に見入っていた。P158>

<ぼくは波の上にたゆたっていた。(中略)光をすっかり奪われた太陽は、腐ったオレンジのようで、すっぱいにおいが漂ってくるようだった。(中略)鯨だった。鯨には目がなかった。目なし鯨がガバと口を開けると、海水は滝のようにその中へ流れ込み、無数に張りめぐされたヒゲの網目を通って、真っ黒な地獄のような穴へ、ごうごうと音をたてて落ち込んでいった。鯨は、いきなり猛烈な勢いで飛び上がった。(中略)腐ったオレンジの太陽をごくんと飲み込むと一回転し、まっさかさまに海の中へどうと落ちた。陸地のように巨大な鯨の落下のあとには、でかいクレーターができ、そのクレーターに向かって、まわりの海水はいっせいに突進を開始した。ぼくは一瞬のうちにクレーターの底にいた。そして、五体が引き裂かれそうな勢いで、海水に吸い込まれていった。P166抜粋>


動物が大好きで身近にいるということで、人間の根源の残虐性も現れてくる。虫を見つけて潰して殺してしまう衝動、鳥の餌のために田んぼの蛙を石で狙い撃ったら止まらなくなってしまう、夕食の...

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2023年1月18日

読書状況 読み終わった [2023年1月18日]

芥川龍之介に『老いたる素戔嗚命』という短編がある。
 八岐の大蛇を退治して櫛名田(クシナダ)姫と結婚した素戔嗚命は、心穏やかな日々を過ごす。やがて櫛名田姫が亡くなると、娘の須世理(スセリ)姫とともに根の国(黄泉の国?)に移り住む。須世理姫は、母の美しさ、父の勇猛さを備えた意志の強い女性に育っていた。
 あるとき根の国に葦原醜男(アシハラシコヲ/後の大国主)という若者が訪れる。


さて、こちらの『日本の神話 すさのおとおおくにぬし』は、この短編と同じ場面が書かれている。
(『老いたる素戔嗚命』と『すさのおとおおくにぬし』で使っている神様の名前の漢字表記が違うので、以下『すさのおとおおくにぬし』の表記に合わせます)

 大国主は、須佐之男(スサノオ)命と、その娘の須勢理(スセリ)姫の住む黄泉の国に辿り着く。
大国主と須勢理は一目で互いを気に入った。それを察した須佐之男命は大国主を殺してしまおうと無理難題を押し付ける。
 だが須勢理姫が大国主を助けたため、大国主はその難題を成し遂げる。そして大国主と須勢理姫は、眠った須佐之男命を縛り付けて、宝の太刀弓矢琴を奪って、手に手を取り合って逃げ出すのだった。

『老いたる素戔嗚命』でも『すさのおとおおくにぬし』でも、須佐之男命は最初は大国主命を殺そうとするが、結局は自分を出し抜いて駆け落ちした二人を認める。
若いころは猛々しく暴れまわった須佐之男命だからこそ、大国主を婿と認め、そんな婿を自分で選んで親の自分から自力で旅立った娘を認めたのだ。

どちらもラストの須佐之男命がすがすがしいので以下引用。

『老いたる素戔嗚命』
<「おれはお前たちを祝ほぐぞ!」
 素戔嗚は高い切り岸の上から、遙かに二人をさし招いた。
「おれよりももっと手力を養へ。おれよりももっと智慧を磨け。おれよりももっと、……」
 素戔嗚はちょいとためらった後、底力のある声に祝ぎ続けた。
「おれよりももっと仕合せになれ!」 
 彼の言葉は風と共に、海原の上へ響き渡った。この時わが素戔嗚は、オオヒルメムチ(漢字が出ない…)と争った時より、高天原の国を逐われた時より、高志大蛇を斬った時より、ずっと天上の神々に近い、悠々たる威厳に充ち満ちていた。>

『すさのおとおおくにぬし』
<「おまえが奪った太刀と弓矢で、兄弟たちをせいぜい追い払うがよい。
 そうして国の神となり、やしきを築き、
 わしの…
 わしの娘をしあわせにしてやってくれ!」>

そして大国主は、須佐之男命の祝福の通り、自分を殺そうとした兄たちを追い払い、芦原中原の国造りの神になったのだった。


(これはこれで良い駆け落ち話なのですが、地上に戻ったら大国主の妻の八上姫と揉めたり、この後も大国主がたくさん妻を娶って揉めたりしますね…(;^_^)

