読了。これまで読んできたなかで、日本文学が一番、電車のなかで読んでいて恥ずかしい気持ちになるものでした。わたしの知る山椒大夫は、54年溝口健二による映画のそれ、61年東宝アニメのそれです。森鴎外によるそれは15年。原作は中世の説教節であり、1650年頃と推測されます。これら3つは、それぞれ相当にアレンジを加えられているので、比較することで時代の流れらしきものが良く見えます。今回始めて読んだ森鴎外による山椒大夫はわたしにとっては、もっともそれらしい山椒大夫でした。素晴らしく良かったです。溝口健二の映画では、元来姉と弟の関係である安寿と厨子王は、兄と妹に置き換えられています。これは相当の違和感を放つものなのですが、50年先を見据えた先見の目という意味では、正解かも知れません。つまり、糞みたいな役立たずの兄、強気で健気な妹という構図なので、おもむろに今っぽい。対し、7年後のアニメでは元の構図に戻ります。これはまだ、アニメという分野が未成熟で、強いアレンジに耐えうるものでなかったためだと推測されます。特にディズニーコンプレックス丸出しで自立は出来ていない頃合いでした。中世の説教節では、姉安寿は拷問死します。拷問の描写が続くため、美女と言われる女性がひどい目に合って死ぬという聴衆が大好きなネタと、後に飛躍していく厨子王の姉コンプレックスの克服というネタが物語に世俗的な強さをもたらします。姉が強いのは古事記に見られるような日本元来の趣かも知れません。時代は姉を排除し、妹コンプレックスに向かっているため、溝口に先見の目があると言ったのはそのためです。ある意味、その強い姉像たる安寿が、森版では入水自殺しますが、当時の風潮というものなのか、美徳的に感じられはしますが、姉という概念の強さが男権に潰される最後の瞬間のようにも思えました。さて、山椒大夫の他、数点の作品が掲載されていましたが、どれもこれに劣らず素晴らしかった。元より推敲しまくる森の珍しい一発書きである寒山拾得だけはひどかったけど。
- 感想投稿日 : 2018年3月7日
- 読了日 : 2016年10月21日
- 本棚登録日 : 2016年10月22日
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