上杉鷹山 「富国安民」の政治 (岩波新書 新赤版 1865)

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  • 岩波書店 (2021年1月22日発売)
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出羽国米沢藩主・上杉鷹山(1751-1822)よりも、それを支えた3人の家臣に着目した内容である。
●竹俣当綱(たけのまた まさつな:1729-93):
鷹山が当主となる(1767年)前の1761年、会談所奉行・江戸家老に昇進。「第1の改革」=明和・安永年間(1764-81)の藩政改革を主導。積極的で大規模な殖産興業の実施
●莅戸善政(のぞき よしまさ:1735-1804)通称・九郎兵衛:
財政に明るく、竹俣当綱らと共に鷹山に抜擢され、藩政改革に活躍。鷹山の財政改革が失敗したため一時失脚して隠居。後に鷹山の要請により復帰し、寛政期の改革=「第2の改革」。を主導。鷹山の言動を描いた「名君録」として『翹楚篇(ぎょうそへん)』を著す。
●莅戸(のぞき まさもち:1760-1816):
父・善政が奉行職となった(1798(寛政10)年)には、善政の嫡子・政以が補佐となって、中老職となる。父が死去した翌年の享和4年2月6日(1804年3月17日)には、父が就任していた奉行及び郷村頭取、御勝手方などを継承し、「第3の改革」を主導。藩政を担う。

九州高鍋藩という小藩から由緒ある上杉家に養子入りし、領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作った鷹山は、「御家」(国家)のために尽くす姿勢を示しながら「人民のため」の君主であるという考えを深く内面化していた。まさしく「民のためにするは、公」という精神を体現しようとした。
幕末の儒学者・林靏梁(はやし かくりょう)は、「米澤紀行」で「貨物は市にあふれ、領民は農作業や』機織りに勤しんでいる。土地は漆・桑・苧の栽培に適して作物に満ちあふれ、人々の風俗は質実で飾り気がなく人情に厚い。かつての鷹山公の美政が今に続いているのだという思いが浮かんでくる」(p.3)という。
「富国安民」の理念のもと、藩の借金完済だけでなく領民の心も輝かせた鷹山とその家臣達は、今の時代においてこそ、模範にしたい「名君」「名臣」に違いない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史
感想投稿日 : 2021年7月31日
読了日 : 2021年7月31日
本棚登録日 : 2021年7月31日

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