2023年1月14日

読書状況 読み終わった [2023年1月14日]
カテゴリ 日本文学

今年の干支のウサギの本


挿絵赤羽末吉、文章舟崎克彦による「日本の神話」全六巻の中の第四巻です。
このシリーズは大変素晴らしい。神々の名前や国の名前も漢字を使い、言葉は重々しさもあるが丁寧な言い回しであり文章はわかりやすく、挿絵は力強くも美しい。日本の神話の大胆さ、おおらかさがそのまま感じられます。ぜひ大人も子供も読んでいただきたいです。

三巻が「やまたのおろち」で須佐之男命の活躍で、この四巻は「荒くれ者の須佐之男命の子孫で気立ての良い大国主の命」のお話。
出雲の国に住む大国主の命(正確には、大国主の名前になったのは根の国から帰ってきてからで、この時は別の名前のはずだけど)は、兄たちが因幡の国の美しい八上姫に求婚する旅の荷物持ちとしてこき使われていた。
一行が出会ったのは皮を剥がれたかわいそうなウサギさん。もともとおきの島に住んでいたうさぎは、海の向こうの因幡国に渡るのに、サメを騙したために怒らせて皮を剥かれててしまった。…きくだけでも痛い!(><;)

先にうさぎに出会った兄たちは「海水で体を洗って風に吹かれてれば治るよ」と嘘を教える。生身に塩水…、考えるのは辞めよう(><;;)
ますます泣くうさぎに出会った大国主の命は「真水で体を洗い、蒲の花粉をまぶすと治るよ」と教えてあげます。そのとおりにしたうさぎの怪我はすっかり治りました。うさぎはお礼に「八上姫はあなたと結婚しますよ」と告げます。

さてこの「しろうさぎ」、イメージでは「白兎」ですが、正しくは「素兎」であり裸兎を意味します。そのためこの絵本の挿絵でもうさぎさんの毛の色は茶色に描かれています。
なお私は、蒲の穂を見る度に「うさぎさんうさぎさん」と連想しています。蒲の穂って見た目が愛嬌ありますよね。蒲の穂(の花粉)とうさぎさんを連想した昔の人の想像力っていいなあと思う。

…さて、うさぎの予言通り八上姫は兄たちではなく大国主の妻になるといいます。大国主は、怒った兄たちに燃え盛る岩で焼き殺されてしまいます。嘆いた母神が神々に力を借りて大国主は蘇りますが、今度は兄たちに大木に挟み殺されてしまいます。
今度も神々の力で蘇った大国主ですが、母神に「ご先祖の須佐之男命のおられる黄泉の国(根の国)にお逃げなさい」と言われて、黄泉の国に向かいます。

このまま第五巻の「すさのおとおおくにぬし」に続きます。
(五巻も須佐之男命の最後の言葉がとても良い)

2023年1月11日

読書状況 読み終わった [2023年1月11日]
カテゴリ 絵本 昔話

「ドン・キホーテ連続読書会」にて第1巻読了!
思ったより読みやすく、子供の頃の簡易版で読んだ印象の容赦なさはあまり感じませんでした。
連続読書会継続中のため第2巻の登録は数カ月後になります。興味ある方ぜひ一緒に!!

ドン・キホーテの解説
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4121016726#comment
ミュージカル ラ・マンチャの男
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4924609811#comment

前編一 機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ
献辞と序章
この「ドン・キホーテ」は、アラビア人史家の書いた『ドン・キホーテ』原著をモーロ人が一度翻訳し、さらにセルバンテスがスペイン語に翻訳と編集して出版している、という体裁の書物です。
早速冒頭でセルバンテスが読者にご挨拶するんだが…。
「この本を読む暇な読者さん!自分はドン・キホーテの継父(セルバンテスはアラビア語原著を編集したという体裁のため)なんだけど、序文書けって言われたって、息子を褒めるようななんか偉い人の言葉とか訓辞とかそんなの集められないよって思ってたら、知り合いから『そんなのでっち上げればいいじゃ〜ん』って言われたからそうしまーす」…冒頭から言いたい放題(笑)
それからソネットになり、本編に出てくるドン・キホーテや、名駄馬のロシナンテ、従士サンチョ・パンサたちが読者に向かってご挨拶します。

