寄生虫なき病

  • 文藝春秋 (2014年3月17日発売)
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中学生の娘が、理科の宿題の籤引きで「回虫」を当てたので私が面白がって色々借りて読んでいる。
亀谷了先生、藤田紘一郎先生の本は娘も読んだが、さすがにこの本は私しか読んでいない(笑)



自己免疫疾患を患い、体中の毛は抜け、酷いアレルギーや喘息を持つ著者は、アメリカ鉤虫(英語では「アメリカ殺人者」の意味を持つ)に意図的に感染するためにメキシコに入った。
自分が子供を持ち、疾患を遺伝させないために病気を調べて、「寄生虫感染療法」を知ったのだ。

…という冒頭で始まるが、実際に著者の寄生虫感染両方が語られるのはほぼ最後の章で、そこまでは自己免疫疾患を始めとする人類と病気に関する詳細かつ多角的な研究取材。
 ✓原始人の遺骨やミイラから見られる人類と病気の歴史、民族や地理による病気の違いや移り変わり。
 ✓不潔な環境にいる人が罹りやすい病と、反対に清潔な環境にいる人が罹りやすい病について。
 ✓人種による体内微生物の違いから、人類の歴史的地理的移動を考える。
 ✓環境の変化による病気の発生の変化。急に先進国文化に触れた原住民たちの病気の度合い、発展途上国から先進国に移民した人たちの二世からは病気に罹りやすくなるということ。
 ✓病はウィルスなどが身体に入る「存在の病」だけでなく、在るべき微生物がなくなったことによる「不在の病」が増えている。
 ✓人間には二つの脳がある。一つは胃腸の周辺の細胞組織。もう一つは頭の中にある所謂脳。胃腸の環境の大切さを説く。
 ✓体内微生物を完全に除去したら生物はどうなるのかという動物実験。生きることはできたが、内臓の大きさがアンバランスで疾患を抱えていた。
 ✓現代社会で自己免疫疾患が増えた理由を考える。
  人間の環境が清潔になり過ぎて、体内に取り込むべき微生物との接触が減った。
  人間は母親の産道を通り、必要な微生物に触れて、免疫機能を高める。しかし現代社会で自己免疫疾患が増えたのは、人間の体内から微生物が減りつつあり、母親から正しく微生物を受け取れなかったからということも一因と考えられる。
 ✓正しい微生物と人工的に触れ合う方法。
 農業畜産業体験の勧め。
 帝王切開で生まれた子供には、母親の産道の微生物を赤ちゃんに塗るという対処を行っているところもある。
 また、酷い内臓疾患と下痢に苦しむ患者に、良い腸内微生物を持つ配偶者の便を薄めたものを入れるという治療法(自分で微生物を作れない患者に、人工的に微生物を入れるとうい方法)。
 ✓正しく触れ合う微生物は自然の物でなければならず、化学物質では賄えない。(化学物質の動物の身体に取り込まれた化学物質が便として排出され、便が肥料として使われたその植物に化学物質が取り込まれているということが何とも空恐ろしい。)

そして人間と寄生虫の関係性。
人間は寄生虫に対抗するために細胞変化を起こした。しかし清潔な環境になり、寄生虫も体内からいなくなったことにより(日本でやらなくなった「蟯虫検査」ですが、アメリカでももうやっていないみたいです)、その細胞変化が人間本体に悪い影響を及ぼしている、ということらしい。(違ってたらすみません)
寄生虫が人間からいなくなったことにより、免疫が正しく利かなくなってしまったということ。
この本では人間からいなくなった寄生虫のことを悪いヤツだったが全くいなくなってしまっても弊害が出るということで「失われた旧友」と表現している。

寄生虫療法のレポートは、その研究の歴史、寄生虫販売者、実際に試した人への取材(感染方法が、「ネットで寄生虫の卵キッドを取り寄せた」ってそんなに簡単にできていいのか??)、成功例と失敗例、など多角的に渡っている。

