親族の女性たちは、赤ちゃんに続いて出てくる胎盤(後産)を取り上げて始末したり、母親がわが子との絆を深めているあいだしばらく、日々の雑事をあれこれ手伝ったりしたものでした。人類はその系統が始まったときから他者を必要としている、という進化上の仮説を、人間の出産の性格そのものが裏付けていると言えましょう。私たちは産まれた瞬間から社会的な動物なのです。(p.72)
森が減ってサバンナが増えるばかりのなか、祖先は生き残りをかけて食べ残しの骨髄を食べ始めました。この移行中、私たちの進化で驚くべきことが始まります。高カロリー食を食べるようになって、頭蓋の容量が増えていったのです。脳は作るのにも維持するのにもカロリー面で負担の大きい器官です。大きな脳を維持するためには、カロリー密度の高い上質な食糧源を確保しなければなりません。必要に迫られて食べ物に肉を加えたことで、脳を大きくできるようにもなったのです。(p.83)
農業が始まる前は、紫外線が少ない地域でもビタミンDを合成する必要はたいしてありませんでした。なぜか?日々食べていた植物、海産物、肉などの食べ物にビタミンDが十分含まれていたからです。ところが、生きるための主な食糧供給減が定住型の農業へとシフトするにつれ、穀物やデンプンから作った食べ物への依存度が高まり、そこにはビタミンDを含めて多くの栄養素が不足していました。ビタミンDを食べ物から摂ることが現実的ではなくなったので、メラノサイトの活性を抑えるような変異が有益になりました。メラノサイトの活性が低くなって皮膚の色が薄くなり、直射日光が少なくてもビタミンDを合成できるようになったというわけです。(p.109)
環境の劇的な変化を生き延びるために、私たちの祖先は臨機応変でなければなりませんでした。あるとき、大事なことに気づきます。環境が変わったからといって、それが環境資源の一心にすぐさまつながるわけではない、と。実際、経験したことのある環境に戻ることもあり、そうなると過去の経験をもとに蓄えた知識を活かせました。基本的に、文化的な情報を蓄えて次世代に申し送る能力を頼りに進化して、対応力を高めていったのです。(p.169)
多地域進化説:現生人類発祥の地は1ヶ所ではなく、複数あった。そして、単一の集団として出現して世界中に広がったのではなく、各地のさまざまな集団があちこち移動しているうちに出会って遺伝的に混合してひとつの種として進化していった。こうした過程を経たので、今日きわめて多彩な人類が各地で暮らしているが、誰もがホモ・サピエンスという種に属している、と。(pp.273-274)
進化において、「有利」ないし「有益」かどうかは本質的な不動の価値ではありません。その時たまたま生殖や適応によって都合の良い新たな特徴が有利、有益なのであって、その同じ特徴が違う環境では不利になることもありえます。有利あるいは不利だと最初から決まっている特徴というものはないのです。(p.284)
21世紀に入ると、古人類学の研究は新たな一章に突入しました。今では、まとまった化石がなくDNAとしてしか存在しない古代ホミニン集団までいます(デニソワ人など)。古代のDNAを汚染なしに抽出できる技術が進歩し、そうした技術のコストが下がるにつれて、遺伝学が古人類学に与える影響はいっそう大きくなり、その重要性は化石以上とまでは行かないまでも肩を並べるようにはなるでしょう。ですが、新たな化石の発見も続いています。それらを集めて分析する技術が向上すれば、データや研究成果も向上します。そうしたすべてを通じて、私たちはこれからも、人類はどこから来たのか?人類は今日までどのような足取りをたどってきたのか?人類のたどってきた道はどこへ向かっているのか?といった根源的な問いへの答えを探し求めていくのです。(p.324)
科学は万国共通の手法と理論で行われるものだから、どこの国の出身者だろうと、書くことは同じだと思われるかもしれない。しかし、その手法と理論を使って実際に研究するのは、どこかの国のどこかの文化で育ってきた人間なのだ。たとえ、万国共通の手法と理論を用いても、研究の発想ややり方には、文化が確かに影響を及ぼす。それほど、文化的態度は、無意識のうちに、その人の世界観に影響を与えているのである。(p.326)
- 感想投稿日 : 2019年7月7日
- 読了日 : 2019年5月5日
- 本棚登録日 : 2019年5月5日
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