第1章 P43
ラ・マンチャ地方のケハーナという中年貧乏郷士が、騎士道の話を読み耽るうちにすっかり頭がおかしくなり自分は騎士だ!騎士となってこの世の正道を正さねば!と思い込む。
古い甲冑を手作りで修繕し、自分の名前をドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと決め、愛馬をロシナンテと名付け、思い姫をドゥルシネーア姫と決めて(本当は農家の娘のアルドンサ)、さあ、これで立派な騎士だ!
この一つ一つが真剣だ。甲冑を素人修理ししたために脱げなくなっちゃったんだとか、痩せ馬の名前を真剣に考えたりだとか。この馬のロシナンテという名前は「以前(アンテス)は駄馬(ロシン)だったけど、現在は逸物(アンテス)になった」という意味らしい。妄想とはいえ一応駄馬だと分かってたのか。
準備万端で旅にでた!…けど荷物がなかったから一度戻った。
このあたりは妄想なりに筋が通っている。そう、ファンタジーやSFやホラーで面白いのって、その世界なりの筋が通っていることは大切ですよね。「何でもあり」ではなくて、本当にそうだと思いこんでいる妄想だからこそ、通さなければいけない理論があります。

さて、セルバンテスはドン・キホーテこと、ラ・マンチャの郷士であるアロンソ・キハーノのことをどのように書いているか?
まず「マンチャ」というのは「汚れ、不名誉」という意味なんだそうだ、ふーん。
そしてこの郷士は「もうすぐ50歳」…って、ええーー思ったより若かった!!60歳以上のおじいちゃん想像していたよ、挿絵だってそのくらいの老人ではないか!40代って。まあこの時代で40歳なら十分老人か、作者のセルバンテスだってこのとき50代後半ではないか、ドン・キホーテまだまだ老いてはいないよね。

第2章 P55
意気揚々と旅に出たドン・キホーテだが、正式な騎士になるためには騎士の叙任をしてもらわねばならない。
彼の目にはこの世の全てが騎士道の世界に映っている。娼婦たちは貴婦人、貧しい宿屋は立派なお城。ということで、宿屋のご主人(妄想の中では城主)に騎士の叙任を願い出た。

第3章 P69
ドン・キホーテに出会った人々は「この頭のおかしいじいさん(まだ40代です)からか...

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2022年11月27日

読書状況 読み終わった [2022年11月27日]

「ドン・キホーテ」読書会に参加するので、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の感想もアップしておきます。
こちらのパンフレットの公演は見ていないのですが、適切なものがなく…お邪魔いたします。

2023年、松本白鴎さんラストステージの案内はこちら。
https://www.tohostage.com/lamancha/
私が見たのは、2000年頃と、2019年頃の2回です。最初に見た時は「松本幸四郎」だったのが二度目には「白鸚(はくおう)」に。幸四郎さんは同劇場主役日本記録を持ち、娘の松本紀保(きお)さんは、ドン・キホーテから命名されたそうな。
20年前にの牢名主役だった上條恒彦さんはそのまま牢名主、20年前に床屋約だった駒田一さんはサンチョ・パンサ役など、20年経っても同じキャストの方々がいて素晴らしい。

観に行く前には、この歌を聞きテンションを上げていた 笑
https://www.youtube.com/watch?v=TiAz_g2-H_E

映画版で主題歌はこちら。
主演ピーター・オトゥール、ソフィア・ローレン。
https://www.youtube.com/watch?v=RfHnzYEHAow&list=PL85B1E9B272FB878B

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劇作家で税徴収人のセルバンテス(松本白鸚)は、教会から税金を取り立てたことにより、家来のサンチョ・パンサ(駒田一)とともに牢に入れられ、宗教裁判を待つ身となった。
だが地下には別の裁判があった。裁判長は牢名主(上條恒彦)。被告となったセルバンテスは「得意の即興劇にて自己弁護を行うので、牢の囚人の全員に即興役者として参加してもらいたい」と申し出る。

即興劇でセルバンテスが演じるのは、ラ・マンチャ地方の郷士で、自分を中世の騎士を思い込んでいるアロンソ・キハーナ、騎士としての名前はドン・キホーテ。家来のサンチョ・パンサをお供に、遍歴の旅に出た!
風車を怪物と思い戦いを挑んだり、田舎の貧しい宿屋を城と思ったり、旅は最初から波乱万丈。ドン・キホーテは騎士の称号を与えてもらうためにその城(宿屋)に逗留する。
即興劇では、牢名主が宿屋の主人を演じる。狂人のドン・キホーテをお客さんはお客さんとして話を合わせてくれるなかなかの好人物。
この宿屋には、ならず者たちと、彼らに身を売るしかない下働き女のアルドンサがいる。
ドン・キホーテは、粗野であばずれと呼ばれるのアルドンサを「我が想い姫ドルシネア」と思い込み、理想の女性として崇拝を誓う。
アルドンサは、周りの男たちに暴力と侮辱による性処理として扱われてきたため、ドン・キホーテの言葉が信じられずにいる。
しかし徐々に変わってアルドンサは、ドン・キホーテ、サンチョ・パンサたちと共にならず者たちに立ち向かい、勝利を治めた!
しかしそれはさらに酷い性暴力を生むことになった。

