中国語や英語では、時計は“鐘”clock“表”watch、カギも“yaoshi”keyと“鎖”lockに分けられる。こんなふうに、言語によって、世界がいろんなふうに切り分けられていることは、鈴木孝夫さんの『ことばと文化』『日本語と外国語』(岩波新書)等によって、日本でもよく知られるようになった。しかし、ことばの分化が認識に影響するかどうかは、サピア・ウオーフの仮説をどう評価するかにもかかわる古くて新しい問題だ。色の種類を二つしかもたない民族でも、色の識別はできるということがわかって、認識はことばに関係ない、ということも言われるようになった。たしかに、人間の認識というものは基本的なところでは、驚くほど一致する。しかし、ことばが認識に影響を与えることはないのだろうか。本書は、著者がそのような問題意識にたち、実験心理学の成果をふまえ、人間の認識の普遍性と、ことばが認識に影響を与える事例を興味深く提示する。普遍性にかかわるものを一つあげれば、英語や他の言語では「歩く」や「走る」を表す動詞がたくさん存在するが、「歩く」と「走る」の間は、多くの言語ではっきり分かれるとか、色の認識は確かにその核となる部分では一致するが、周辺部の色名が変わる部分ではことばに左右されることがあることをロシア語の例を引いて述べている。日本語と中国語はともに助数詞をもっているが、中国人が「椅子、傘、包丁」を共通のものとしてくくろうとする傾向は、同じ助数詞(“把”)を使っていることから来ている、などの指摘はとても興味深い。(ぼくも「言語文化論」の授業で実験してみたが、その通りだった)バイリンガルの思考と言語がどうかかわっているかの記述も興味深いが、それは本書を手にとって読んでほしい。もっとも、今井さんの関心は、認識が先か言語が先かということではなく、わたしたち人間の認識と思考に言語がどれほどかかわっているかを明らかにすることだという。熟読玩味に値する、深い本である。
- 感想投稿日 : 2010年11月26日
- 本棚登録日 : 2010年11月26日
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