逆説の日本史2 古代怨霊編: 聖徳太子の称号の謎

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レビュー : 11
著者 :
Chocolatteさん 日本史   読み終わった 

主に扱う人物(テーマ)は、5人。印象に残った点は次のとおりである。
1.聖徳太子
用明天皇の息子である聖徳太子(574-622年)が天皇にならなかったのは、叔母にあたる推古(後の天皇)が、自分の弟にあたる崇峻天皇を暗殺(592年)したことに関係する。推古の息子の竹田皇子(生没年不詳)擁立の時を稼ぐために、暗殺の黒幕の疑いを太子に転嫁したのだ。そのため太子は強度のノイローゼになり、伊予の道後温泉で恵滋法師のもとで病気療養を行う。593年に推古天皇が即位するが、太子が飛鳥に戻るのは596年頃のこと。政界に復帰したのは竹田皇子が早逝したから。太子は622年に生涯を閉じた時は、まだ推古天皇の御世であった(推古天皇の崩御は628年)。
太子は、殯(もがり)の期間が異常に短く、しかも合葬されている(叡福寺)。これは、「異常死した高貴な人物の埋葬における原則」どおりである。そして死因は、「心中」である。それを描いたのが、太子ゆかりの遺品といわれる玉虫厨子に描かれた「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)と「施身聞偈図」(せしんもんげず)であるとする。太子の生涯は決して幸福なものではなかった。また、蘇我氏によって子孫を皆殺しにされた。子孫による祭祀の道を断たれた太子は怨霊になりうるのだ。「徳」という字を含む諡号は、「不幸な生涯を送り無念の死を遂げた人に贈るもの」という当時の常識に従ったものであるという。
2.天智天皇
7世紀の朝鮮半島は、高句麗、新羅、百済の三国がしのぎを削る。その北では、大国の隋(-618)・唐(618-)が朝鮮半島侵略を目論み新羅と手を結ぶ。遠交近攻策である。唐・新羅軍はまず百済を滅ぼす(660年)。中兄大皇子(後の天智天皇)は、日本・百済遺民軍を派兵するものの、唐・新羅の連合軍に大敗する(663年)。その後、皇居を防備に優れた大津宮に移し、戦争準備のために日本最初の戸籍(庚午年籍)を作る。しかし、間もなく天智天皇は暗殺される。不思議なことに日本書記には、天智天皇の墓所の所在を記していない。1100年頃に記された『扶桑略記』によると、「天智は山科に遠乗りに出かけて行方不明になった、死体も発見されなかったので、そこに落ちていた沓を埋めて墓とした」という。現在の天智天皇陵である。その暗殺の犯人は、天武天皇(天智天皇の弟?)だという。動機は、663年白村江への出兵と敗戦である。
3.天武天皇(大海人皇子)
天智天皇の死後、672年に壬申の乱が起き、勝者である天武天皇が即位する。天武天皇は、天智天皇の弟とされているが、年齢は天武天皇が上である。ということは、血統が最も大事なこの時代において、天武天皇の父は舒明天皇でなかった可能性が高い。天武天皇が日本における親新羅派の巨頭であったことを考えると、天武の父は新羅人であったのではないかと推測する。そして、親新羅派の大海人皇子(天武天皇)による親百済派の天智天皇の暗殺、その後の壬申の乱における、天智の弟(大友皇子・新百済派)とその叔父(大海人皇子)との戦いは、朝鮮半島で生じた新羅対百済の戦争が日本を舞台にした続編とみることができる。
4.持統天皇
天武天皇の皇后である持統天皇は、自分の血を引く男系の子孫に天皇位を継承させることを重視した。そして、藤原京に皇居を写し、藤原不比等と連立政権を組むのである。その後も持統系の男子を皇位に就かせ、その皇后を藤原氏から出し、藤原氏はその外祖父になるという権力構造を築く。これが、平安時代中期の藤原道長・頼道に至る藤原氏の繁栄に繋がる。
ところで、持統天皇から孫の文武天皇への継承は、「天孫降臨」の神話と一致する点がある点が興味深い。天智天皇の娘である持統天皇は、新羅系の天武天皇の後を継いだ純粋な百済系の天皇であると同時に、百済系である藤原氏と連立を組んだことも無関係ではないのかも知れない。
5.聖武天皇
藤原不比等の娘、光明子を妃に迎えた天皇である。初めて皇族以外から皇后を迎え、それに反対する長屋王が自殺に追い込まれるという事件が起きる(729年)。この聖武天皇の治世には、凶作・飢饉・地震・疫病とあらゆる災難が頻発する。しかも、疫病(天然痘)の猛威は、政治の最高権力者で、光明子の兄である藤原四兄弟を全滅させる。当時はそれを「怨霊のタタリ」と考えた。その怨霊の正体は、長屋王である。
聖武天皇が国家鎮護のために「国分寺建立の詔」(741年)を出し経典を全国に広めたのも、「東大寺盧舎那仏像の建立の詔」(743年)を出したのも、怨霊を鎮魂するためであった。日本の古代史は、怨霊の歴史とも言える。

レビュー投稿日
2017年4月29日
読了日
2015年7月25日
本棚登録日
2017年4月29日
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