死刑囚最後の日 (岩波文庫 赤 531-8)

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Kasuminさん その他   読み終わった 

外国文学は苦手なのですが、卒論の資料として読了。
19世紀フランスの文豪、ヴィクトル・ユーゴーの作品。
小説としてではなく、死刑文学を考えるという視点から★4つの評価。


小説そのものより、最後の序文がとにかく秀逸。
1829年に書かれたものと考えると、衝撃です。
今、私たちが展開する死刑存廃論は、めぐりめぐってもう新しい論は生まれない。
しかし、その到達点以上のところに、ユーゴーは到達しているような。
そういう死刑反対の論理を、彼なりに、今からすでに一世紀と3分の2世紀前にユーゴーは展開しているわけです。
そして、彼の提言が今の日本ではまだ実現されていない。
死刑、特に現行の日本の刑罰としての死刑を論ずるにあたって、読むべき1冊ではありますよね。


ユーゴーの死刑廃止論。要約してみます。

1.罪を犯した人間は社会に害をなしたのであり、再犯のおそれがある(=矯正不可能である)ものは生かしておいてはならない、という死刑肯定の大きな論拠に対する反論

ユーゴーは、そのためには終身懲役で充分だと主張。
看守がいれば十分なところに、ギロチン、死刑執行人はいらない。

2.罪を犯した者は当然償わなければならない、という考え方に対する反論

復讐は個人の事であり、罰は神の事である。そして社会は、両者の中間にある。中間にある社会は、復讐するために罰してはいけない。
社会は、神が為すべきことと、個人が為すべきことを併せて一緒にやってはいけないのだ、と主張。

(つまり、死刑制度というのは「復讐するために罰する」という行為を社会がやっているわけです。
そうではなくて、社会は「改善するために矯正する」ということを為すべきだ、とユーゴーは主張しています)

3.実例論(死刑肯定論)への批判

実例論というのはつまり、犯罪抑止論、見せしめのための刑。

見せしめのために、ないしは犯罪抑止力として死刑をやろうとすれば、とどまることのない死刑を触発せざるをえない。

1820年代終わりごろから、フランスでは公開処刑だったのが、こそこそと裏で処刑が行われるようになった。つまり、死刑を行う側が死刑に対して恥を覚えている、罪の意識を持っている、ということの証拠である。
そういう堂々と正義であるということを貫き通すことができないような刑罰をやってはならない、と主張。


2と3の論拠はかなり深くて秀逸だと思う。
現代社会にだって通用するような考え方だなと感じるからです。

特に3なんて、今の日本の死刑そのまんま。秘密主義、進まない公開。すべては隠されてる。死刑を正義だって考えて存置している以上、情報は全て公開して堂々と処刑を行うべき。やましいところがあるのなら、死刑はすべきじゃない、と思う。


最後に、ユーゴーはかなり興味深いことを書いています。

死刑というのは、罪を犯した本人に対する刑罰であるはずなのに、その人と一緒に生きてきた、非常に大事な関係を結んできた家族等々を同時に処刑することになってしまう。


…もっともっと国民が考えなければならないよなあ、と思ってしまいますね。
もちろん死刑賛成論も廃止論もどちらも考慮に入れたうえで、もう一度見直す必要のある、究極のシステムです。
国家が命を奪う、そういうシステム。うーん、難しい。

レビュー投稿日
2014年2月7日
読了日
2011年6月7日
本棚登録日
2014年2月7日
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