あえて断言したい
この『しろいろの街の、その骨の体温の』は村田沙耶香の最高傑作
であると。
僕は、今まで本書を含め村田沙耶香の中長編小説10作品、『コンビニ人間』から始まって『消滅世界』、そして処女作の『授乳』『マウス』『ギンイロノウタ』『星が吸う水』『ハコブネ』『タダイマトビラ』『変半身』(つまり現在のところ未読は『殺人出産』『地球星人』『生命式』の3作品)という順で村田沙耶香作品を読んできたが、本書のようにここまで小説として完成された村田沙耶香作品を読んだのは初めてと言っていいかもしれない。
本書はまさに思春期の少年少女の心のひだの内側を描いた青春小説の最高峰の一つに数えられるべき作品である。
村田沙耶香といえば『クレイジー沙耶香』と呼ばれるほど彼女が描く作品は常人が考えもつかないような狂気の世界が描かれることが多い。『消滅世界』『ギンイロノウタ』『タダイマトビラ』などはいわゆる彼女にとっての「狂気の世界」を描いた傑作だろう。
しかしながら、本作品は思春期の少年少女の『初恋』という、まさに誰もが一度は経験する『狂気』をあまりにも純粋に描いた「クレイジー沙耶香」らしからぬと言っては語弊があるかもしれないが、いわゆる「どストレート」な青春小説なのである。
本作のあらすじであるが、開発途中である『ニュータウン』が舞台だ。多くの土地が造成され毎日のように新しい家が作られ、学校には毎新学期ごとに転校生が二けた単位で転入してくる。そこに暮らす主人公の小学4年生・谷沢結佳はクラスでは目立たない大人しい少女である。しかし、彼女には同じ書道教室に通う同学年の男の子・伊吹雄太という特別な存在がいた。伊吹雄太は無邪気で明るく子供っぽかったが、結佳はそんな雄太を『彼女だけの特別なおもちゃ』にしたかった。書道教室が終わったある日、結佳は無理やり雄太にキスをする。その時から結佳と雄太のあまりにも奇妙な『恋』が始まっていくのだった。
僕もまさにこの本『しろいろの街の、その骨の体温』に『恋』をしてしまったのだろう。この本を読みながら僕が感じていたのは、例えるならば「導火線に火がついたダイナマイトを胸に抱き抱えているような」あるいは「研ぎ澄まされた巨大なナイフの上を素足で1ミリずつ前に進んでいくような」気持ちである。
自分でいうのもなんだが僕は本を読むのは人に比べて早いほうだと思う。しかし、この本を読んでいた時は、通常の本を読むスピードよりも2倍、いや3倍はかかった。むしろ早く読もうと思っても読めなかったといった方が正しいかもしれない。それほど、村田沙耶香の紡ぎだす文章に魅せられてしまう、というか一文字も読み飛ばすことができないほどこの本に取り込まれてしまったのだ。
村田沙耶香の書く文章はさらっと読めてしまう。
回りくどい言い回しはないし、意味不明なごたごたとした小難し単語も使われていない。ただ、その中にふと、注意深く読まなければ読み飛ばしてしまうような文章の『異物』が計算しつくされた形で織り込まれている。
例えば、ふと以下のような文章が無造作にスルッと入ってくるのだ。
『私は「嫌い」という言葉が好きなのかもしれなかった。
この言葉を口にしていると、自分がどんどん鮮明になっていく気がする。』
これは主人公の結佳が自分の性格を言い表そうとしている文章なのだが、文章、言葉の意味としては単純だが、その奥深くに秘められた真の意味に深くうなずかされる。『自分は特別である』と思いたい思春期特有の心理状態。巷では『中二病』という言葉でよく言い表される現象だ。
さらには、
『この街は、驚くほど従順に、夜に飲み込まれていく。
街灯も住宅から漏れる光もまばらだ。
田舎の夜と違って、動物や植物の強い息遣いがすることもない。
清廉な暗闇が、街を覆う。』
など、『街』を擬人化したような表現もまた独特だ。この美しくも意味深い文章に僕の心は引き込まれていく。
そして、村田沙耶香が『人生でいちばん残酷な時代』と話している、思春期の中学生の視点描画がまたすさまじい。
『女の子は同性の目に敏感なので、綺麗な子ほど調子に乗っていると思われないように振る舞う術を心得ている。
それに、女の子は、どんなに可愛い子でも鏡を見て真剣に溜息をついているようなところがある気がする。
上には上がいることも、これが永遠に続く栄光ではなくていずれ自分が老いることも、どこかで知っているのかもしれない。
でも男の子は、この狭苦しい彼らの天国が永遠に続くと信じ切っているように見える。』
