実在した人物の伝記的な小説。
幕末から明治にかけて生きた医師・関寛斎の妻・あいの生涯。
君塚あいは貧しい村に生まれ、塾を開いている伯父の妻・年子に織物を教わっていた。
蘭方医として修行している伯父夫婦の養子と縁組が決まる。
怖い伯母の年子に見込まれての親どうしが決めた結婚ですが、あいはいぜんに垣間見た少年に好意を抱いていました。
若い夫は寛斎と名乗って医院を開くが、患者は身内しか訪れない。無医村だった村に、蘭方医は新しすぎたのですね。
銚子に移り、豪商・濱口梧陵に見込まれて長崎に留学することに。
人の援助を受けることをためらう夫に気づいたあいは梧陵を訪ねて真意を聞き、夫を叱咤激励して送り出します。
家のためにと渡されたお金には手をつけないで暮らすとは、偉すぎる‥
幕末にはいたかもしれない女性?!
徳島の藩医として迎えられ、主君の信頼を得るが、そこでもまだ周りは蘭方医に偏見がありました。
あいは真面目で頑固な夫をあたたかく支え続け、やがて12人の子供にも恵まれるが、その半数を病でなくす悲しみも。
寝込んだままの妻をしかったと藩主に話したときに、見損なったと一括されるのが印象的。
寛斎は成功した身分となりましたが、貧しい患者からは金を貰わない。
戊辰戦争の際には野戦病院で、敵味方の区別をつけずに献身的に働く。
長男とは何年か疎遠になるが、そのいきさつも夫婦の関係を物語っています。
73歳になって寛斎は北海道開拓を思い立ち、離縁して行こうとする。
あいはついて行くと言い切り、支えようとするが、病で倒れてしまうのだった‥
後悔する夫に「わたしはあなたが開拓する村の木にいる、どこにでもいる」と。
この時代にこの年齢で北海道へ行くのは正直、無謀に思えましたが。
Wikiなどでちょっと調べたら~私財を投じて広い地域を買っての開拓というのは、ものすごい理想家だったんですね。
開拓した土地には関神社が建っているとか。
苛烈な性格も、傑物ならではなのでしょう。
寛斎のことは詳しい資料が残っているけど、あいについては「婆のほうが偉かった」という寛斎の言葉ぐらいで、そこから想像で膨らませた内容。
この一言に、あいの包容力と二人の夫婦愛を感じました。
- 感想投稿日 : 2013年6月9日
- 読了日 : 2013年5月31日
- 本棚登録日 : 2013年5月30日
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