さて、アロンソ・キハーナの家族たちは遍歴に出た彼を取り戻そうとする。
姪のアントニアは自分のことしか考えていない女性だが、徐々に叔父の容態を本気で心配するようになってゆく。
アントニアの婚約者カラスコ博士は、この世の全ては規則のもとにあるとして、アロンソ・キハーナの妄想を頭からバカにしている。(即興劇でカラスコを演じるのは、牢の囚人のなかでも現実主義者の男。ミュージカルでは、牢屋の場面と即興劇を行ったり来たりするのだが、牢屋の場面ではカラスコ役の囚人とセルバンテスとで議論を交わす。)
しかしフラスコ博士とともにアロンソ・キハーナ旅に出た教会の司教は、狂人であるはずの彼の言葉に真理を感じて、この世の真実とは何なのかと悩む。

宿屋では、男たちに傷つけられたアルドンサの姿に絶望するドン・キホーテの前に「鏡の騎士」が現れる...

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2022年8月27日

読書状況 読み終わった [2022年8月27日]
カテゴリ ドン・キホーテ

「ドン・キホーテ連続読書会」に参加します!3年掛かりで読む企画です。興味ある方ぜひ一緒にどうでしょう!!

こちらは第0回テーマ本でした。
ドン・キホーテは子供の頃に簡易版を読みましたが、結構暴力的で、老人子供をボカボカボカっとやっちまうので、ちょっと嫌だなあ…と思っていました。しかし世界文学者たちからは大変評判が高いので、気にはなっていました。

こちらの本は、スペイン語翻訳者牛島信明によるドン・キホーテ解説本です。
まず「ドン・キホーテ」とは、スペインのラ・マンチャ地方の郷士アロンソ・キハーノは、騎士道物語を読みすぎて物語と現実の区別がつかなくなり、自らを「遍歴の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗り、近所の農夫サンチョ・パンサをお供にして冒険の旅に出る」というお話。しかしやることなすこと頓珍漢、ただの風車を「巨大な怪物だ!」と古臭い刀で挑みかかっては投げ飛ばされるというトンチキっぷり。周りはこの狂った爺さん、という扱い。
発表当時、なかなかの人気を得たのは良いのですが、贋作続編が出回ってしまったので、作者が続編で主人公を死なせて終わりにしました。現在でこそ文学の基本のような扱いですが、発表当時は受け入れられ楽しまれつつ、真面目な本扱いではなかったようです。

子供向け簡易版でも作者のシビアさ皮肉さは感じられましたが、作者セルバンテスの人生や境遇もなかなかドラマチック(この時代なら当たり前なのかもしれないけど)、さらに女性との関係はグロテスクでもあり、そのような生活が「ドン・キホーテ」の皮肉さに出ているのかもしれません。

また、当時は珍しかったであろう文学手法も使われています。
 老人が主人公ということ
 続編では、正編の後に「ドン・キホーテの素晴らしき冒険談」が出版され、世界的にも読まれているとされている。つまりメタフィクション手法
 聖書をパロディにする。イエス・キリストを彷彿とさせる描写により、狂人ドン・キホーテと神の子イエスとを同様に並べて見せる。
 ドン・キホーテの絵や像といえば必ず一緒にいるのがサンチョ・パンサ。このサンチョ・パンサもとはある意味バディものの元祖といえるのでは?

こちらの本では、牛島信明はドン・キホーテをフーテンの寅さん、松尾芭蕉とも重ねています。特殊な人のようで身近な人ということです。
名前は有名だけどなかなか全部読もうという決意が難しい「ドン・キホーテ」、では読書の旅に行ってきます!(連続読書会興味ある方はご一報ください。主催者さんにお伝えします)

2022年8月12日

読書状況 読み終わった [2022年8月12日]
カテゴリ ドン・キホーテ
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