タイの基礎知識 (アジアの基礎知識)

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著者 :
Chocolatteさん グローバル   読み終わった 

日本人がなぜタイに惹かれるのか。それは、次の理由があるという。
○日本に似た景観-伝統的に稲作に立脚した社会と木造家屋の組み合わせが、深い郷愁に駆られる。車も左側通行。
○多様な観光資源-遺跡、寺院、リゾートビーチ、ショッピング
○食べ物の類似点-米(但、インディカ種)と魚は食べ物の主役。魚醤の存在。
○宗教-国民の9割以上が仏教徒(但、上座部仏教)。日本の神道のような精霊信仰もある。
○居心地の良い社会―「ピー・ノーン」(保護・被保護)の二者関係が重要な社会。個人主義的な傾向が強く、よそ者に対しても包容力がある社会。微笑の国(the Land of Smiles)。「マイペンライ(大丈夫、気にしない)」

タイ系民族を大きく分けると、中部から南部にかけてのシャム(サヤーム)と北部から東北部にかけてのラーオ(ラオスの主要民族とタイ東北部のラーオは元々同じ民族。1893年にメコン川を境に東側がフランスに割譲されたため分断)。シャムは、アユタヤの崩壊(1351-1767)後、トンプリー朝(1767-82, ビルマから独立を回復したタークシンが中国福建省の潮州系華人の支援を得て成立)を経て、ラッタナコーシン朝(アユタヤ王家の血を引くラーマ1世が1782年に開く)を興し、現在に至る。タイではシャムの文化が規範となっており、1939年までの正式国名はシャムであった。

冊封体制を基盤とする東南アジアの国際秩序は、ヨーロッパ諸国の侵出により崩壊。特にフランスは強欲で、トンブリー朝(1767-87)時のタイの領域は、現在のラオスとカンボジアも含んでいたが、フランスは1863年にカンボジアを保護国とし、1887年にフランス領インドシナ連邦を成立させると、1893年に仏泰戦争を経てラオスを連邦に編入。1863から1907年まで5度にわたりタイはメコン川流域の支配域を割譲している。このため1940年から41年に、「タイ・フランス領インドシナ紛争」が勃発。1941年に日本が仲介役を果たし失地回復している(cf. Victory Monument)。

「プラーサート・プラウィハーン(プレア・ビヘア)寺院」(9世紀末にクメール人が建設したヒンズー教寺院)を巡るタイとカンボジアの軍事衝突に見られるように、国境線問題は今も顕著である。

レビュー投稿日
2019年1月26日
読了日
2019年1月26日
本棚登録日
2019年1月26日
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