蒲団

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本棚登録 : 200
レビュー : 39
著者 :
岩尾葵さん  未設定  読み終わった 

あらすじ:小説家である時雄は、妻と子がある身でありながら、結婚後の日常生活には倦怠を感じていた。無味な日常に耐えかねる中、自らの女弟子である芳子に恋をしてしまう。ただ芳子には、田中という恋人がいた。田中は、顔の青白い、まだ同志社大学の学生の身であり、芳子の将来を背負うにはやや責任感に不安があった。芳子が貞操を侵さぬように、二人の仲を監督するべく、時雄は芳子を自宅の二階に下宿させることにしたが、ある時二人が京都嵯峨に旅行に行っている最中に密会してることに勘付き、動揺する。田中が京都から東京に移り住むことにも只ならぬ思いを抱える時雄は、芳子の父親も交えて二人を問いただし、二人とも東京に残すわけにはいかぬ、という結論にたどり着いく。どちらを帰すか田中と芳子と話し合っていた矢先、嵯峨行の際の手紙のアリバイについて芳子に問い詰めたところ、芳子は二人の肉体関係を認める。芳子は新しい明治の才女を目指していた自分にあるまじきことをした、という趣旨の詫びの手紙を書き、国へ帰ることに決める。残された時雄は、下宿をさせていた牛込の家の二階に残されていた芳子のリボンや蒲団から油の匂いを嗅ぎ芳子を偲ぶのだった。

田山花袋の名作なのであるが、渾身の一作すぎて「田山花袋は処女厨」のレッテルが貼られかねないトンデモ作である。現代人の私がこう思うのだから、当時の文学青年たちがこれを読んだ衝撃はおそらく私に引き比べるまでもないだろう。「妻がありながら女弟子に恋をしてしまった作家。だが女弟子には大学に通う恋人の男がいた」というが題材なのである。女弟子に恋をして蒲団の香りを嗅ぐ、という一行あらすじの奥に単純でありながら一触即発寸前のような人間関係があるのだから何とも言えない気持ちになる。(※ただし女弟子に恋をして我を見失う以外は、絶対に一線を越えないあたりが田山花袋然であるので誠に読んでて安心ができる/変な話ではあるが)そして、時雄に感情移入するにせよ、田中に感情移入するにせよ、”自分の恋人が(田中/時雄)のような人に思われていたら嫌だな”と思わせてくるのがさらに悩ましいところであるのだ。『蒲団』は誰の視点に立っても誰も幸せになれない。ただ残念な暴露であり、それゆえ文学が最も適しているといえる作品でもある。
個人的には、最初はやや嫌な顔をしていた細君も、時雄と芳子が結ばれることはあり得ないと勘づいてから、最後には奥さんまで芳子に同情するのだから不思議なものだ。時雄と田中は分かり合えないまま終わるが、細君と芳子はむしろ通じ合って終わる。時雄同様の薄暗い感情が細君になかったと言い切れるわけはないのだが、そこは巧妙に時雄の心境に隠されてしまう。そういった意味だと、実話をもとにしたフィクションです!という立ち位置を考えると芳子本人もそうだが細君もかわいそうなポジションだ。寧ろ芳子本人は、時雄の劣情が自分に向いていたことなど知る由もなさそうなところがまた何とも言えない。モデルの女性(岡田美知代)がこれを読んでどう思ったのかが気になるところである。田山花袋は、後に『蒲団』のモデルとして彼女を使ったことに詫びの手紙を入れてはいるのだが、こんなに作品の中で「おっさん、若き美女を眼差す」みたいな書き方してしまって気まず過ぎやしないかといらん勘繰りをしてしまう。(この辺は、あとできちんと調べておきたい)
『蒲団』は、主人公・時雄の心境を描いているだけのことはあって、非常に中年男性に寄り添った書き方をしているので、「若い女の読むものではない」とかつて私の大学の講師が言っていた理由はよくわかった。まして永遠の愛を信じている可憐な少女が読んだら卒倒すること確実なのだが、逆に既婚・おっさんの年代の人々には大いに共感を生む作品であるかもしれず、それが今なお読み継がれているゆえんなのかなとも思ったりする。当時は結構騒がれたらしいが、一ミリもいやらしい描写とかはない。超現代風に言えば「師匠と弟子とその恋人の、朝チュンを巡るひと騒動」というのが最も適切かと思う。中年男性にお勧めしたい文学だ。

レビュー投稿日
2019年10月14日
読了日
2019年10月7日
本棚登録日
2019年10月14日
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