大量生産品のデザイン論 経済と文化を分けない思考 (PHP新書)

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レビュー : 8
著者 :
k-masahiro9さん  未設定  読み終わった 

 商品の持続可能化を支える骨格づくりのデザイン開発の視点が大量生産品のデザインにはまず必要不可欠になる。流行に依ったり、目立つことだけを優先するデザインでは商品の持続可能化を支えるパッケージの骨格には不適。それは時間に耐えきれない。(p.26)

 その商品の価値は、すでにそこに存在しているのです。私の役割は「見つけて」「引き出して」
「つなぐ」こと。まだ誰も発見していなかった、そこに内在されている魅力を見つけて、引き出して、デザインのスキルでつないでいく。もっとはっきり言うならば、デザインは決して「付加価値」をつけるものではないのです。「価値はすでにそこにある」のですから、その価値をピックアップして生かすのがデザインであって、デザインによってそのものの価値を上げようなどとは思っていません。(p.44)

 パッケージにしても、企業のCI(Corporate Identity)やVI(Visual Identity)をつくるにしても、それはデザイナーの作品ではなく、企業の作品です。デザイナーの仕事は。彼らがもっているポテンシャルをいかに引き出すことができるのか、まだ見えていないものを抽出して、見える化をしていくことにあります。そのためには、企業サイドがどういう歴史をもっていて、そこで働いている人たちー営業もいれば、商品開発、研究開発、工場で製造にあたる人まで、さまざまな立場の人たちがいますがーの意見や考え方を十分に把握しておかなければならない。(pp.51-52)

 私のように、とくに美術大学に進学しているような人間は、何かをつくり出す、自分を表現するということに憧れてその道に進むわけです。ところが一番大切なことは、それを「どう伝えるか」ということだったのです。しかも、伝えるためには、きちんと相手の話を聞くことが何より重要だった。(p.118)

「デザインの解剖」には、解剖される商品をつくっている企業の社内啓発的な役割もある。デザインのメスで解剖されることによって、まず、自分たちのやっている仕事も「デザイン」という領域に含まれているという理解が生じる。このことは、佐藤が懸念するデザインの誤解、つまり、狭い意味での@「デザイン」(オシャレでカッコいいものがデザインである)という概念を打ち破る。(p.160)

 デザインは「気を遣う」ことです。先々のことを想像して、今、何をしておけばいいのかを考え、実行する。それはつまり、道徳を学ぶことに近しい。つまり「デザイン」という授業があれば、美術や工芸的な知識に加え、道徳を学ぶこともできるわけです。あるいはそこに、コミュニケーションという視点を入れてもいい。人の話をよく聞き、自分の考えもきちんと伝える。これもまた、デザインの基本です。「デザイン」という授業があれば、それはきっと国語・算数・理科・社会といった他の授業の理解を深めることにも役立つに違いありません。(p.213)

 デザイナーが「デザイン」に責任をもつということは、デザインを扱う者の規範だ。デザインを扱う裡で、何を責任の対象にするのかは、当のデザイナーのデザインに対する立ち位置から必然化される。作家性に依拠する場合、無名性に依拠する場合、それぞれのそれが、デザインの批評性につながることを私は期待したい。(p.213)

レビュー投稿日
2018年3月26日
読了日
2018年3月24日
本棚登録日
2018年3月24日
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