木下さんは東大の美術の先生である。その美術の先生が股間に執着して書いたのが本書。人はなぜ股間を隠そうとするのかという問題意識が本書に一貫している。たとえば、黒田清輝がヨーロッパから帰ってきて『朝化粧』を発表したとき、人々は女性のヌードに驚き、その後の絵に対して股間を布で覆うよう要求したりした。これは今もあちこちの美術展で見られる光景であるし、あちこちの銅像がどうつくられているかにも関わる問題である。アダムとイブにしても、ルネッサンスで全裸の二人が描かれたが、それ以外では二人の股間は葉っぱや布で覆われている。『最後の審判』の絵にしても、その股間を塗り隠す専門の絵描きがいたほどだ。さらに、ぼくも見たが『原爆の絵』にはほとんど裸で逃げ回る人が多く描かれているが、発表当時は内容がいいにもかかわらず、その部分の描き方で非難されたとか。一方、木下先生が全国各地を回るとあちこちに男根信仰が見られるし、祭りで神輿になることもある。こういうことも現在しにくくなってきているのだろうか。ぼくは股間にそれほど執着はないが、これをタブー視するのもどんなものかと思う。
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- 感想投稿日 : 2017年7月15日
- 本棚登録日 : 2017年7月15日
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