プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書 2423)

著者 :
  • 中央公論新社 (2017年3月21日発売)
3.85
  • (19)
  • (35)
  • (24)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 467
感想 : 35

 中世ヨーロッパの人々にとって大きな問題は死であった。食物が絶えず不足し、医療はほとんど成立せぬため、生まれてきた子どもが成長して大人になる確率は低く、平均寿命も短い。キリスト教を伝えにきた修道士に「隣人を愛するとは、隣人を食べないことだ」と教えられ、最終的にはペストの脅威にさらされた中世ヨーロッパの人々にとって、死は圧倒的な力であらわれ、戦う前から負けを宣告されてしまうような相手であった。予測できず、突然、逃れがたくさんやってくる死は、人々の生活の豊かさや充実などよりも、はるかに切迫した問題であった。(p.7)

 この提題が「広く読まれていることは、私が望んだことではありません。また私はそのようなことを意図したことはなかったのです。私はただこの町の人々とまたせいぜい近くの学者たちと議論し、その意見によってこれ(つまり提題)を取り下げるか、あるいはみなに認めてもらうかを判断しようと考えたのです。ところがこれが何度も印刷され、翻訳もされているのです。ですから私はこれを公にしたことを今後悔しています。」(ルター。pp.49-50)

 ルターは、神が人間を救うという行為を人間はただ受け取るのであり、神がなすことを信頼するのが信仰だと考えたのである。それゆえ救われるためには人間の側の努力ではなく、「信仰のみ」が必要となるのだ。
 この「聖書の身」「全信徒の祭司性」、そして「信仰のみ(信仰義認)」を宗教改革三大原理と呼ぶことがある。(p.63)

 新プロテスタンティズムの牧師たちの語ることが、強制され、行かねばならない教会の説教よりも宗教的に見て益が多いと感じればこの独占市場に変化が起こる。新プロテスタンティズムの教会と聖職者たちは、いわば自力でこの独占状態を破壊していく。勝負はサービスであった。(礼拝は英語で「サービス」という)
 また彼らは政治的な圧力に対しては、中世後期から発展したさまざまな政治的意識であるデモクラシー、人権、抵抗権などを受け入れ、それを味方につけ、その担い手となり、それだけではなく、このような政治的価値を使って既存の教会や政府と戦いはじめた。彼らがそれらの書価値を生み出したとは言えない。しかし、彼らはそれらの政治的思想の担い手であった。(pp.116-117)

 プロテスタントとは、カトリシズムとの戦いを続け、その独自性を排他的に主張してきた宗派であるだけではなく、複数化した宗派の中で、共存の可能性を絶えず考え続けてきた宗派であり、むしろ後者が私たちの今後の生き方だと主張するようになった。このような仕方で戦後もドイツのプロテスタンティズムは国家と歩みを共にした。(p.158)

ヴァイツゼッカー
 若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、オルタナティヴな考えを持つ人や保守主義者、黒人や白人、これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。若い人たちは、互いに敵対するのではなく、互いに手を取り合って生きていくことを学んでいただきたい。
 民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
 自由を尊重しよう。平和のために尽力しよう。公正をよりどころにしよう。正義については内面の規範に従おう。(p.164)

ガウク
おそらく将来世代は新しい記念の形を追求することになるでしょう。またホロコーストもすべての市民にとってドイツのアイデンティティの核心的要素とはもうみなされないかもしれません。しかし、これからも言い続けなければならないことは、アウシュヴィッツなしにドイツのアイデンティティは存在しないということです。ホロコーストを記憶することは、ドイツで暮らすすべての市民の責務なのです。(p.165)

 確かに宗教改革からはじまったプロテスタンティズムの歴史の意義と特徴は、自由のための戦いも、近代世界の成立への貢献も含まれるが、それ以上に重要なもう一つの特徴は、社会の中で異なった価値や宗教を持つ者たちがどのように共存して行けるのか、という作法を教えてくれることにあるのではないだろうか。(p.206)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年5月14日
読了日 : 2017年5月12日
本棚登録日 : 2017年5月12日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする