娘の賃金が一家の暮【くら】しを背負つてる美談だらけだ俺等の村は
佐々木妙二
今日は、女児の幸せを願う桃の節句の日。その願いとは対極にあるような、昭和初年代の「村」の短歌である。
作者は秋田県生まれ、「アララギ」などを経て、昭和初期にプロレタリア歌人同盟に参加したという。
この歌は、模範的な年少労働者として顕彰された「娘」がモデルのようだが、「美談」が流布することで、この女性は今後も労苦に耐えなければならないのだろう。また、他の家庭でも「美談」が再生産されるという、負の可能性も見すえた歌である。
賃金労働者が直面する問題を、まさに「問題化」させることがプロレタリア短歌運動の目的の一つであったが、兵役に関しても、次のような歌が作られていた。
見ろ、誰もがびくびくしながら並んでゐるみんな合格を怖れてゐるんだ
藤野武郎
来歴不詳の作者。この「合格」は、徴兵検査に際してのものである。一家の担い手である成人男性の入営は、困窮家庭では「怖れ」るべきものという本音が見える。
これらの短歌は、笠間書院「コレクション日本歌人選」の最新刊、「プロレタリア短歌」から引用した。著者の松澤俊二は、プロレタリア短歌の定義とともに、それらが「歌わなかったもの」に着目している。自然の美しさ、恋愛、そして、戦争を讃える発想は歌われなかったというのだ。プロレタリア短歌運動自体は短期間で終わったが、その意義は、今こそ確認しておきたい。
(2019年3月3日掲載)
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- 感想投稿日 : 2019年3月3日
- 読了日 : 2019年3月3日
- 本棚登録日 : 2019年3月3日
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