評価:★★★☆☆
一時期、自転車のロードレースにハマっていたことがあり、ツール・ド・フランスをテレビで見たり、雑誌を買ったりしていたのだが、ほどなくして興味の対象から外れてしまった。
今になって考えてみると、僕がロードレースを熱心に追いかけていた時期はパンターニの活躍時期と重なるし、熱が冷めたのは彼がレースに出なくなった頃からだった。
僕はロードレースにではなく、パンターニに夢中だったのだ。
いつの時代にもヒーローはいるが、彼らとて時代に愛される人物ばかりではない。
パンターニは「時計の針を40年巻き戻した」といわれる選手だった。
他のスポーツと同じく自転車競技も「ロマンのあった時代」から「アスリートの時代」へと移り変わり、効率重視の科学的トレーニングにより筋骨隆々とした欠点の少ない大柄なオールラウンダーが主流となっていった。
そんな中、頭にバンダナを巻いた痩せっぽちで小柄なイタリア人が、急勾配のアルプスやピレネーの山道を物凄いスピードで駆け上がり、疲労に喘ぐ大柄な選手たちを置き去りにしていく。
平地では勝てなくても山なら誰にも負けない天才クライマーは自転車競技にロマンを求める人々を熱狂させ、“海賊(ピラータ)”の愛称で国民的ヒーローとなった。
そんな彼に熱狂したひとりとして後半は読むのが辛い。
当時、自転車競技界全体を覆ったドーピング問題だ。
蜂の巣をつついたようなその騒ぎは、選手個人やチーム単体に留まらず、国家機関ぐるみの大騒動だった。
そこでパンターニは司法当局の標的にされる。
僕はファンではあるが、彼が無罪だったとは思わない。
ただ、その追求のされ方があまりに理不尽だったことは事実だ。
おそらくはこの問題があまりに大規模だったため、司法としては、全員を取り締まるより有名人を“見せしめ”として標的にした方が効率がいいと考えたのだろう。
それも理屈としてはわかるが、標的とされた人間にとっては、人生を壊される不公平を受け入れるわけにはいかないはずだ。
人は誰しも間違いを犯すし、犯した間違いの程度によってそれを償う必要もある。
白か黒かで、黒なら何をしても許されるわけではない。
問題はその「程度」を理解しているかどうかなのだ。
賞賛と批難はコインの裏表だ。
パンターニの人生に触れるとき、僕はこの世がランダム関数で満ちていることを思い知らされる。
- 感想投稿日 : 2016年3月31日
- 読了日 : 2016年3月31日
- 本棚登録日 : 2016年3月31日
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