僕にも中学生時代はあったが、まさにこんな感じだった。僕は男なので同級生の女の子が自分のことをこんな風に思っていたとは全く知らなかったが、女性的にはまさに的を射た表現なのだろう。
そして、この文章にはこう続く。
『そんな彼らを観察していると、微かな優越感が湧き上がってくる。
この牢獄みたいな校舎のずっと上に本当の私がいて、彼らを観察しているんだ、という錯覚に陥ることができるからだ。
安全な場所から誰かを観察するのは、私にとってはおまじないみたいなものだった。そうしていると、自分が誰よりも賢くて、正しい存在みたいに感じられてくる。
本当は彼らよりずっと“上”にいるのではないかと錯覚できるのだ。』
まさに思春期特有の『中二病的』思考だろう。
こう独白する結佳はまさに『中学2年生』なので、彼女のことを『中二病』と呼ぶのはある意味において間違っているのかもしれないが、中学生を経験したことのある大人ならば首がもげる程うなずかされることだろう。
そして、また『初恋』という病に侵されている少女の心理描写が秀逸だ。
『私は学年の中で囁かれている小さな噂を、聞き逃さずにぜんぶ溜め込んでいた。
そして他の女の子の宝物であるそうしたエピソードですら、私の宗教になっていく。
伊吹だけが、何も知らず、グラウンドで呑気にサッカーをしながら笑っている。
恋をしてどんどん不自然になっていく私たちを嘲笑うかのように、自然体のままで。
女の子は妄想と現実を絡み合わせて、胸に巣食った発情を処理できずに、体の中に初恋という化け物を育てていくのに。』
小学校高学年から中学3年生まで間、主人公・結佳の心と身体の成長とこのニュータウンとの成長を対比させながら、彼女にとってはただの『おもちゃ』であったはずの伊吹雄太の存在が結佳の心の中で次第に大きくなっていく。
そしてここに、結佳が下から2番目のカーストに所属し、伊吹雄太はその明るく無邪気で可愛いらしい性格からクラスで最上位のカーストに存在しているという、いわゆる『スクールカースト』内の階級を超えた禁じられた恋物語を挟み込ませていく。
そして、結佳の恋は彼女の理性を超えて暴走していくのだ・・・。
この小説『しろいろの街の、その骨の体温』の完成度の高さは、『ギンイロノウタ』や『タダイマトビラ』『変半身』などの作品で使った手法である、村田沙耶香得意のいわゆる「大どんでん返し」というか「ちゃぶ台返し」でもなく、『コンビニ人間』や『消滅世界』のような「常人には計り知れない『狂気(クレイジーさ)』を突然持ち込んで読者の度肝を抜く」という例の手段も使わずに、かつて少年少女であった大人、そして「恋」を経験したことのある大人ならば、誰にでも心当たりのある心象風景を、あまりにも、あまりにもストレートな形で「クレイジー沙耶香」が描き切ったというところにある。
もう本書は、思春期の少年少女の心理描写を描き切った純文学の傑作として国語の教科書に取り上げてもいいくらいの完成度と言って良いと思う(だが、そこはあの『クレイジー沙耶香』の作品だ。本書を読んだ人ならば、この本が絶対に国語の教科書には採用されないことは察しがつくだろう・・・。いや、もしかしたらこの時代ならあるかもしれないな・・・)。
本書はこの本をそれだけで読むのも最高だが、さらに最高を極めるならば本書巻末の西加奈子先生の解説と、その西加奈子先生と村田沙耶香と対談を熟読することをおすすめする。
この対談については、本の総合情報サイト『ブックバン』において無料で読むことができる。
以下にアドレスを付けておくので本書読了後、引き続き村田沙耶香ワールドを堪能してほしい。
『ブックバン対談~村田沙耶香は変わってる!? 西加奈子も「あれ? この人……」』(2015年7月15日付)
https://www.bookbang.jp/review/article/517015
と言う訳で、長文のレビューになってしまったが、僕が言いたいのは
村田沙耶香が好きすぎる。むしろ好きすぎて辛い。
ということに尽きる。
もう僕はあちら側に行ってしまった人間なので彼女なしでは生きられない心と精神になってしまったのだ。
- 感想投稿日 : 2020年1月25日
- 読了日 : 2020年1月17日
- 本棚登録日 : 2020年1月25日
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