自閉症治療として寄生虫療法を行った例もある。これは自閉症の人たちがウィルスによる病気や酷い虫刺されの時は自閉症傾向が薄くなるということから、それなら寄生虫が体内に入れば、免疫は正しい働きをして自分自身を攻撃しないのではないか?ということのようだ。
先日読んだ別の本では「精神疾患や認知症の原因の一つとして寄生虫の考えられる」と書かれていたんだが、全く寄生虫とは病気の原因でもあり治療法でもあり一筋縄じゃいかん。

そんなこんなの取材の結果、寄生虫療法とは、成功例もあり、失敗例もあり、あやふやな調査結果もあり、弊害も多く推奨するには危険だが、難病に苦しむ患者は希望となることもある。
著者は自分が寄生虫に感染しようとした時点では、この療法の怪しげな点を分かったうえで、”体験・実験”として罹ってみたということ。
著者自身の経験談がなかなか生々しい。「寄生虫の卵が含まれているガーゼを腕に巻くと、ムズムズとした痒さに襲われた」など、読んでいるだけで痒くなる(ー。ーゞ
その後の著者の体調は、病気が明らかに改善された部分もあれば、全く変わらない部分もあったり、かえって悪くなったりした部分もあり…。
しかしこの著者の面白いところが、なぜそうなったのかまで考えていること。
著者の場合、寄生虫に感染した後、強烈な胃痛と下痢に襲われた。しかしアレルギーはほぼ治り、何十年も生えていなかった体毛もうっっっすらと生えてきた。
だがその後アレルギーが復活し、寄生虫販売者に便を調べてもらったら「寄生虫の卵はない。つまり君の身体から寄生虫は出て行ってしまった」と言われたということ。
だがその後またしてもアレルギーが軽減された。再度調べたらやはり寄生虫は体内にいたらしい。
この経験から分かった事として、「宿主と寄生虫は、ちょうど良い数や種類がある。自分の場合は、多過ぎた寄生虫を排出して数を減らして(だから便に寄生虫の卵が出なかった)、ちょうど良い数になったところで自分の身体と寄生虫が馴染んだ」ということ。
それを経て著者の現在は、アレルギー軽減、うっっっすらとした体毛もそのまま。


この体験談からの結論が「人間でも動物でも植物でもその個体にとって合う物と合わないものがあり、合わないものが体内に入れば病気になり、合う物が入れば健康体でいる」ということで、
これこそまさにこの本で書かれてきた人類と病気との歴史そのものであり、それを1人で体現したわけですね。
「同じ環境や同じウィルスに触れても病気になる人とならない人がいる」というのは現実として当たり前だが、それを「自分に入った寄生虫と融合するまでの体験」として書かれるとなんだか感覚的に伝わってくる。


そして後書きの翻訳者解説に書かれていたことがなかなか面白かった。
「消化器官は、身体の『中』にあるようでいて、実は『外』である。人間の身体はぐっと単純化すると、ちくわのようなもので(こういう概念化をトポロジー的思考と言うのだが)、消化管はちくわの穴。口と肛門で外界と通じていて消化管の表面は皮膚が内面に入り込んだものに過ぎない。だから消化管壁は、皮膚と全く同じく、外界との最前線にある。
(…「消化管がすごく広い」という表現がされているが省略…)
何故こんなに広いのか。それはここで面積をかせいで外界とのやり取りをしているから。遣り取りをしているのは物質的なこと、栄養素の消化・吸収だけでなく、情報のやり取りもしている。
(…中略…)
皮膚が、触覚や痛覚や温度感覚、圧など下界の情報を敏感に察知するのと同じである。この消化管における外界との相互作用が健康の維持にとても大切であることが分かってきたのだ。」(P457)
そしてこの消化管表面に住み着いている腸内細菌について語られてゆく。

人間の身体がちくわだ、内臓は皮膚だ、と思いっきり簡略化されれば「胃腸周辺の組織は脳」「腸内細菌の大切さ」ということが非常にわかりやすかった。

なお、著者が接触した寄生虫療法の販売者は「日本の藤田紘一郎という研究者が、自分の身体に寄生虫を入れて病気療法したときいてやってみた」とのこと。日本の寄生虫研究凄いな(笑)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 自然・生物
感想投稿日 : 2019年8月15日
読了日 : 2019年8月15日
本棚登録日 : 2019年8月12日

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