この本の基準で文章を読もうとしたら、評論寄りの人文系の文章はほとんど読めなくなる。たとえば今手元にある柄谷行人『マルクスその可能性の中心』をみると、「ひとりの思想家について論じるということは、その作品について論じることである」という文からはじまるが、もうメタメタ、まともに読めたものじゃなくなる。要するにハイコンテクストな文章で、おしなべて駄文とみなしていいのだろうか。あと、たまにはさまれるダジャレとかはいいのだが、つぎはいい女の名、ことは悪女の名、とかいうのは、うっ、となった。
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- 感想投稿日 : 2018年10月23日
- 読了日 : 2018年10月8日
- 本棚登録日 : 2018年10月8日
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