6/6~14の一週間強の日程にてMoMAで開催されることになった久々の日本人監督単独での回顧上映企画は原一男監督に焦点を絞ったもの。原一男監督を知ったのはもちろん「ゆきゆきて、神軍」(1987) を通してであったが、昨年Japan Societyで開催されたJAPAN CUTSでの「ニッポン国VS泉南石綿村」(2018) の上映に合わせて訪米されたときにお会いできたこともあり、ぐーっと身近な方になっていた次第。その時はその場で販売されていた本を買ってサインの列に並んでみたりとミーハーぶりをしっかり発揮したりもした(苦笑)
ところが今回はその上映日程詳細が発表さるるずいぶんと前から感知していたにもかかわらず直前になっって夜間・週末の仕事が入ってきた。なんたる口惜しきことか…。それでも予約を済ませチケットを手にするところまで段取りを整えていたのはその初日本作の上映に合わせて監督御夫妻(奥様小林佐智子氏はプロデューサー)に加え、ゲストとして原監督を「ソウルメイト」と称するマイケル・ムーア監督が登壇する予定となっていたため。日本との電話会議を終えて急いでMoMAにたどりつくと終幕間近ではあったが、ドアセキュリティに無理を言って入れてもらうとまさにエンドロールが始まるタイミングでセーフ!会場はマイケル・ムーア監督の知名度もあってかSOLD OUT満員であったが、退出した人の席に座って目的のQ&Aセッションに立ち会うことができた。
マイケルからの映画タイトルに関しての問いかけに対し、小林プロデューサーの受け答えが印象に残る。
「奥崎氏の使う『神軍』という言葉がまず最初にあり、その硬い、厳しい響きを伴う言葉に対してなにかやわらかなやまとことばを当てたかった。それゆえ『ゆきゆきて』という言葉を当てたのです。」
で、英語タイトルはなぜそうなったのか?という部分に対しては「当時お世話になっていた大御所の方にお願いしたのでそこにはあまり口ははさめなかった次第で…」とちょっとはぎれ悪く…(笑) どちらにせよ「やまとことば」のニュアンスを英題に含めるのは無理だったのであきらめたということだったのでしょう。
その四日後に再鑑賞の機会を得る。今回は三度めの鑑賞で奥崎氏のもつ純粋な人間としての部分ばかりが突き刺さり、彼の唐突で暴力的な行動は何割かの衝動に駆られたものであったとしてもその割合は少ないのだろうな…とい感覚に襲われた。この感覚はきっと鑑賞回数を重ねるために強くなってゆくのだろうと思う。
彼の著書、今でも手に入るのかな…
おっと、やばい思想になってきた、この辺までにしとこう(苦笑)
- 感想投稿日 : 2019年6月15日
- 読了日 : 2019年6月10日
- 本棚登録日 : 2019年5月28日
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