MGSは映画的な作品でもあった。ストーリーの内容は分かりにくいが、進み方はジェットコースターのようなもので、プレイヤーはそれに乗っていればスネークの物語を見ることが出来た。だけどVは違う。PWもだが、ミッション形式のゲームなので、ストーリーがあっちに行ったりこっちに行ったりする。しかも、細かい話はカセットテープ頼みなので、ノベライズをするにあたって、どこをどう繋げるのかに腕が問われる。そして、それを著者の野島一人は、見事に書き切ってくれた。
著者はややこしいVの設定やストーリーを分かりやすいように整理して、小説としてのバランスを損なわないように置いていった。Vのキャラ達は、心の中にあるものと行動が一致しているのかどうかが分からないし、腹で何を考えているのかも分からない。それを解決するために、小説では、ゲームには登場しないレナードという語り部を作り出したのも、話のまとまりが出来て良かった。
膨大なるMGSの知識を持っていると思われる著者だが、クワイエットの最後は、書き終わった後に小島監督から「死んでないよ」と言われたらしい。細かいところは著者の考えや、考察が入っているので、そこは貰っても良いし、参考に止めて置いても良い。
我々プレイヤーはVによってスネークとMGSを失った。Vによってビッグ・ボスはプレイヤーに返された。その戸惑いは幻肢痛を生み、憤りに変わった。なんでここで終わるのか、中途半端じゃないか、様々な否定的な意見で溢れ、それは議論の外側までも膨らんでいった。みんな英雄がいなくなってしまった空白が悲しいのだ。ビッグ・ボスがいなくなってしまったマザー・ベースのスタッフ達と、プレイヤーは同じなのだ。スタッフ達はミッションに行き気付く、自分もビッグ・ボスなのだと、英雄の一人なのだと。
MGSの物語には空白がある。その空白は先に進むためのものだと小島監督は言った。我々は、MGSについて話したり考えたり、他の作品を作ったりする。それこそが、MGSが作ってきた、スネーク達の物語を伝えていくことなのだ。一生失わないMEMEやGENEが、MGSをプレイしたり、ノベライズを読んだりした人の中にはある。だから、スネークのいない空白を恐れないで、自分で埋めて行こう。それがビッグ・ボスになるということだ。MGSは永遠に、我々の中にある。
小島監督の解説の最後の文章を書いておこう。
空白であるが、埋まらない。その空白に英雄はいつもいる。
空白があるから先に進める。この空白こそが「V」だ。
- 感想投稿日 : 2019年5月21日
- 読了日 : 2019年5月21日
- 本棚登録日 : 2019年5月21日
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