沖縄は、時事問題や歴史の解説でアンクても、「それについて考えたこと」を書くだけでも一冊の本になるような、そういう場所だ。それはまったく、ほんとうに、日本のなかの独特の、特別な場所なのだ。
たとえば、沖縄について何か文章を書くときに、その文章の「人称」をどうするか、そこに誰が含まれるか、という、「書く」ことにあたってのもっとも基礎的な部分でさえ、考えられるべきことがたくさんある。
こういう感覚。沖縄の人びととみんなが同じ感覚を共有しているわけでもないだろうが、こういう感覚が存在する。彼とは友だちです。ほんとに植民地だからね。どちらも嘘ではない、ほんとうの実感だろうと思う。あまり政治的なことは関わらない、どちらかといえば「保守的」な女性だったのだが、それでも自然にそういう言葉が出る。(p.66)
私は、良い社会というものは、他人どうしがお互いに親切にしあうことができるような社会だと思う。そしてそのためには、私たちはどんどん、身の回りに張り巡らされた小さな規則の網の目を縛る必要がある。(p.70)
要するにこういうことだ。戦後の沖縄の経済成長と社会変化は、おそらく米軍の存在がなくても、自分たちの人口増加と集中によって成し遂げられただろう。このことをさらに言い換えれば、次のようになる。沖縄は、米軍に「感謝する」必要はない。この成長と変化は、沖縄の人びとが、自分たち自身で成し遂げたことなのだ。
米軍のおかげなんて思わなくてもよい。沖縄は、沖縄人が自分たちで作り上げてきたのだ。(p.110)
私たちは「単純に正しくなれない」のだ、という事実には、沖縄を考えて、それについて語るうえで、なんども立ち戻ったほうがよい。
そして、さらにその先がある。単純に正しくなれないからといって、私たちは正しさそのものを手放してしまってよいのだろうか。私たちは、沖縄自体を語ることを、あきらめなければならないのだろうか。(pp.141-142)
壁とは何だろう。境界線とは何だろうか。私たちは沖縄に限らず、常に多様で流動するそれぞれの個人と、かけがえのない出会いを果たし、それぞれに個別の関係を結んでいる。そこには壁や境界線など、存在しないようにみえる。(p.142)
社会というものがつながりであり、そのつながりのなかで私たちが生きているとすれば、なぜ「わずかなお金で美ら海を売り飛ばした沖縄人」というような語り口が、権力に批判的なはずのナイチャーの元教員の口から出てくるのだろうか。
私たちは実は、つながっていないのではないか。私たちは、私たちとは異なった歴史を歩んでいる人びとのことを、理解することができているのだろうか。(p.145)
私は若い女性が、その日常の中でどれほどのリスクとともに暮らしているかを、頭では、理屈では理解していたつもりになっていたが、まったく不十分であったことを、連れあいから教わった。もちろんいまでも不十分なままだ。女性というものが、あるいは男女の枠にもはまらない少数者たちが、どのようなリスクとともにあるか。そういうことの意味は、いくら勉強してもし足りない。公園のベンチで本を読むということさえ、私たちが生きるこの社会では難しい人びとが、それも私のすぐ隣にいるのだ。私は、私の隣人であるそのような人びとと、立場を交換することができない。したがって「自分のこととして」理解することも、非常に難しい。私にとっては常にそれは、言語によって伝えられるものであり、合理的にしか理解できないものである。(p.147)
調査者は、見知らぬ土地で大きな孤独を経験することになる。見るということは、対象から距離を置いた、孤独な感覚だからだ。
この段階では、沖縄はひとつの巨大な「風景」だ。見る、という行為には、大きな快楽がともなうこともあるが、しかしそれはやはり、その社会に参加できない、他所者でしかないものの、孤独で不安な状態そのものである。(p.150)
私たちは沖縄を心から愛している。なぜかというと、それが日本の内部にあって日本とは異なる、内なる他者だからだ。規格化と均一化が果てしなく進む日本の内部にあって、沖縄は、その独特なものを色濃く残す、ほとんど唯一の場所である。その地理的条件、その気候、その歴史、その文化、全てが日本とは異なる。だがそれは法的にも現実的にも日本の一部である。私たちは沖縄を持て余しているのだ。(p.174)
しかし、岡本太郎も撮影していない沖縄がある。それは、商店街でパンや薬を買い、サラリーマンや公務員や労働者として働き、当たり前に家族を養っていく、「ふつうの沖縄」の姿である。50年代の与那原の地図を見ながら私は、この時代にこの人びとの暮らしはどうだったのだろうと想像してしまうのである。(p.204)
- 感想投稿日 : 2018年9月6日
- 読了日 : 2018年8月11日
- 本棚登録日 : 2018年8月11日
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